鉄道・旅行のページ
006 「みちのくフリーきっぷ」で行く北東北 (2)

0. 出かけるまで
1. 急行はまなす〜十和田観光電鉄線
2. 古牧温泉・八戸・盛岡
3. 山田線・岩泉線
4. 釜石
5. 釜石→田沢湖(新花巻,新幹線「こまち」)
6. 田沢湖畔・玉川温泉
7. 角館(かくのだて)
8. 秋田内陸縦貫鉄道,日本海3号
9. 弘前・弘南鉄道
10. 青森,そして帰還


3. 山田線・岩泉
2番線のホームにはまだ発車まで20分以上あるにもかかわらず山田線に乗ると思われる子供連れや数人のグループがいくつもいた.どうせローカル線だし,車内はガラガラだろうと思っていたので少々誤算だった.20分前になってホームに快速「リアス」が2両編成で入線.白い車体に赤いラインの列車.編成はキハ58とキハ52.かろうじて4人掛けボックスシートの窓側の席に座ることができたものの,まもなくやってきたオバチャン達にのこり3席を占領され,身動きのとれない状況に.

  

列車は13時46分,定刻どおり発車したけれど,相変わらず身動きできず下手にカメラも取り出せない状況.私のボックスのオバチャン達はどうやら東京でケアマネージャーのお仕事をしている同僚らしく,他の同僚とあわせて慰安旅行かなにかで宮古まで向かう途中のようだ.盛岡までは新幹線で来たのだろう.車内も多くは旅行者といった感じで,皆荷物は大きめだった.3連休の初日ということもあって,都会から人がいっぱい田舎に流れてきているような感じだった.

山田線は日本でも屈指のローカル線として知られていて,盛岡市内の上米内(かみよない)駅から約50km先の川内(かわうち)駅までの間は快速・普通列車が4往復しかしていない.そのなかでも大志田(おおしだ)駅は下りが1本,上りが2本の計3本しか止まらない.北海道には下り1本,上り1本しか止まらない上白滝(かみしらたき)駅があるので上には上がいるのだけれど,これもまたすごい駅だと思う.もともとこの大志田や次の浅岸(あさぎし)駅は開通時から峠越えのためのスイッチバックのために作られたような駅なので,今のようにスイッチバックの必要がなくなり,駅周辺の集落もほとんど発展していない状況では信号場化されていないだけでもましなのかもしれない.

 

私の乗った快速「リアス」は上米内から陸中川井の間63.6km(営業キロ)を1時間12分ノンストップで走る.走れども走れども深い森とトンネルが続く….あいにく曇りで空が暗いのが残念だけれど,晴れていたら都会の喧騒なんて忘れさせてくれるに違いない.天気が悪いせいで非冷房の車内でも不快な暑さはない.最初はにぎやかだった車内も,少しずつ居眠りを始める客が多くなり,途中からは時間が止まっているかのようだった.

15時29分,茂市(もいち)で下車.この駅から分岐する岩泉線に乗り換え.この駅から出る岩泉行きの列車は1日わずかに3本.7時01分の次がいまから私が乗ろうとしている15時35分で,最終は18時35分.1番線にはすでに宮古から来た岩泉行きの列車が停車していた.

 

私と同じく茂市で降りて岩泉線へ乗り換える人は多く,その8割以上は鉄道ファンと算段した.なかにはこの乗換えで少しでも良席を確保しようと急ぐ者もいたけれど,先ほどの座席取りで懲りたので私は写真を撮りながらゆっくり乗り換えをした.1両の岩泉行き普通列車は連休だけあって半数以上が鉄道ファンで,デッキには座れない客も出るほどの混雑ぶり.私もロングシートのそばに立った.下手に座るより,このほうが車窓が楽しめそうだったからだ.

15時35分,茂市駅を発車.発車直前に駅員が運転士にタブレットを渡していた.「あっ」と思ったときには既にシャッターチャンスを逃してしまっていた.北海道では既にタブレットは全廃されていたので,JRでまだ使ってる区間があることを忘れてしまっていた.岩泉線は全線38.4kmで1つの閉塞区間となっている.つまり,岩泉線には一度に2本の列車が進入することはできない.

岩泉線に入ると列車はどんどん山中に入っていく.この路線は国鉄時代からの赤字路線で廃止対象にあがっていたものの,代替道路が未整備という理由で廃止されなかったほど田舎の山奥を走る.ここへ来る前に地図で調べた際に「国道が走ってるんだから,いくらなんでも…」と思ったが,列車から見える国道340号線はセンターラインのない道路.たしかにこれでは代替バスを走らせても十分機能しないかもしれない….

