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御陵衛士年表(B)御陵衛士時代

慶応3年3月〜11月

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3
10 朝廷の武家伝秦より、伊東ら十数名、山陵奉行戸田大和守忠至配下御陵衛士を拝命。(山陵掛御用議奏柳原光愛からという説あり) 3.5−幕府、兵庫開港の勅許申請(公議なし)老中、余九麿入京後の一時帰国内定を告げる
3.11−容保登城再開
3.12−余九麿入京。
3.19-朝廷、兵庫開港要請を却下
3.20‐容保、病で登城停止
3.22-慶喜、開港要請の上書
3.23‐慶喜下坂
3.25-28‐慶喜、四国代表を謁見。条約履行(開港)を確約
3.25-久光、7千の兵を率いて鹿児島出立(西郷も)
3.29-朝廷、開港要請を却下

11 伊東・新井、2ヶ月余の九州出張から大阪着。(「九州行道中記」)
12 伊東・新井、昼に淀川を下って帰京。夜に同志と会う。(「九」)
13 伊東、近藤と分離策について会談。了承される。「意の如し」(「九」)
14 伊東、衛士屯所に三条別館の交渉(「九」)
15 伊東、京都町奉行大久保主膳、会津藩公用人野村左兵衛と分離策について会談。了承される。「また意の如し」(「九」)
16 稲荷祭福。伊東、両長(近藤・土方)と一酌。(「九」)
17 伊東、分離後の宿舎三条別館の交渉を日夜するがうまくいかず途方にくれる。「百計既に成りて此一事を欠く」(「九」)
18 同上(「九」)
19 宿舎の周旋(「九」)
20 伊東ら新選組分離(新選組屯所を出て)三条城安寺に泊まる(「九」)
21 御陵衛士、五条東善立寺に移る(「九」)
4
15 新選組脱走隊士田中寅三切腹(伊東らに接触したとする解説本もあるが根拠はない) 4.3-将軍帰京
4.5-会津藩、二条摂政に東帰許可を要請

4.8−容保、帰国を幕府に請う
4.12−久光・西郷、率兵入京
4.14−高杉晋作病死。
4.15−パークス伏見街道通行を所司代許可。
4.17−四卿解職
4.19−新選組山崎、中山忠能訪問
4.23−容保、参議を拝受.いろは丸沈没
5
1 新井、京を出発して九州へ。 5.1−土佐山内容堂入京
5.6-老中稲葉正邦国内事務総裁(幕
5.8−会藩公用人小野、中川宮出仕を要請(大原議秦就任阻止)
5.13−第1回四侯会議(兵庫開港の勅許と長州処分)
政改革)
5.14-四候、慶喜と会見。慶喜、勅許獲得の周旋を依頼。久光、長州藩主父子の官位復旧・幕府反正が先、全国会議の上で開港勅許と主張。容堂、王政復古を説く。また、官位復旧と開港勅許は同時にと主張。(四候の分裂)
5.23−四侯連名の建言書
5.24−慶喜兵庫開港と長州寛大の勅命獲得(摂政二条斉敬の秦上)
5.27-四候、慶喜に抗議の上書
5.29−紀州藩、賠償金支払い。在京薩長藩士の討幕決行の議決定
11 新井、大宰府へ。東久世・三条・真木・土方と会談。
25 富山、一説に曲直瀬道策を殺害という。(『殉難録稿』)
6
10 新選組総員幕臣取り立て決定。茨木・佐野・中村・富川、伊東を訪ねる。(本館【新選組総員幕臣取りたて】 6.9−後藤象二郎・坂本坂本入京。船中八策
6.14−会津家老容保早期帰国許可申請の参内。中川宮の同意。
6.16−京都土佐藩の藩論、大政奉還に。中川宮、容保の在京要請。島津候久光、山県狂介&品川弥二郎を引見。王政復古での両藩連合を伝言。
6.17−親藩会議(近藤、会藩公用局員大野英馬に会いにいったが親藩会議にでてるときいて飛び入り)
6.22−薩土盟約(大政奉還否定時の倒幕)−武田観柳斎殺害
6.23−新選組、幕臣取りたて
6.24−近藤の建白書、玄関払い(正親町三条実愛
12 佐野七五三助ら新選組脱退
13 茨木・佐野・中村・富川ら10名、新選組脱退の嘆願書を会津候に提出。【佐野七五三助ら容保への上書提出】
14 早朝、伊東は茨木らと会って謀があるかもしれないと会津邸行きを止めるが、茨木らでかける。茨木・佐野・中村・富川は新選組により殺害される。自刃説もある。<詳しく>【佐野ら会津邸で横死】
15 佐野・茨木・中村・富川の葬儀。残りの6人は隊を放逐される。(「新撰組(壬生浪士)始末記」等)
御陵衛士、高台寺塔中月真院に屯所を移す
7
27 伊東、陸援隊中岡慎太郎を訪問。(「行行筆記」) 7.1−後藤、伊達に書簡(薩摩と会津の緊張)
7.3−大監察永井&後藤、会談 
7.6−イカルス号水兵殺人事件
7.12−中川宮・慶喜、長州官位復旧なしを確認
7.13−容堂、大政奉還建白内意
7.27−陸援隊、白河に屯所
8
8 伊東・斎藤・藤堂・三樹・新井・篠原・服部・加納・阿部・毛内・橋本、議奏&山陵掛柳原前光・老中板倉勝静に長州寛大処分の建白。伊東・新井、京都を出発して大宰府へ。 8.4−四侯への勅答(官位復旧→兵庫開港の拒否)
8.6−島津・伊達の抗議の建白書。慶喜、容保に在京を直々懇願。
8.14−在京薩摩、挙兵プランを長州の使者へ(対会津戦?)、幕府目付原市之進暗殺。大久保、芸藩辻から武力討幕の同意
8.19−薩長二藩出兵協定(大久保)。薩長芸三藩出兵決定
8.20−土佐藩主、大政奉還建白を指示
8.22−中川宮・慶喜、四卿&官位復旧問題で合意
8.23−中川宮、大久保探索命
9 「過日、十人暇を願、四人は会にて殺され、六人は東下すと云。右六人、復讐の催之有るよし」(品川弥二郎日記)
21 伊東・新井、大宰府で真木外記に会う
28 下関に到着(18日の可能性あり)。(「残しおく言の葉草」)
このとき野村靖に会い、前尾張藩主の上京周旋を依頼される?(「秦林親日記」)
9
15 伊東、尾張へ。尾張藩家中と面談。(「秦林親日記」)

