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幕末薩摩藩年表(3)文久元年(1861)

安政・万延年間(1854〜60)← →文久2年(1862)

薩摩藩に関る主なできごと その他の幕末の主なできごと
1-【鹿】大久保利通、有馬新七らの長崎外国人襲撃計画をとめる。
2/18-【江】幕府、島津久光(藩主茂久の実父)の藩政補佐の功を認める。
3月-【江】尊攘結社虎尾の会(幕臣3名(山岡鉄舟・松岡万・他)、薩摩藩7名(伊牟田尚平・樋渡八兵衛・神田橋直助・益満新八郎・美玉三平・他)、浪士10余名(清河八郎・池田徳太郎・安積五郎・村上俊五郎・石坂周造・北有馬太郎・西川練造・白井佐一郎・桜山五郎・他)らが参加)。8,9月に横浜を焼き討ちし、檄を飛ばして同志を糾合し、敵対者は将軍・諸侯でも斬り、天皇に奏上し、錦の御旗を奉じて天下に号令するというもの。
4/23-【鹿】茂久、久光を「国父」とし、本家に復帰させる。(このとき、諱を久光に、通称を「和泉」にする)
5-【鹿】小松帯刀、久光の側役に登用される。
7/5−薩摩藩、意見書を提出した37士を水戸藩江戸屋敷に引き渡す
10/7-【鹿】久光、造士館助教の堀仲左衛門を小納戸に抜擢。久光東上の下準備のための京都・江戸への使者を命じる。(堀次郎と改名)【仙】伊牟田、仙台潜伏中の清河八郎に幕府の天皇廃立計画、水薩浪士の安藤襲撃計画を告げる。清河、安藤襲撃に反対。西上し、田中河内介を擁して九州志士の決起を呼びかけることに決する。
10/23-【鹿】大久保利通、勘定小頭格から御納戸役に抜擢される。
10/24-【鹿】薩摩藩、江戸の堀に芝藩邸放火を命ずる
11/9-【鹿】久光、東上の勅命降下工作・近衛家との縁談(島津本家の養女を近衛忠房夫人とする)のため、中山中左衛門を上京させる
11/23-西郷隆盛の召喚状が大島に届く
12/7-【江】堀、芝藩邸への放火を実行。
この頃、【鹿】平野國臣・伊牟田、薩摩に入り、決起を促す
12/25-【鹿】久光、東上の勅命降下工作に大久保を上京させる。
3−幕府(老中安藤)、江戸・大坂の開市と兵庫・新潟の開港7年延期を求める親書を各国元首に送付。
3/28長井雅楽、藩主毛利敬親に公武合体的開国通商論の「航海遠略策」を建言。周布の斡旋で藩論に。
5/28-水戸浪士らによる英国公使館襲撃事件(第1次東禅寺事件)
6月−幕府、慶篤に水戸浪士逮捕を命令。
6/19−幕府、大船の建造・外国商船の購入を解禁
7/26〜28−幕府、桜田門外の変犯人の水戸浪士の死罪・追放等の処分を行う。
8-武市半平太・間崎哲馬・平井収二郎・中岡慎太郎・坂本龍馬ら、土佐勤王党結成。
12/8長州藩、「航海遠略策」を正式に建白
12/30:老中久世、長井に公武の周旋を任せるという将軍家茂の内意を伝える。
12-江戸・大坂の開市、兵庫・新潟の開港延期のための幕府遣欧使節出発。物価引上・暴利の禁止令。
関連:「開国開城-航海遠略策(公武合体的開国論)
最終更新:2004/6/23


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主な参考文献:
、『人物叢書西郷隆盛』、『大久保利通』、『西郷隆盛』、『大久保利通と明治維新』
『島津久光と明治維新』、『徳川慶喜公伝』、『維新史』



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