実は私が鷹ノ巣で「日本海3号」乗車して直後の10時13分頃,2007年新潟中越沖地震が発生し,柏崎の刈羽原発での災害や信越本線青海川駅付近での土砂崩れなどが起きているのだが,この時点で私はまだこの地震について知らない.
その1時間後,私はJR弘前駅のそばにある弘南鉄道弘南線で知った事実によって,急遽予定を練り直すことになっていた.旅行前に弘南線を調べたときに,前の月である6月12日に脱線事故があり,ダイヤが大幅に変更になったという情報はキャッチしていた.そこで7月の時刻に対応しているというインターネットの時刻表をもとに予定を組み立てていたものの,実際それは事故前のものであって,まだ臨時ダイヤで運行されているとは知らなかったのだ.臨時ダイヤは通常の30分間隔のものから大きく減って80分間隔での運転となっており,次の発車は11時50分となっていた.当初,弘南線の終点黒石では歴史的町並みの「こみせ」を見ようと思っていたので一刻も早く黒石に移動したかったものの,バス路線もちょうどいい時間がなく,結局次の列車に乗ってトンボ帰りしてくるしかなさそうだった.そこで列車まで時間があったので駅のそば屋でやっとまともな食事にありつく.天玉そば410円にそば屋には珍しい「じゅんさい」のトッピング130円をつけて頂く.県は越えてもこのあたりは秋田の影響も大きいのだろうか.
弘前駅は2004年に完成したとても新しい駅舎だった.弘南鉄道の弘前駅もその一角にあり,改札なども新しくなっていた.列車は初日の十和田観光電鉄と同じく,東急から列車のおさがりを譲り受けて使用している.このときは間引き運転のため編成を普段の倍の4両1編成(東急7000系車両)で輸送力を維持していた.
近代的な弘前の駅と東急電車の雰囲気で,すっかり都会的な路線であるように思ったのもつかの間,列車は走り出すと一転,水田やリンゴ畑の間を走っていた.途中の平賀(ひらか)駅は弘南線の車両基地がある駅で,ボロボロになったクハ3902,3904(旧南海電鉄車両)などもあり,とてもにぎやかだった.
それにしてもこの電車,中は東急電車のまま.つり革もそのままなので渋谷の109だとか,東急デパートの文字がここ弘前で踊っているのがおもしろい.
弘南線の電車は29分で終点の黒石駅に到着.12時19分.12時30分には折り返すダイヤで,あわてて駅やホームの写真を撮る.黒石はかつて川部からわずか6.2kmの盲腸線であった国鉄黒石線が伸びていたところで,1984(昭和59)年に国鉄から弘南電鉄に譲渡されるも1998(平成10)年に廃止されている.国鉄黒石駅は弘南電鉄とは離れており,弘南電鉄のほうは区別のため「弘南黒石駅」としていたものの,黒石線を譲渡されたときに国鉄黒石駅のほうを廃止して弘南黒石駅への渡り線を新設して統合し,新たに「黒石駅」とした.ホームに中途半端に切り取られた「くろいし」という駅名板があるのは,1984年以前から使われていたことを意味している.
弘南線は貨物輸送にも使われている経緯から途中駅にも歴史を感じさせる駅が多い.田舎館(いなかだて)駅(写真左),津軽尾上(つがるおのえ)駅,館田(たちた)駅,弘前東高校前駅(写真中)なんかがよさげに見えた.車窓から見える岩木山もまた見事(写真右).
12時59分,弘前駅まで戻ってきて,さて次は市内観光と大鰐線…と思ったところでようやくJR弘前駅で地震のことを知る.上越新幹線と新潟方面の在来線,それに今晩の上野行き寝台特急「あけぼの」,大阪行きの寝台特急「日本海」の運休が決まっているとの情報.携帯でニュースを見ると震度6強と出ていてなにやら雲行きが怪しくなってきた.今日中に旭川に着けるか不安になってきたので早めに青森まで出てしまおうと計画を変更することに.まだ私のみちのくフリーきっぷは指定席を発券できるので,弘前駅のみどりの窓口で大鰐温泉14時35分発の特急「かもしか3号」の指定席を確保する.みどりの窓口ではこれから東京方面へ向かう客が不安そうに列車の運行状況について尋ねていた.
JR弘前駅を出た時点で13時08分,何とか少しでも弘前の街の中を観光して14時までに弘前駅からは離れたところにある弘南鉄道の中央弘前駅に着くことに決めて移動開始.
とりあえずJR弘前駅前から弘前市内循環100円バスに乗る.連休だけあってバスは観光客で混雑気味.私はガイドブックのおすすめにしたがって下土手町バス停で下車し,歩いてみることに.まずは弘前が予想以上に都会であることに驚く.少し坂があることや青森銀行記念館,旧弘前市立図書館などの洋風建築をみて,小樽にも似た雰囲気を感じた.
そうこうしているうちに時間はどんどんなくなっていく.旧弘前市立図書館では内部も見学してしまい,その後はかなり駆け足で駅を探す.駅だからわかりやすい位置にあるだろうと思いきやなかなか見えてこず,かなり焦る.中央弘前駅は予想に反して路地裏にひっそり存在するような駅だった.駅を発見したのは13時52分.あいにくきっぷを買うための小銭が尽きていて窓口で両替をしてもらうなど,貴重な時間をロスしてしまい,ゆっくり駅の写真を撮ることができなかった.
そのうえ,カメラの電池が切れてしまい,ここからはケータイのカメラで撮った数枚の写真しか残っていない.電池の寿命が今回の旅の終わりを暗示しているようにも感じる.余裕ないまま14時00分,弘南鉄道大鰐(おおわに)線の列車は発車した.
弘南線と乗り比べると,こちらのほうが閑散地域を走っているように感じる.線路が太くないので,車両がスピードを出すとかなり揺れていた.14時28分,大鰐駅(1986年に弘南大鰐駅から改称)に到着.駅はJR大鰐温泉駅(1991年に大鰐駅から改称)と隣接しており,日曜だったので弘南鉄道のほうは駅員もいなかった.そのまま跨線橋を渡り,JR駅舎側の出口から出る.
駅前にはスキー板をかついだピンク色のワニの像があった.もともとこの地名の「鰐(わに)」というのは「鮫」を意味する古語なのだけれども.
JR大鰐温泉駅のほうへ入ると,これから乗る特急「かもしか3号」は遅延なく動いている模様.本来なら大鰐温泉まで足を延ばして温泉に入ったり,その温泉熱を利用して作る名物のもやしを味わいたかったものの,かなわなかったのが残念.14時35分,秋田から来た青森行き特急「かもしか3号」に乗車.