「残し置く言の葉草」からも秋に尾張に出張したことがうかがわれる。
9.6−島津備後率兵入京
9.7−西郷・小松・大久保・後藤会談(薩摩の変約の同意を求める‐建白書提出に同意を求める)
9.15−島津久光大阪を出発、薩摩へ帰国へ。大久保・品川・伊藤、長州へ。
9.20−永井、土佐参政後藤に建白書提出を促す(近藤も紹介される
9.23−福岡藤次、建白書草稿を西郷に
9.27−大久保・西郷・小松、後藤に同意。慶喜、居城を二条城へ.
9.28−島津父子、倒幕否定の諭達を家老に(芸・長の出兵見合せ)
10
5 近藤、大政奉還の写しをみせてくれるよう頼む。 10.3−後藤、老中板倉に大政奉還提出
10.4−後藤ら、会津藩と面会。大政奉還建白提出を通知。
10.5−大久保、中御門に討幕続行約束
10.6−大久保・品川、岩倉・中御門と会談(王政復古の詔勅と職制案)
10.8−大久保・西郷・小松、三藩会議。芸藩武力討幕に戻る。西郷・大久保、討幕の宣旨降下を請う趣意書を中山らに。
10.9−長州出兵延期の使者上洛。坂本、入京。陸援隊屯所訪問。
10.11−薩摩、即時挙兵の見合わせ。(薩土盟約への回帰)
10.13−慶喜、二条城に重臣召集。大政奉還の是非を諮問。官位復旧の宣旨。討幕・会津&桑名討伐の密勅が薩摩藩へ。。
10.14−大政奉還の奏上。討幕の密勅が長州へ
10.15−大政奉還受理。(岩倉をのぞく倒幕派公卿は満足)
10.16−岩倉、大久保に対して会津・桑名の薩土芸藩攻撃の動きを知らせる
10.17−久光の率兵上洛を促すために小松・西郷・大久保、出立。
10.18- 岩倉・中岡、薩摩屋敷へ(吉井・伊佐治)
10.21−討幕密勅の中止の沙汰書が中山から薩藩吉井へ。
10.22−慶勝、容保に守護職引退を勧告(会津は従わず)。日常業務8か条これまで通りの沙汰
10.24-慶喜、将軍職辞退の上表
10.26-外交・内政これまで通りの沙汰
7 新選組、板倉・永井の警備
9 陸援隊への間者村山、薩摩・十津川挙兵計画を会津に報告。伊東、近藤の問いに対して薩摩藩の武装蜂起計画を認める。<伊東の事件簿慶応3年>
14 この頃、新選組・見廻組、土佐藩士をつけねらう。「昨今、新選組が坂本らに目をつけているので河原町邸と陸援隊の往復も 夜はいましめている」(佐々木宛岡内俊太郎書簡)
17 新選組、小松・西郷らを大坂まで後をつける。
18 坂本龍馬が月真院を訪問。伊東は坂本に市中にいては危険だと忠告したという。(阿部談『史』) 

