1863年1月28日(文久2年12月9日)、講武所方教授の松平主税助が「浪士組」の取扱に任命されました(『続徳川日記』)。松平は政治職総裁松平春嶽に浪士組結成の献策を出しており、これが前日幕閣の協議で決定されていました。この献策は実は出羽出身の郷士清河八郎によるものでした。 また、それから5年後、1868年1日28日(慶応4年1月4日)、前日に勃発した鳥羽伏見の戦いは鳥羽街道に場所を移して攻防が続けられました。(『島田魁日記』、『新撰組往事実戦譚書』) <ヒロ>西暦になおすと、浪士組の結成が幕閣により決定した日と鳥羽伏見の開戦の日が同じ1月28日になるんです。新選組の始まりのきっかけとなった日と終りのきっかけになった日が同じなんだなあと不思議な気がします。 <参考>『新選組史料集コンパクト版』(新人物往来社)所収の関連史料、『90分でわかる幕末維新』(かんき出版) 2000/1/28 |