[PM1:10 若駒寮・長瀬健一の部屋]
「ああ……」
片山は、気の毒なくらいがっくりした。自業自得と言ってしまえばそれまでなのだが……。
「なんでここにあるんだ? あれは確か、篠崎が海に落としちまって拾えなかったはずだが」
「……拾ってたんだ……」
やつは、ついにそれを口にした。おそらく、自分以外のやつの前で言ったのは初めてなのだろう。
「篠崎は、ちゃんとこれを拾えてた。それを、俺が奪ったんだ……」
「そうか……。だが、なぜそんなことをした?」
細かい言い訳はいらない。出来心なのだと、きちんと認めてほしかった。
だが……。
「……あの日、篠崎が海から引き上げられてすぐ、俺は心配になってやつの脈を取ろうとした。そのとき、やつがこれを握ってたのに気付いたんだ。それで俺には、やつのおぼれた理由がわかった。これを海に落として、拾おうとして無理に潜り続けたんだって」
「そうだな」
「だけど……だけど俺は……あの頃からずっと、真理子ちゃんが好きだったんだ!」
「何……!?」
床が抜けるかと思った。まったくの、予想外のセリフだった。
確かに桂木は女だし、片山はそうではない。理屈ではどこもおかしくはないのだが、それでも……同期仲間に恋をするなどというのは、俺の理解を超えた感情だった。ただひとつ、半ば同情心の変化のような、桂木の篠崎への想いだけが例外だと思っていた。
それが……。
……それとも、俺の方が理解なさすぎたのか……?
「……もし篠崎の溺れた理由が俺の考えた通りなら、これをそのまま持たせておいたら、きっと真理子ちゃんは『自分の命を危険にさらしてまでこれを拾ってくれた』って、やつに好意を持つ。もともと彼女はやつにはとりわけ優しかったから、その可能性が怖くて……俺は、やつの脈を取るふりをしながら、誰にも見つからないようにこれを奪って隠したんだ。冷静に考えれば、やつが目を覚まして直接しゃべったらそれまでなのに、それでも俺には……そのときの俺には、それしかできなかったんだ……」
ブローチの価値に目がくらんだわけではなかったのか。
やったことは変わらないが、それでも……俺は何となくほっとした。
「あいつは、3日間目を覚まさなかった。俺がそうさせたんじゃないのはわかってたけど、心苦しくて……これを出して謝ろうと何度も思った。だけど……真理子ちゃんが俺をどう見るかと考えると、できなかった。俺は、自分が傷つくよりも、あのふたりを傷つける方を選んだんだ!」
……俺の記憶が、あの頃に還った。
篠崎が運ばれた先の病院。普段は滅多に泣かない桂木が、心配に耐えかねてこれでもかと涙をこぼした。雰囲気を変える目的だったんだろう、今は関西に行った同期の男が「篠崎のこと好きなんだろ」と冷やかした。「そうね……そうかもしれない」と桂木はそれを認めた。
そして、片山……。
『お前、もう絶対みんなを心配させるんじゃないぞ! じゃないと俺は……俺は……!』
3日後に篠崎が意識を回復したとき、やつはそう叫んで泣きついた。それを見て俺は、自分の罪をごまかすための演技だと解釈してしまった。さらにその後、やつが篠崎に友好的に接するようになったと感じたときも、過去を悟られないためのカムフラージュとしか考えなかった。
だが……違った。
あの叫びは、桂木が篠崎を好きだと知ってしまった片山の「彼女を不幸にするな」という願いだったのだろう。
そして、篠崎への優しさは、最善とは言えないまでも、こいつなりの償いだった……。
「……お前、覚えてるか? 病院で、彼女が篠崎を好きだって認めたこと……」
片山の話も、ちょうどそれに触れた。
「覚えてるさ」
「皮肉なもんだよな……。こんなことしてからそれを知るなんて」
やつは、つかんでいたブローチを写真立てふたつの間に置いた。
「そういえば、その写真は何なんだ?」
「戸棚の中に並べて飾ってたんだ。自分のじゃなくて篠崎の写真を並べることで、自分を正当化しようとでもしてたのかもしれない。俺は彼女の恋を応援してるんだぞって、正義の味方気取りさ。もちろん、本心はそうじゃなかったんだろうけど」
そう言って、苦笑いする。
「篠崎も、彼女が好きだったんだ。たったさっき、お前が東屋厩舎に来る直前に、はっきり言われた。……正直、もうわからないよ。これからどう生きていけばいいのかも、あのふたりとどう向かい合えばいいのかも、ここからどう動けばいいのかさえ……」
……たった今現れた分岐点。その選択は、すでに完了していた。
「片山。……厳しいようだが、お前のやったことはやっぱりよくないぜ。どんな事情があろうとも、そのせいで篠崎が『ブローチを拾えなかった』と自分を責め続けているのは事実なんだからな。だから、お前がやるべきなのは、そのブローチを桂木に返して、あいつらにすべてを話して謝ることに他ならない」
「やっぱり、そうだよな……」
「ああ。それが、最終的には誰にとっても一番いい解決法だと思う。お前の長い恋は終わるだろうが、それは罰ってことで片づけるしかあるまい」
「……わかった……」
片山は、ゆっくりとうなずいた。
俺は考えた。
今頃篠崎はもう、あの海に向かって出発していることだろう。
あいつは免許を持ってないから、行くなら電車だ。とすると、今なら追いつける……。
「片山、これからドライブに行かないか?」
「え……?」
「苦しかっただろう、3年間も。今日をその最後の日にするために、俺がいい場所に連れてってやる」
「……そうだな。連れてってもらうよ……」
やや迷ったあとに、片山は素直になった。
「よし。それじゃ、早速仕度してこい。……ああ、そのブローチと写真は持っていった方がいいな」
……俺のその言葉に、やつが答えることはなかった。ただ、桂木の写真の上にブローチを乗せたときに、小さくつぶやいただけだった。
「……真理子ちゃん……」