*坂本の同日付望月清平宛書簡には、幕吏が狙っているので薩藩邸へと吉井にいわれたが ことわった。藩邸にはいりたいのでよろしくとの内容がかかれている。
19 近藤、正親町三条実愛訪問
中旬以降:伊東、議奏柳原光愛を通して朝廷に32か条からなる建言書を提出。(詳しくはこちら
★国家危急存亡の時に際し、国内の一和同心を基本とし、国民皆兵、および大開国大強国を国是とするもの。内治を整えて外患にあたるというものである。主な綱領は以下に要約するとおり。
・王政復古には、大英断が必要である。
・「正義純良の」公卿を役に揃わせるよう決定することが急務である。
・国内上下一つに和して、同心協力の大基本を決定することが急務である。
・国是、大基本、ともに外国を以て大眼目とすることが専要である。
・兵制を改め、国民皆兵(農・工・商の分を正し、三民のほかすべて)によって国難にあたることを国是とする。
・五畿内は朝廷の直轄領とする。うち、摂津・河内・和泉の三州をもって海陸軍を取りたてる。
・天下の衆議を尽す。
・海軍開設・台場建設を急務とする。
・朝廷が統帥権をもつ。
・摂海の開港は止める。五畿内外の攘夷閉鎖は衆議が必要。世界の形成や日本の情勢に鑑み、国内皆兵・海軍開設・海防強化による強国の基本を立てた上で大開国にすべきである
・律令の昔に帰らず、制度・法則は旧弊を一新する。
・長州の毛利氏、及び大宰府の公卿の復権と、徳川氏諸藩に捕縛された志士の恩赦の沙汰を下すべきである。

(「伯父伊東甲子太郎武明」所収の建白書より要約・再構成)

<ヒロ>
同書では、慶応3年8月にこの建白書を提出したことになっているが、管理人はその内容からみて大政奉還後に提出されたと考えている。
◆伊東、中岡を訪問。「私は新撰組の一人であるが、お前を殺すということになっておる。私が新撰組におって、お前にそう言うことをいえば、あるいはうそかと思うかもしれぬが、決してうそではない。新撰組はいろいろ変遷してきて、今日では甚だよくないことになっている。それでお前らは天下の名士であって、国家のためにつくすということは承知している。承知しておるので助けたい。今日、私はその方針に向って天下の名士を助けようと思うから、どうかお前も私の言を聞いて、なるべく危険をさけてもらいたい」といったという。中岡はその場は断ったが、夕方、船越衛を訪ね、「今朝、伊東甲子太郎がきて、このようなことを言ったが、あれはかならず我をこころみるのであろうと考えたから、強く言って別れたが、それはあるいは本当かもしれぬ。万一のことがあるかもしれぬから、しばらくあなたの宿に潜伏しよう」と、その夜は船越宅に泊まったという。(芸州藩士船越談『温知会速記録』『維新暗殺秘録』の引用箇所より)
11
10 御陵衛士斎藤脱走、新選組に反復する(「秦林親日記」) 11.8-春嶽、率兵せず入京/岩倉具視に洛中居住の勅許/土佐福岡、越前藩訪問。会津の大政奉還不同意を語る。
11.9-新選組隊士後藤大助ら、伏見奉行所与力を殺害。
11.10-慶喜、二条城で春嶽に謁見。政権返還は本懐であると告げる/越藩中根雪江、永井尚志訪問。会津の現況をただす。
11.11-尾張犬山藩家老、越前藩側用人に「邪魔」な会津藩は東帰させるべきと語る
11.12-新選組の「暴論」を恐れ、越・尾の参内延期の沙汰との風聞
11.14-会津に薩土芸討伐の企てありとの噂
11.15-朝廷、慶喜に新政府組織案を諮問/永井尚志、「会津は専ら復権の主張と承り候」と危ぶむ。/会津藩公用人小野権之丞、幕権回復論を否定/大久保利通、入京
11.16-陸援隊への間者村山謙吉捕縛。
11.17-二条、慶喜・諸大名に太政官八省再興を諮問。慶喜、公議与論で決すべきと返答/中岡死亡
11.18-坂本・中岡の葬儀?/海援隊7人、新選組等の詮索が厳しく宿屋に断られ、土佐白川邸へ入る/薩藩西郷、長州三田尻で薩長土出兵の部署決定
11.19-油小路の手当て、及び葬儀両が新選組へ会津より下される/大久保、坂本暗殺は新選組に違いないとする手紙を岩倉へ出す
13 伊東、坂本龍馬を訪問(?)
15 伊東・藤堂、坂本龍馬を訪問して時勢について議論した帰りに、見廻組・新選組が狙っていると忠告するという(西村兼文『新撰組始末記』)。日付には疑問あり。伊東らは坂本・中岡にたびたび忠告し、中岡は一時寓居を変えたが、坂本はきかなかったという。
新井、同志募集に江戸へ出立。(「秦林親日記」)
<坂本龍馬・中岡慎太郎暗殺。新選組犯行説流れる>(「寺村左膳日記」)
16 *一説に、伊東、坂本の殺害者が現場に残した刀の鞘が新選組のものと証言という(『水戸幕末風雲録』)。
●阿部、土佐藩・薩摩藩に衛士の保護を求めるが拒否される。(阿部談『史』)
●この頃、服部、坂本龍馬の死を悼む歌を詠む
17
御陵衛士、建白書を提出。<伊東の事件簿慶応3年11月>
18 伊東、暗殺される。
(1) 近藤、伊東を妾宅へ呼び出し

