ようこそ!こちらは、幕末という動乱期に、一和同心・国民皆兵・大開国大強国等を掲げて、公議・衆議による朝廷/公卿中心の政体づくりを目指した誠斎伊東甲子太郎とその同志を、史資料をもとにのんびりまったり探求しようという歴史サイトです。(背景に政治集団としての新選組を取り上げていますが、新選組サイトではありません)。 幕末期には、時代の変革をめざした草莽集団がいくつも生まれ、消えていきました。御陵衛士もその中の一つで、常陸志筑出身の伊東甲子太郎(いとう・かしたろう)を盟主として結束した総勢わずか10数名の志士たちです。彼らは最初、新選組に身を置きましたが、志を貫くことが困難になったので、報復覚悟で袂を分ちました。彼らは、「一和同心」「国内皆兵」「大開国大強国」等を掲げ、公議・衆議を基本とする朝廷/公卿中心の政体作りをめざした活動を展開しました(よく間違われますが、討幕や鎖国攘夷ではないんです)(思想はこちら)。しかし、大政が奉還されてこれからというとき、先ず伊東が新選組の罠にはまって暗殺され、その遺体を引取りにきた同志が待伏せの新選組に襲撃され、うち3名が斬殺されて、政治結社としての活動はほんの8ヶ月で終息しました(油小路事件)。 伊東らを殺害した新選組は、幕末史敗者の中では、人気小説・漫画の影響か、歴史本でもよくとりあげられています。ただ、皮肉なことに、敗者である新選組を扱いながら、新選組史においては、勝者である近藤勇・土方歳三を中心(=正義)とする視点が一般的です。殺す側を正義とする歴史においては、殺された側は否定的に描かれがちです。中でも近藤・土方らの最大のライバルだった伊東は、フィクション・解説本を問わず「裏切者」「策士」「変節者」「高慢」等の悪役・悪人イメージが強く、その影響で毛嫌いする人も多いのではと思います。管理人もそうでした。でも、ちょっと史料に触れだすと、その内容と既成イメージがあまりに違うことに気づき、「えっ!?」という驚きの連続。「一和同心・国内皆兵・大開国大強国」という政治構想を掲げ、公議・衆議を通した挙国一致体制による朝廷(公卿)中心の政体を目指して公武の間を周旋しようとし、会津だけでなく薩長土、また草莽の志士たちとも接点のあった伊東ら御陵衛士たちの興味はます一方でした。調べていくうちに、新選組からの報復覚悟で志を貫いた彼らの強い絆と、個々の豪快なキャラクターにも惹かれました。彼らの本当のところを地道に調べ、ご紹介していきたいと思っています。 なお、生き残りの御陵衛士の多くは鳥羽伏見戦争を経て赤報隊という草莽隊結成に参加し、その幹部となりました。赤報隊は薩摩の西郷隆盛の支援を受けて新政府軍(官軍)先鋒として年貢半減を触れながら進軍したものの、年貢半減方針を変えた新政府により、偽官軍として捕縛され、幹部が投獄あるいは処刑されて潰滅しました。いわば維新の闇の部分である赤報隊についても、少しずつご紹介していければと思います。 幕末史にとって、御陵衛士は脇役ですらない、いわば「泡沫」のような存在かもしれません。でも、わたしは、彼らも、歴史の主役たち同様、さまざまな志、理想、野望、夢をもって、時代を駆け抜けていった若者たちだったのだと思っています。現在、彼らによい印象をもっていない方も、偏見を棄てておつきあいいただければ嬉しいです。彼らをどうしても好きになれない方、「裏切者」としてしか見られない方、新選組の一派としてしか見られない方、幕末政治には興味がなくキャラ萌えしたいだけの方は素通りしてね^^;(なお、このサイトでは「高台寺党」ではなく「御陵衛士」という呼び方にこだわっています。サイトのテーマが新選組一派としての彼らではなく、衛士を拝命して政治目的を実現しようとした彼らであること、彼らが孝明天皇の御陵の衛士であることに誇りをもっていただろうこと、当時は「高台寺党」と呼ばれていなかったようであること、などによります)。 |
管理人は、仕事柄、資料調査・分析を日常的に行っていますが、歴史は畑違いで、勉強しはじめたばかり。でも、このサイトは(1999年当時の)新選組解説本における史料の扱い方や解釈への疑問・矛盾の追究から出発しているので、それらの要約にはせず、できるかぎり多くの史資料に直接あたって比較検証し、「自分の言葉」から成るオリジナルな内容にしていきたい・・・という大それた目標をもっています。著作権のあるものについては権利に配慮し、引用は最小限で、パラフレーズや要約を中心にした上、出典や参考文献を明記しています。史料とコメントはわけています。コメントはすべて、その時点での管理人の私見であることにご注意ください。 ところで、表紙にも書いたのですが、このサイトは、2003年12月末まで、開国から江戸開城を扱う幕末サイトでした。もともと管理人の関心は御陵衛士だったのですが、御陵衛士を調べているうちに、幕末全般(特に伊東と関わりの深い幕末政治)へと興味が広がりました。その結果、幕末コンテンツが大幅に増殖してしまい、衛士情報が埋もれてしまいましたので、2004年1月、御陵衛士情報を分離し、別HPとしました。それがこの「誠斎伊東甲子太郎と御陵衛士」です(幕末コンテンツは「なるほど!幕末」と改題)。そういうわけで、管理人の中では、このサイトは、本来、幕末(別館)と合わせて一人前になっています。政治結社である衛士への理解は、幕末(幕末政治)を知れば知るほど深まる気がします。お時間のある方は、「なるほど!幕末」にもお立ち寄りいただければ幸いです^^。 作成者&管理人 ヒロ(2004/4/7最終更新) 追記:このサイトのテーマに関心のある方は、2003〜2004年に発刊された松浦玲氏の『新選組』(岩波新書)及び市居浩一氏の『新選組高台寺党』(新人物往来社)を読まれることを強くお奨めします。また、松浦氏の「新選組の功と罪 攘夷から征長に転じた”報国”の限界」『歴史群像シリーズ73 幕末大全 上』(学研)も上記『新選組』をベースに、近藤新選組の思想の変化に伊東の思想を対比させたコラムで、非常にわかりやすいです。サイト開設の1999年当時にこの2冊が発刊されていれば、伊東らについて改めて調べたり・紹介することに焦燥感にも似た必要性を感じることもなく、おそらく、このサイトを開くこともなかったと思います。それくらいの2冊(+コラム)です。 お願い: 1:YAHOOなどの検索エンジンでは、幕末カテゴリー以外に新選組カテゴリーにも掲載されていることがありますが、検索エンジン側が勝手にカテゴリー分けしたもので、こちらは決して新選組サイトではありません。やおい・パロディ・コスプレ・漫画・アニメ・ドラマ(衛士を演じた役者を含む)などの「萌え」も非常に苦手です。これらは全くの趣旨違いなので、求めて来られると・・・困ります(涙)。 2:管理人の興味は歴史であり、伊東や衛士を英雄視・崇拝すること(伊東「先生」という呼び方は大の苦手です)、まして「伊東派」を標榜することにはまったく興味がありません。勘違いされる方が時々いらして非常に困っています(涙)。 |