7.山南敬介(2)幕府の天狗党処分と山南敬介「脱走」の関係づけは疑問 |
山南敬介の脱走は、永倉新八の晩年の回想をもとにした読み物である『新撰組顛末記』にしか記述がなく、もともと史料的根拠に薄いのですが、事実のように扱われているきらいがあります。この山南の脱走理由のひとつとして、天狗党に対する幕府の処置に絶望して新選組にいるのがいやになったのだ(これも史料的裏づけのない想像です)と主張する文をみたことがあります。わたしは脱走自体なかったと思っていますが、仮に脱走があったとしても・・・はたして天狗党への幕府の態度が重要な脱走理由になるのだろうかと思います。 当時、新選組は京都守護職配下でしたが、守護職公用人は水戸本国寺党(京都水戸藩邸の尊皇派)の頼みを受けて処分寛大を中川宮に内願するなど、天狗党に同情的だったようです。また、当時、容保は幕府の嫌疑をこうむっており、幕閣と守護職は必ずしも一心同体ではありませんでした。天狗党処分で幕府に失望することが即新選組を脱走する気持ちにつながるかどうかは疑問だと思うのです。 *この時期の幕府と守護職の関係、及び幕府の天狗党処分については 幕末館の「幕末日誌−元治2年2月5日:容保の東下勅許撤回・幕府の天狗党処分始まる をお読みください。 (2001/3/1) |
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