(2) 伊東、新選組に暗殺される
19 未明油小路の闘い。藤堂毛内服部戦死
(1) 油小路の闘い
(2) 伊東らの遺骸が放置される。三樹、加納、富山、今出川薩摩藩邸に入る。阿部・内海、土佐藩邸に断られ、戒光寺に。

(3)篠原新選組の重囲を斬開き、今出川の桂宮家権太夫尾崎刑部宅に逃げ込む。四ツ頃、新選組隊士6〜7名が尾崎宅に押しかけ、篠原の引渡しを求めるが、尾崎の「いない」との返答に引上る。
(4)篠原の妻萩野のエピソード→「女達の油小路事件
●油小路に随従した小者武兵衛が篠原の妻萩野に急を報せる。萩野は月真院に向うが誰もいないので伊東妾宅?に立ち寄るが、新選組隊士に尾行されており、密かに抜け出す。(「秦」)
●萩野の留守宅には新選組隊士が押し入り、家財道具を没収して三日間見張る。隙をみて、下僕が篠原の息子を連出し、大坂に潜伏する。(「秦」)


慶応3年11〜12月
11
20 篠原・阿部・内海、今出川薩摩藩邸に保護される。 薩摩藩中村半次郎、衛士残党に坂本・中岡暗殺犯(新選組の関与)について質問する(阿部談『史』、「京」)
●新井の妻小静、篠原の妻萩野、伊東の妾が薩摩藩遠武橘次の屋敷に逃げ込む。25日まで、薩摩藩留守居役内田忠之助、高崎左京、大久保一蔵宅に潜伏する。(「秦」)
11.20-春嶽、慶喜の政権奉還は真意であると納得して、尽力を誓う。
11.21-公議政体派・土佐藩後藤象二郎入京
11.22討幕派岩倉具視、中山忠能宛書簡に「慶喜は理があるが会桑の罪いかん」と記す
11.23-薩摩藩主島津茂久、率兵入京(小松抜き)/慶勝、二条城で慶喜に対談。「疑念氷解」
11.24-薩摩藩吉井幸輔、慶喜への疑念はないと発言。また、公議による王政復古を急ぐ必要性を主張
11.25-後藤、越前の同意を得て朝廷工作へ。/長州兵、進発。
11.27-永井尚志、土藩後藤に慶喜の構想は「郡県制」と伝える/薩藩大久保、徳川の反正真実ときくが「紀会桑等の雑説もあれば」と疑念。
11.29-会藩公用人手代木直右衛門、春嶽に大政奉還後の状況を否定/越前藩内、「尊王旗」を掲げて公議政体を進め、異論を討つとの議論。
11.29-大久保、正親町三条実愛にクーデターを入説。長州、西宮上陸
21 篠原・阿部・内海、伏見薩摩藩邸に移される。(阿部談『史』、「秦」、「京」)
●土佐藩毛利恭助、谷干城、伏見薩摩藩邸を訪ね、御陵衛士残党に坂本・中岡暗殺犯について質問する。(「神」)
24 薩摩藩吉井幸輔、越前藩中根雪江に「甲子太郎暗殺なども惜しむべき事にて、彼は頗る有志にて、先達の建白などは、一々尤も至極同論の事ども」と語る「丁卯日記」
25 ●妻たち、伏見薩摩屋敷へ駕籠で送られて合流。その後、12月28日まで炊事・洗濯などの世話をする。(「秦」)
26 ●近藤勇、若年寄格永井から取り調べをうける。甲子太郎斬手続き(正親町三条実愛)
12
8 陸援隊(橋本)、鷲尾侍従を奉じて京都を脱出。 12.2−大久保・西郷、後藤にクーデター計画伝える。長州兵上洛に関する二条城での会議。長州の上坂の朝命 
12.5−岩倉、後藤のクーデター延期要請を「会桑新撰」の動きを理由に拒否
