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嘉永6(1853)〜文久2(1862)

開国開城3: 開国(3)総領事ハリス来日と通商条約
(安政3〜5)

<要約>

安政3年(1856)、総領事ハリスが来日した。ハリスは、通商開国を強く求め、安政4年末には日米修好通商条約の案文が定まった。安政5年(1858)、幕府は調印前に勅許を得ようとしたが、孝明天皇の強い上位の意思もあり、勅許を得ることはできなかった。幕府は結局、勅許なしで調印をしたが、このことは尊攘激派の強い反発を買った。

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 4.将軍後継・条約勅許問題


米修好通商条約交渉
(安政3〜5/1856〜58)

将軍:家定(33) 首席老中:堀田正睦(47) 政務参与:徳川斉昭(57)
天皇:孝明(24) 関白:鷹司政通(68)
→九条尚忠(59)
*年齢は安政3年(1856)時

◆アメリカ総領事ハリスの来日

ペリー来航から3年たった安政3年(1856)7月、ハリスがアメリカ総領事として下田に赴任した。ハリスの第一の目的は通商条約を結ぶことであった。ハリスは将軍に拝謁することを強硬に要求し、翌安政4年(1857)10月に、江戸城において家定との謁見を果たした。

◆日米修好通商条約締結

その後、ハリスは、通商条約の交渉を始めた。このときの首席兼外交担当老中堀田正睦や、ハリスと直接交渉にあたった海防掛の岩瀬忠震は積極開国派で、安政4年末には条約の内容が固まった。主な条項は以下のとおりである。
  1. 公使・領事の駐在と外国人の居留
  2. 江戸・大阪(両都)の開市と神奈川・長崎・兵庫・新潟の開港
  3. 自由貿易
  4. 領事裁判権(治外法権)
日本に関税自主権がなく、また外国人居留地での治外法権を認めるなど不平等条約となっている。

幕府は、諸藩の意見にもおされて、調印前に天皇の許可(勅許)をとろうとした。安政5(1858)年、首席老中の掘田らを京都に派遣して勅許を奏請したが、孝明天皇の強固な意志もあって、勅許を得ることはできなかった。幕府は結局、勅許なしで調印をしたが、このことは尊攘激派の強い反発を買うことになった。(→条約勅許問題

<もっと詳しく>
水戸藩
安政4年(1857)6月、かつて斉昭と組んで幕政を行ってきた老中阿部正弘が病死した。以後、斉昭と幕閣との連絡はほとんど絶え、7月、斉昭は内顧により政務参与を免じられた。
ペリー来迎寺には鎖国攘夷論者だった松平春嶽は、安政3年(1856)、ハリス来日後、老中阿部正弘との会見や橋本左内・中根雪江らの補佐もあり、10月頃に開国通商論者に転じた。春嶽とは盟友で頻繁に連絡をとりあっていた薩摩藩世子島津斉彬も同時期、開国論者に転じた。(『松平春嶽』)

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更新:2000/5/20


<主な参考文献>
『逸事史補・守護職小史』・『徳川慶喜公伝』・『昔夢会筆記』・『会津松平家譜』・『京都守護職始末』・『会津歴史年表』・『幕末政治家』・『覚書幕末の水戸藩』・『開国と幕末政治』・『幕藩体制解体の史的研究』

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