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元治元年10月19日(1864年11月18日)
【坂】越前藩公用人本多修理ら、尾張藩附家老成瀬と会い、征長について種々の申し入れ、確認を行う
【京】一橋家雇原市之進、会津藩士外島機兵衛に、在京水戸藩士に過激な者がいれば密報を依頼
【京】老中稲葉正邦、征長出陣の為参内

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■征長副将の動き
【坂】元治元年10月19日、越前藩公用人本多修理らは、尾張藩附家老成瀬成瀬正肥と会い、征長について種々の申し入れ、確認(長州謝罪の際は面縛開城以外は攻撃の手を緩めぬこと等)を行いました。

越前藩は、長州藩が謝罪してきた際には、面縛開城以外は攻撃の手を緩めぬことについて確認を求めたのですが、尾張藩側は「甚胡乱」だったそうです。そこで、再度確認したところ・・・
越前 攻撃時に臨んで、彼より謝罪を総督に請う間は攻口を緩めてくれるよう申し出ても決して受けず、総督の命があるまでは(兵を)解かぬこと(を確認したい)
尾張 その通り。
越前 総督から謝罪のことがあるので攻口を解くように命令があっても、城を受け取るまでは解くべきではない。父子が(城を)出て降伏するまでである。(長州から)胡乱な事を御聞受け、江戸へ御伺いなどとなっては徒に日を送るだけなので、面縛開城でなければ攻口を緩めることは致さぬ。面縛開城までなされるのが、総督の御職務と存じる。そのうえ、城へは番兵を配置するか、尾公が御守りなされるかにて、降伏する父子を御受取り、江戸へ御差し出して御指図にお任せなられるのか、総督の御決着と存じる。
尾張 その通りの心得である。

<ヒロ>
征長副将越前藩は、「朝敵」長州に対して強硬ですよね。やる気のない尾張藩に対し、畳みかけています。

参考:『越前藩幕末維新公用日記』(本多修理日記)p45-46(2018/8/26)
関連:テーマ別元治1■第一次幕長戦へ(元治1)

その他
【京】一橋家雇原市之進、会津藩士外島機兵衛に、在京水戸藩士に過激な者がいれば密報を依頼
【京】老中稲葉正邦、征長出陣の為参内

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