12.7-天満屋事件
12.8-長州藩主父子の官位復旧・七卿赦免
12.12-徳川慶喜、会津・桑名藩主を連れて京都退去/新選組、二条城警護へ
12.13−徳川慶喜、大阪城に入城−薩摩藩の軟化・新選組、二条城警護で水戸藩と対立
12.14-岩倉具視、慶喜の辞官問題に軟化/新選組、新遊撃隊御雇を拒否して下阪
12.15-新選組、監察を伏見に
12.16-岩倉、辞官納地にさらに譲歩/新選組、伏見入り
12.17-岩倉、慶喜の上洛を懇請・新選組を疎み、町人が伏見脱出
12.18-永井尚志、慶喜上洛を促しに下坂/会・桑の帰国を促す沙汰が/慶喜のクーデター非難状が京都に届く
12.20-近藤・沖田、下阪
12.21-慶喜、早期上洛を了承/薩・長・芸・土に伏見巡邏の朝命/新選組、薩摩兵らと衝突/大久保利通、会津と新選組の軍事行動を非難
12.24-伏見新選組、土佐の後藤らと衝突
12.25-この頃、尾張藩、新選組の伏見撤退を要求
12.26-慶喜に上京の朝命・新選組撤退が条件
12.29-新選組、薩摩藩に間者
12 新井、江戸で同志募集を終えて出立。(「秦」)
●陸援隊、高野山着。挙兵。

薩摩藩中村半次郎から外出許可が下りる。(阿部談『史』)
16 新選組、衛士残党の間者を殺害
17 加納、京都から戻り、沖田が近藤妾宅にいるとの情報をもたらす。(阿部談『史』)
18 伊東らの祥月命日。
阿部佐原内海、早朝に伏見を発って沖田を襲撃するが、沖田は新選組本陣(伏見奉行所)に戻った後で失敗(阿部談『史』)
阿部佐原内海、京都寺町で近藤をみかける。伏見藩邸に戻り、篠原・加納・富山を誘って、近藤を待ち伏せて襲撃するが、怪我を負わせるだけにいたる。今出川の薩摩藩邸に逃げ込む。(阿部談・秦談『史』)
関連:「徒然」御陵衛士−Survivor's guil
22 新井四日市着。変装した妻小静にめぐりあい、油小路事件をきく(「秦」)。
<ヒロ>江戸から何も知らずに帰京してくる新井を案じた妻小静は、恐らく12月中旬に外出許可が下りるやいなや、乞食に変装して京を抜け出し、東海道を江戸方面に向かい、四日市で新井を待ち受けていたのでは・・・と思う

●高野山挙兵組、新編成。橋本、東一番隊伍長に(隊長は田中光顕)
23 新井妻と袂をわかち、早朝に四日市を出立。(「秦」)
25 新井泉涌寺近くの井上謙蔵を訪問し、同志の安否を確かめる。夜、伏見薩摩藩邸に入って同志と再会。(「秦」)
●江戸薩摩藩邸焼き討ち

薩摩藩吉井幸輔・大久保一蔵・伊地知正冶から薩摩藩江戸屋敷焼き討ち後の情況探索を依頼される加納清原京を出立。(加納談『史』)

<主要参考文献>
『史談会速記録』・『京都守護職始末』・『再夢紀事・丁卯日記』
『修補殉難録稿』・『中岡慎太郎 新訂 陸援隊始末記』
『維新暗殺秘録』・『新撰組顛末記』・『新選組覚書』・『高台寺党の人びと』
『新選組史料集コンパクト版』・『新選組日誌下』(新人物往来社)収録の上記史料

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