途中の押角(おしかど)駅は「鉄子の旅」でその秘境駅ぶりが描かれた駅で,駅前に人家がないことからマニアが乗降するのではないかと見ていると,山登りのいでたちの若い男女が降りて行った.この列車はワンマン非対応なので車掌がきっぷを回収していた.車内から駅を撮るマニア達.私は位置が悪くて撮れなかった.それぞれの駅で少しずつ地元のひとが降りていく.押角の次の岩手大川(いわておおかわ)ではお年寄りが数人降りていったが,駅前にはマイクロバスが止まっていた.おそらく,この地域のコミュニティバスなのだろう.

 

次の浅内(あさない)駅は広い構内を持った駅で,岩泉線が岩泉まで延伸されるまではここが終点.浅内から岩泉は1972年の延伸で貨物営業はなかったけれど,浅内は貨物も取り扱っていただけあって見るからに駅に風格が漂っていた.

そして16時28分,終点の岩泉に到着.列車から降りた乗客の半数近くが駅や,ホームや,列車を撮影し始める.なかなかいいアングルの場所はあかないけれど,この列車が折り返すまでは52分間もあるのでのんびり構えることにした.この駅の撮影で好んで撮られるもののひとつに,岩泉駅からさらに伸びた線路が挙げられると思う.もともとこの岩泉線は小本(おもと)線という名前で建設され,小本駅で宮古と久慈を結ぶ国鉄線と連絡する計画だった.しかし,その国鉄線も宮古線と久慈線はつながることなく廃止されることになり,かわりに引き継いだ第3セクターの三陸鉄道が北リアス線として開通して小本に駅ができたのは1984年のことだった.小本線の建設凍結が現実味を帯び始めた当時の終点は浅内だったため,岩泉町の中心部でないところで路線が止まってしまうと不便という思惑が働いたのか,建設中だった路線のうち,浅内-岩泉間を開業させ,その際に線名を小本線から岩泉線に改称している.そのため,岩泉駅の少し先まで,開通することのなかった「小本までのびるはず」だった線路が残っている.

  

岩泉町には有名な鍾乳洞「龍泉洞(りゅうせんどう)」があるのだけれど,今回は時間の都合で見られない.駅前を出て少し歩く.駅前はあまり家がなかったけれど,小本川を渡ると街はすこしにぎやかな感じになった.JRバス東北のバス停も川を渡ったところにある.龍泉洞へのバスは盛岡から出ている.駅前から出ていた小本行きのバス路線はかつては国鉄バスだったけれど,継承したJRバス東北は2003年に撤退してしまっていた(現在は岩泉町民バス).JRバスにまで岩泉駅の存在を否定されているようで悲しい.

駅へ戻ってきて時間を持て余しているうちに,記念切符の一枚くらい買ってもいいなと思い,きっぷ売り場へ.ここは委託販売の駅になっているようで,地元人とおぼしき年配の男性がきっぷを売ってくれた.入場券があるかと思いきやないらしく,隣の二升石(にしょういし)までの切符でいいかという.特にこだわりはないのでそれを買うと,券面は「岩泉から190円区間」だった.それでも赤い常備券だったので悪い出費ではない.

そうしてるとさきほどの列車でやってきたと思われる男性が,その切符売りのひとに話しかけていた.「岩泉線,すごい人気ですね.やっぱりみんなキハ52目当てなんですか?」何と,それは初耳だ.聞かれた委託販売員のほうも,「今年10月までだと聞いております」などとやりとりしている….えっ,ここに来る上でもっと勉強しとかなきゃいけなかったことがあったの??

後で調べたところによると,キハ52というのは国鉄全盛時代に作られたキハ20系気動車の流れを汲む由緒ある形式で,現役で活躍しているのは2007年夏現在で大糸線,米坂線,磐越西線,山田線(盛岡-宮古),岩泉線くらいとなってしまったらしい.2007年春のダイヤ改正で花輪線から姿を消し,この岩泉線も2007年度中の引退が決まっているとのこと.たしかに,山田線や岩泉線といった横綱級のローカル線には,昔ながらの車両がよく似合うと思う.「いつまでもあると思うなローカル線」と思ってはいたものの,こんなところにまで時代の波が押し寄せているとは.今回岩泉線を選んだのはまたとないチャンスだったというわけだ.幸運に感謝したい思いだ.

 

帰りの列車も,眺めのいい席は早々と鉄道ファンにとられていたけど,私はつつましく眺めの良くない席でがまんし,茂市まで戻ってきた.茂市着18時12分.この列車は18時32分発宮古行きと,18時31分発盛岡行きに接続している.また,乗ってきた列車はこれらの列車の到着を受けて18時35分に再び岩泉行きとなる.山間の小駅が,にわかに賑やかになるひとときだ.駅前の写真を撮り,駅構内の写真を撮っているとすぐに時間が来てしまい,2番線に宮古行きの普通列車が入ってきた.

