[PM1:10 若駒寮・長瀬健一の部屋]
「ああ……」
俺は、がっくりとうつむいた。
「なんでここにあるんだ? あれは確か、篠崎が海に落としちまって拾えなかったはずだが」
「……拾ってたんだ……」
とうとう、その事実が他人に話された。
「篠崎は、ちゃんとこれを拾えてた。それを、俺が奪ったんだ……」
「そうか……。だが、なぜそんなことをした?」
心情の変化には敏感だった長瀬も、その理由まではわからないらしい。
俺は、そのブローチを手にして話し出した。
「……あの日、篠崎が海から引き上げられてすぐ、俺は心配になってやつの脈を取ろうとした。そのとき、やつがこれを握ってたのに気付いたんだ。それで俺には、やつのおぼれた理由がわかった。これを海に落として、拾おうとして無理に潜り続けたんだって」
「そうだな」
「だけど……だけど俺は……あの頃からずっと、真理子ちゃんが好きだったんだ!」
「何……!?」
長瀬は大声を上げて驚いた。行き場をなくした視線が、空中を泳ぐ。
「……もし篠崎の溺れた理由が俺の考えた通りなら、これをそのまま持たせておいたら、きっと真理子ちゃんは『自分の命を危険にさらしてまでこれを拾ってくれた』って、やつに好意を持つ。もともと彼女はやつにはとりわけ優しかったから、その可能性が怖くて……俺は、やつの脈を取るふりをしながら、誰にも見つからないようにこれを奪って隠したんだ。冷静に考えれば、やつが目を覚まして直接しゃべったらそれまでなのに、それでも俺には……そのときの俺には、それしかできなかったんだ……」
長瀬は視線を戻した。俺は話を続けた。
「あいつは、3日間目を覚まさなかった。俺がそうさせたんじゃないのはわかってたけど、心苦しくて……これを出して謝ろうと何度も思った。だけど……真理子ちゃんが俺をどう見るかと考えると、できなかった。俺は、自分が傷つくよりも、あのふたりを傷つける方を選んだんだ!」
3年前の夏の古傷。
ジェラシーに駆られて、彼女のブローチをあいつの手から奪った。
見方によっては、「なんだそんなことか」で片づけられる場合もあるかもしれない。
でも……結果は最悪だった。
あいつは、「ブローチを拾えなかった」自分を、俺が思っていた以上に強く責めた。
彼女は、そんなあいつを見て、心から笑えなくなった。
そして俺は、あの日の一瞬を、いつまでも忘れられなかった……。
「……お前、覚えてるか? 病院で、彼女が篠崎を好きだって認めたこと……」
俺は長瀬に聞いた。
「覚えてるさ」
「皮肉なもんだよな……。こんなことしてからそれを知るなんて」
つぶやきながら、俺はブローチを写真立ての前に置いた。
「そういえば、その写真は何なんだ?」
長瀬の視線が、今度は俺の手の先に来る。
「戸棚の中に並べて飾ってたんだ。自分のじゃなくて篠崎の写真を並べることで、自分を正当化しようとでもしてたのかもしれない。俺は彼女の恋を応援してるんだぞって、正義の味方気取りさ。もちろん、本心はそうじゃなかったんだろうけど」
無理に笑って、ため息をつく。
「篠崎も、彼女が好きだったんだ。たったさっき、お前が東屋厩舎に来る直前に、はっきり言われた。……正直、もうわからないよ。これからどう生きていけばいいのかも、あのふたりとどう向かい合えばいいのかも、ここからどう動けばいいのかさえ……」
「片山」
うつむいた俺に、長瀬が呼びかけた。
そして……。
「厳しいようだが、お前のやったことはやっぱりよくないぜ。どんな事情があろうとも、そのせいで篠崎が『ブローチを拾えなかった』と自分を責め続けているのは事実なんだからな。だから、お前がやるべきなのは、そのブローチを桂木に返して、あいつらにすべてを話して謝ることに他ならない」
思っていた通りの答えだった。……それは、俺自身もこいつにそう答えてもらいたかったということでもある。
「やっぱり、そうだよな……」
「ああ。それが、最終的には誰にとっても一番いい解決法だと思う。お前の長い恋は終わるだろうが、それは罰ってことで片づけるしかあるまい」
「……わかった……」
俺は、覚悟を決めてうなずいた。
罰。
罪には罰が必要だ。
俺は、すべてを話すことで、自分自身を裁く……。
「片山、これからドライブに行かないか?」
「え……?」
突然、長瀬は渋く笑ってそんなことを言った。
「苦しかっただろう、3年間も。今日をその最後の日にするために、俺がいい場所に連れてってやる」
「……そうだな。連れてってもらうよ……」
俺は、それを受けることにした。
長瀬はきっと、俺を本来の俺……あの日を迎える以前の、遊ぶのが大好きな俺に戻したいのだ。
「よし。それじゃ、早速仕度してこい。……ああ、そのブローチと写真は持っていった方がいいな」
……意味はわからなかった。でも、俺はそれに従うことにした。
「……真理子ちゃん……」
ブローチを彼女の写真の上に乗せながら、俺はつぶやいた。すると、なぜか笑顔が出てきてしまった。今までに何度となく見せた偽りの笑顔、ぎこちない笑顔だ。
……こんなに追い詰められてもまだ笑っている自分が、悲しくてたまらなかった……。