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[PM1:10 常磐自動車道]

……3年前。

当時競馬学校の1年生だった私は、同期生総勢8人(うち4人は関西所属)プラス教官で、福島の海へ旅行に行った。サマーキャンプだ。
7月……シーズンはまだ始まったばかり。8人の中には、海に入って遊ぶ人たちもいれば、砂浜でビーチボール遊びをする人たちもいた。私はといえば、ちょっとだけど水が怖かったため、ボール遊びが好きな片山くんや実はカナヅチの長瀬くんと一緒に、砂浜組だった。
でも……ただひとり、そのどっちにも入らないでどこかへ行ってしまった人がいた。
篠崎くんだ。
入学当初から、他の仲間たちとはかなりの距離を置いてつきあっていた……いや、つきあおうという気持ちさえ見えなかった彼。私はそんな彼をいつも気にし、よく話しかけたりしていた。彼は私を拒まなかったけど、受け入れてもくれず、いつもひとりでいたがった。
あの日もそうだった。だから私も、いつものように彼をみんなの前に出させようと、砂浜のメンバーに断ってひとりで彼を探しに行ったのだった。
探しまわった末、砂浜から少し離れた岩場で海を眺めているのを見つけた。私は笑顔で近づき、砂浜の方へと誘った。
彼は、来たがらなかった。
いつもなら、しつこくならないようにすぐ「そう、それじゃ」で去っていく私だったけど、このときは違っていた。それではいつまでも孤独なままなんじゃないかと考えて、少し粘ることにしたのだ。
すると彼は、その綺麗な瞳で私を見つめてつぶやいたのだった。
「……君は、ぼくを避けないんだな。いつもそうだ……」
私は言った。あなただけ避けなきゃいけない理由なんてない、今だってあなたを探すためだけにここに来たのよ、と。
その言葉に心を動かされた……のだと私は思う……彼は、初めて自分のことを私に語ってくれた。みんな騎乗が上手いし、自分は人づきあいが苦手だから、いつも引け目を感じて逃げてしまう。孤独が好きなわけじゃないから、楽しい記憶も欲しいけど……と。
そう聞いた私は、その「楽しい記憶」を作ってあげようと、少しの冒険に出た。結果的には、楽しいどころかお互いのつらい記憶の起点になってしまったわけだけど……。
私は、水着の上に着ていたシャツを岩場に脱ぎ捨て、そこの遊泳禁止の海に飛び込んだのだ。深さが何メートルもあって怖いことこの上なかったけど、彼のためにはそんなことは言ってられない。
一緒に遊ぼうと誘うと、彼はためらいながらも、同じようにシャツを脱いで入ってきた。
彼の顔には、私を仲間として認めてくれた証とも取れる笑顔が浮かんでいた……。
私たちは、しばらくそこではしゃいで遊んだ。水をかけ合ったり、どこまで潜れるか競ったり。彼が海辺の町の出身で、海に潜るのが昔から得意だったことも、このとき知った。私も一応海辺の熱海の出身だけど、泳ぎは本当に苦手で、彼がとても上の存在に思えた。
これをきっかけに、私たちはぐっと親しくなったのだった。

やがて泳ぎに疲れた私たちは、岩場に上がって話をした。
……彼の理想の女の子が「活発な子」だと知ったときは不思議なときめきも感じたけど、まだそれが「恋」だという自覚はなかった。ただ、この楽しい時間がずっと続けばいいなと思っていた。
でも、私は本来、彼をみんなのところへ連れていくために来たのだ。それを思い出し、楽しさをひとり占めするのをやめて、砂浜へ戻ることをもう一度彼に提案した。
彼は、私と一緒に戻るとみんなに何か言われそうだから先に行っててほしいと言った。ちょうど、今私がひとりで海に向かっているのと同じ理由だ。私はそれに納得し、ひとりで砂浜に帰ったのだが……。

……彼は、戻ってはこなかった。10分経っても、20分経っても。
心配になった私は、再び岩場へ走った。
そこで私が見たものは……岩の上に残された彼のシャツ1枚だけだった。
慌ててシャツを脱いで海に飛び込み、波に顔をつけてみると、その底には彼の姿が……。
私は砂浜に向かって大声で助けを呼ぶと、待っている時間も惜しくなり、そのまま海に潜った。

何とか、彼を引き上げることはできた。長瀬くんが水を吐かせ、片山くんが脈を取り……みんなが進んで彼を助けようとした。
でも……彼は、息や脈はあったものの意識がなかった。
やがて教官の呼んだ救急車が到着し、彼はそのまま病院へ運ばれた……。

……彼が目を覚ましたのは、それから実に3日後だった。みんな涙を流して喜び、片山くんは「みんなを心配させるな」と彼に泣きついたりもした。
だが……同時に彼の溺れた理由が明らかになり、私の喜びはそこで消えた。
なんと、それは私のせいだったのだ……。

すべては、こういうことだった。
私がひとりで去ったあと、時間を置いて戻ろうとした彼は、岩場の上にひとつのブローチを見つけた。
それは、たくさんの宝石が星のように散りばめられた、私のお気に入りだった。競馬学校への入学が決まった私に、しばらく会えなくなるからと、7つ上の姉・奈美子がくれた物だ。砂浜にいたとき同期の女の子(今は関西のジョッキー)から聞いたところによると、20万ほどするブランド物だったらしい。姉はいわゆる「夜の仕事」をしていたので、そんな高い物を買えたのだろう。
あの日は、シャツの胸に留めていた。たぶん、海に入るためにシャツを脱いで岩場に置いたとき、岩にぶつかった衝撃で外れて落ちたんだろう。彼もそう考えて、私に返そうと思って拾ってくれた。
が……。
立ち上がった彼は、立ちくらみを起こして倒れ、ブローチを深い海に落としてしまった。
そして彼は責任を感じ、懸命に潜って拾おうとしてくれたのだが、ついに力尽きて……。

……結局、彼はブローチを拾うことはできなかった。
それも彼によると、一度は見つけてしっかりつかんだのに、そこで全身の力が抜けて意識を失ってしまったという……。

彼はそれに関して、ひどく自分を責めた。
でも……本当に悪いのは私の方。それは、誰が見ても明らかだ。
もし私がブローチを岩場に落とさなければ、あるいは落としたことに気付いていれば……彼は溺れたりしないですんだ。
私は……私はあの日、一番大切な人を死なせるところだったのだ……。

 

 

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