  

国鉄色キター!
入ってきたのはキハ52-153とキハ52-145の2両編成.喜び勇んで写真撮影.そうしていると3番ホームに盛岡行きが到着.岩泉線から降りてホームで列車待ちをしていた客のうち,3分の2以上は盛岡行きに乗車.空もこれからどんどん暗くなっていくので,盛岡へと引き上げるのだろう.私は山田線制覇のためにこれから釜石まで行って投宿する予定だ.車内はボックス席をひとりで占領できるほどの閑散ぶりで,18時32分,茂市を発車した.

盛岡から2時間かけて走ってきた列車も,茂市を過ぎればいよいよ宮古に近づいている感じになってきた.宮古に着く10分ほど前に車内で携帯電話を使っていたマナーを心得てないオジサンがいたものの,宮古にいるであろう電話の向こうの相手に「10時間かけて宮古まできたけどよぉ,盛岡から2時間,ずっと山ン中走ってるんだよ.いやァ,日本にまだこんな田舎があったんだな!」と興奮気味に話しているのを聞いていると思わずなごんでしまう.小雨がちらつくなか,18時53分宮古着.着いた車両のサボはさっそく取り替えられていて,どうやら明日の朝の岩泉線に使用される模様.

  

ここから釜石までもう1本普通列車に乗り継ぐ.釜石までが山田線だけれど,運行形態は花巻-釜石-宮古でひとつになっている.今日堪能したキハ52やキハ58は宮古から先には乗り入れない.26分の待ち時間があったので外に出たものの駅前の物産店などはすでに閉まっていたし,小雨が降っていたのですぐそばにあるキャトル宮古というショッピングモールへ行ってみることにした.



キャトル宮古は宮古サティが閉店した後に地元資本で2003年に復活した店舗で,衣料品雑貨を中心としたテナントが割と好調とのこと.私は1階の食料品売り場めぐりをしたが,やはり港町だけあって海の幸のラインナップは充実していた.そうこうしているうちに時間もなくなって足早に駅へと戻る.釜石行きの普通列車は3番ホームからの発車だった.

 

宮古駅の時刻表だと,釜石から三陸鉄道に乗り入れて盛(さかり)まで行く列車と,盛岡行きの列車があるために混乱を招かないように盛行きは「さかり」と表記されているところに工夫を感じた.

釜石行きの列車は白地にウグイス色のラインのキハ100系の2両編成.ワンマン対応となっていて,運賃表示機は花巻から釜石までの駅名が並んでいた.すっかり暗くなってしまったし,雨も降り続いていた.車内は閑散としたまま19時19分,釜石発車.

途中,山田線の名前にも冠されている陸中山田(りくちゅうやまだ)では,その日は花火大会が予定されていたものの雨で順延に.「三陸山田オランダ島まつり&ビーチフェスタ」での花火は10年ぶりの復活とあってさぞかし期待も高かっただろう.陸中山田から乗り込んだ客には,花火目当てだったと思われる若者もいた.



岩手船越(いわてふなこし)で対向列車待ち合わせのため停車.ホームには「本州最東端の駅」の表示が.これはノーマークだった.本州最東端東経141度58分26秒とのことで,日本最北端である東根室駅とは4度ほど違う.宮古-釜石間はいちおう初乗車だけれど,この区間は改めて訪問したいところ.その際には三陸鉄道も含めた海岸線沿いの旅にしたいと思っている.20時44分,釜石到着.

4. 釜石
釜石駅に着いてまっさきに向かったのは駅から徒歩5分のところにある三陸海鮮料理「中村家」.釜石の街を調べていて見つけた,釜石といえばここというほどの有名店らしい.ここの看板商品「海宝漬」は盛岡の土産屋でも見かけたから,やはり知名度は高いらしい.営業時間が22時までだったのと,どれほどの人気店かわからなかったので,この店には事前に電話を入れておいた.若い男が一人で入るには少し敷居の高い感じではあったけれど,勇気を出して「オトナの旅行者」を装ってみることにした.

夜9時ともなれば酒の肴を頼んで地酒を味わうのが似合うのだろうけれど,今日は盛岡でじゃじゃ麺食べた後何も食べていない.ネットでメニューを調べてあった「海宝漬定食」を食べるつもりで,食べずにおいたのだ.いやがおうにも期待が高まる.さらに,手許の季節のメニューを見ると魅力的な三陸の海の幸が並んでいる.今はウニの旬だということもあり,今日の道中でも土産物で何度も瓶入りのウニを見た.是非とも味わってみたいと思い,殻付きウニもお願いする.さらにメニューには「マンボウの刺身」なんてのもあった.三陸でサメがよく獲れるのは知っていたけれど,マンボウまで食べるとは…しかも刺身で.珍しいのでこれも注文.あとで調べてみるとマンボウの身は鮮度の劣化が早く,ほとんど地元でしか消費されないとのこと.



