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[AM11:30 東屋雄一厩舎・大仲部屋]

30分ほどして東屋厩舎に帰ってくると、驚いたことに、遠藤さんひとりしかいなかった。
「お、剛士! 頼む! 留守番引き受けてくれ!」
「ちょ……ちょっと待ってくださいよ。誰もいないんですか? それに……」
いきなり遠藤さんにすがりつかれ、ぼくはうろたえてしまった。
「もともと先生と俺しかいなかったところに、1時間近く前に先生も呼び出されたんだ。何でも、高遠厩舎で馬が大ケガしたとかで……」
東屋先生は、この厩舎を開業する前はトレセンの獣医をしていた。その関係で、何か大きな事故があるとたびたび呼び出される。高遠厩舎ということは……さっき長瀬が飛んでいったのはそのためだったのだろう。
「俺、これからデートなんだよな……。だからお前、留守番してくれよ、な?」
デート……今朝彼が「野暮用」と言っていたのはこれだったのか。
しかし……。
「先生が帰ってくるのはいつ頃になりますか?」
「あと1時間くらいかかるって、さっき電話があった」
「そんな……」
「あ、そういえばお前、誰かと遊びに行ってこいって先生に言われてたのか。まいったな……」
「……いいですよ。ぼく、留守番します。こっちの事情はどうにでもなりますから」
ぼくはその道を選んだ。……もともと、こうするべきだったのかもしれない。無理に桂木さんを連れ出すよりも、これを理由にさっきの話を帳消しにして、彼女を自由にしてあげた方が……。
「そうか! じゃ、頼んだぞ」
言うが早いか、遠藤さんはそのまま厩舎を飛び出していってしまった。もちろん、服も作業着のままで。
……こういう彼とデートする女性は、どこの誰なんだろう。
ふと、そんなことを考えてしまった。

 

 

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