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桜田門外の変 2」編

桜田門外の変(安政7年3月3日)とは


−勅涕和歌集(慶応3年12月)、殉難全集(明治2年)より−
*殉難全集は、城兼文編。城は、『新撰組始末記』を著わした西村兼文です。

井伊直弼
いい
なおすけ
彦根
藩主
<安政7年3月3日 江戸城桜田門外で暗殺死>

「世の中をよそに見つつもうもれ木の 埋もれてはおらむ心なき身は」
「わたつ海の底にはふちも瀬もなくて 水のみなかみ常にたえせず」
「影うつる池の錦のその上に なほ咲かるる糸萩の花」

浦賀警備の藩士安藤七郎右衛門へ与えた歌
「露けくも秋の夜すがらあかす哉 そでのうらかをおもひやりつつ」

嘉永4年6月初入国の際に詠んだ歌
「覆ふべき袖なほ狭しいかにせむ ゆく道繁き民の草葉に」
「よそに見て有るべきものか道の辺に 出立つ民の慕ふまことを」

「此ほどの旅のつかれもわすれけり 民すくはんとおもふばかりに」


安政5年12月、辞職をすすめる宇津木・長野に対して
「春浅み野中の清水氷り居りて そこの心を汲む人ぞなき」

安政7年3月2日、桜田門外の変前日に
「咲かけしたけき心の花ふさは ちりてそいとと香に匂ひける」

関連:「残し置く言の葉:井伊直弼−「うもれ木の埋もれておらぬ心なき身は」」
長野義言
ながの・
よしとき
彦根
藩士
<文久2年8月27日 彦根で刑死 48歳>

辞世
「飛鳥川きのふの淵はけふの瀬と かはるならひを我身にそ見る」

墓碑に刻まれた和歌
「君がこの今日の出でまし待得てぞ 萩の錦もはえまさりける」

関連:文久2年8月27日:長野主膳斬首
加藤
吉太夫

彦根
藩士
<文久2年11月7日 老中井上正直邸で自刃をはかる>

「井伊藩加藤吉太夫 三十六歳
痛哭三年怨有余、君臣大義果如何、一刀是筆血是墨、為寫公家寃白書、

寝てすます 起ては猶も すまぬ世は 死より外の 道無かりけり」


関連:文久2年11月7日:彦根藩士加藤吉太夫、幕府に抗議して自刃
 <参考文献>『開国始末』、『人物叢書 井伊直弼』


<小伝>

じゅんびちゅう

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