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[AM10:20 北ブロック]

朝食がすむと、俺は寮を出て自転車に乗り、所属の寺西徹次厩舎へと向かった。
午前中に厩舎の前の掃除をする。それは、厩舎内では末弟のような存在の俺の仕事だった。
美浦トレセンは、中心部を走る私道によって南北に分かれている。そのため、厩舎の名前を言うときに「北(南)の何々厩舎」といった言い方をすることが多い。
寺西厩舎は北ブロックだ。他の同期の所属は、真理子ちゃんが南の五十嵐雅生厩舎、篠崎が北の東屋雄一厩舎、長瀬が南の高遠敏久厩舎。お世辞にも仲がいいとは言えない俺と篠崎、互いに「特別な感情」らしきものを持ってない真理子ちゃんと長瀬がそれぞれ近くの厩舎の所属なのは、皮肉と言うより他にない……。

そんなことを考えながら北ブロックエリアに入ると、木の下で涼んでいるらしい「今日の主役」が目に飛び込んできた。
「お、篠崎! こんなとこで何してんだ?」
俺は自転車を止めて声をかけた。
「……別に」
だが、やはり篠崎は篠崎だった。声の主が俺だとわかるやいなや、不機嫌そうにそれだけ言って横に停めてあった自分の自転車に飛び乗り、俺が元来た方へ向かって逃げてしまった。
「お……おい!」
追いかけようとも思ったが、やめた。同期の中であいつだけは、寮ではなく東屋厩舎に住み込んでいる。個人的に外出されたりしない限り、見つけ出すのは簡単だ。厩舎での仕事が終わって落ち着いてから、改めて探すことにしよう……。
そう決めると、俺は再び自転車を走らせた。寺西厩舎まであと少しだ。

 

 

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