最初にいただいたのはウニ.今まで殻つきのウニというのは私の中では当たりに出会ったことがなかった.しかしこれは今まで食べてきた殻付きウニに対する見方がかわるほどおいしさでびっくりした.やはり良いウニを選ぶ料理屋の目利きは違う.殻付ウニが一般的に評価が高くないのは,ウニは割ってみるまで良しあしがわからないからだと聞いたことがある.しかしこの店ではひたすら半分に割ったもののなかから,良いものを見つくろって選んで出してくれるので間違いがないのです.ふわっとしたウニと海水の絶妙なとりあわせが,素晴らしい磯の香りのハーモニーを奏でていました.



次はマンボウの刺身.ショウガ醤油と酢味噌の両方で味わうようになっている.マンボウの身は白く,生の鶏ムネ肉を思わせるような見た目.口に含むと生臭い感じはなく,よく冷えていているせいかコリコリしたような若干歯ごたえがある食感が心地よい.



そしていよいよメインの海宝漬定食.海宝漬というのはこの店の発案で,アワビ,メカブ,イクラ,シシャモの卵を混ぜ込んだ松前漬にも似た豪華な一品で,大きめのアワビの貝殻にびっしり乗せられて登場.「ご飯にかけてお召し上がりください」という説明通り,白いご飯に乗っけて,思い切り頬張る.想像通りの味に大満足だったが,もっともっと食べたくなってしまうのが困りものだ.付け合せの夕顔の煮付けも食感が面白く印象に残った.

大満足で中村家をあとにして,ホテルへチェックインする.今日は雨の影響をうけることなく移動することができたが,明日はいよいよ台風の影響を受けそうな状況だった.それなのに八戸駅に到着したときにカサを置き忘れるという失敗をしてしまっていたので,コンビニで買っておく.

ホテルでは撮った写真のメモリをパソコンへ移動したり,バッテリーを充電したりしながら台風情報をチェック.台風4号は列島縦断コースではなく太平洋岸を進んでいく予報だった.明日は台風の影響を受けるかもしれないと覚悟しながら,就寝.

翌朝は4時にアラームをかけていたけれど,シャワーを浴びているうちにもたもたしてしまい,ホテルを出たのは5時15分になってからだった.釜石からの始発は5時21分で,これに乗ろうと思っていたけれど間に合わなかった.もっとも,次の列車が5時55分にあるのでそれに乗れればいいやという思惑がホテルでのもたもたの原因だったのだが.

外は台風の影響でざあざあ降りだった.これではとても釜石の街を見てあることはできそうになかった.しかし釜石の顔である新日本製鐵は駅前に工場があり,スケールの大きな建物が建っていた.また,駅前の地図を見たとき,製鉄所から港までの貨物線が地図に描かれていたので大変気になったが,これについては近くまでいって確認することができなかった.もしそれが残っていたとすればそれは日本で3番目に開通した鉄道であったはずだ.今まで新橋-横浜,神戸-京都に次ぐ鉄道開通は手宮(小樽)-札幌だと思っていたけれど,ここ釜石の釜石鉱山鉄道のほうが同じ1880年の早い時期に開通していたことを,このたび初めて知った.ただ,今回釜石駅前の地図で見た桟橋への貨物線が,1880年にひかれた釜石鉱山鉄道のルートと同じものかどうかについてはよくわからなかった.

  

釜石駅はJR山田線の終着駅であり,花巻と釜石を結ぶ釜石線の終着駅でもある.そして三陸鉄道の南リアス線との接続駅である.三陸鉄道は北リアス線と南リアス線を離れて所有しているけれど,それを結ぶ山田線との間には直通列車も走らせている.国鉄が赤字を抱えるのを避けて開業しなかったところを三陸鉄道が補完する形となっている.



JRの改札口には「お知らせ」が出ていて,台風4号の影響で線区・列車の運休が出ているので旅行の中止をお願いしますという内容だった.尤も,ここで旅行を中止してしまうと北海道に帰れないので突き進むしかないわけだけれど,とにかく行ってみるしかない状況だ.幸い,5時55分の普通列車は何の影響も受けていないようだ.発車10分前になって改札が始まり,私の東北旅行の実質2日目がスタートした.

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2007-08-05 3-4章初稿