鉄道・旅行のページ
006 「みちのくフリーきっぷ」で行く北東北 (5)

0. 出かけるまで
1. 急行はまなす〜十和田観光電鉄線
2. 古牧温泉・八戸・盛岡
3. 山田線・岩泉線
4. 釜石
5. 釜石→田沢湖(新花巻駅,新幹線「こまち」)
6. 田沢湖畔・玉川温泉
7. 角館(かくのだて)
8. 秋田内陸縦貫鉄道,日本海3号
9. 弘前・弘南鉄道
10. 青森,そして帰還


9. 弘前・弘南鉄道
実は私が鷹ノ巣で「日本海3号」乗車して直後の10時13分頃,2007年新潟中越沖地震が発生し,柏崎の刈羽原発での災害や信越本線青海川駅付近での土砂崩れなどが起きているのだが,この時点で私はまだこの地震について知らない.

その1時間後,私はJR弘前駅のそばにある弘南鉄道弘南線で知った事実によって,急遽予定を練り直すことになっていた.旅行前に弘南線を調べたときに,前の月である6月12日に脱線事故があり,ダイヤが大幅に変更になったという情報はキャッチしていた.そこで7月の時刻に対応しているというインターネットの時刻表をもとに予定を組み立てていたものの,実際それは事故前のものであって,まだ臨時ダイヤで運行されているとは知らなかったのだ.臨時ダイヤは通常の30分間隔のものから大きく減って80分間隔での運転となっており,次の発車は11時50分となっていた.当初,弘南線の終点黒石では歴史的町並みの「こみせ」を見ようと思っていたので一刻も早く黒石に移動したかったものの,バス路線もちょうどいい時間がなく,結局次の列車に乗ってトンボ帰りしてくるしかなさそうだった.そこで列車まで時間があったので駅のそば屋でやっとまともな食事にありつく.天玉そば410円にそば屋には珍しい「じゅんさい」のトッピング130円をつけて頂く.県は越えてもこのあたりは秋田の影響も大きいのだろうか.

  

弘前駅は2004年に完成したとても新しい駅舎だった.弘南鉄道の弘前駅もその一角にあり,改札なども新しくなっていた.列車は初日の十和田観光電鉄と同じく,東急から列車のおさがりを譲り受けて使用している.このときは間引き運転のため編成を普段の倍の4両1編成(東急7000系車両)で輸送力を維持していた.

近代的な弘前の駅と東急電車の雰囲気で,すっかり都会的な路線であるように思ったのもつかの間,列車は走り出すと一転,水田やリンゴ畑の間を走っていた.途中の平賀(ひらか)駅は弘南線の車両基地がある駅で,ボロボロになったクハ3902,3904(旧南海電鉄車両)などもあり,とてもにぎやかだった.

それにしてもこの電車,中は東急電車のまま.つり革もそのままなので渋谷の109だとか,東急デパートの文字がここ弘前で踊っているのがおもしろい.

  

弘南線の電車は29分で終点の黒石駅に到着.12時19分.12時30分には折り返すダイヤで,あわてて駅やホームの写真を撮る.黒石はかつて川部からわずか6.2kmの盲腸線であった国鉄黒石線が伸びていたところで,1984(昭和59)年に国鉄から弘南電鉄に譲渡されるも1998(平成10)年に廃止されている.国鉄黒石駅は弘南電鉄とは離れており,弘南電鉄のほうは区別のため「弘南黒石駅」としていたものの,黒石線を譲渡されたときに国鉄黒石駅のほうを廃止して弘南黒石駅への渡り線を新設して統合し,新たに「黒石駅」とした.ホームに中途半端に切り取られた「くろいし」という駅名板があるのは,1984年以前から使われていたことを意味している.

  

弘南線は貨物輸送にも使われている経緯から途中駅にも歴史を感じさせる駅が多い.田舎館(いなかだて)駅(写真左),津軽尾上(つがるおのえ)駅,館田(たちた)駅,弘前東高校前駅(写真中)なんかがよさげに見えた.車窓から見える岩木山もまた見事(写真右).

  

12時59分,弘前駅まで戻ってきて,さて次は市内観光と大鰐線…と思ったところでようやくJR弘前駅で地震のことを知る.上越新幹線と新潟方面の在来線,それに今晩の上野行き寝台特急「あけぼの」,大阪行きの寝台特急「日本海」の運休が決まっているとの情報.携帯でニュースを見ると震度6強と出ていてなにやら雲行きが怪しくなってきた.今日中に旭川に着けるか不安になってきたので早めに青森まで出てしまおうと計画を変更することに.まだ私のみちのくフリーきっぷは指定席を発券できるので,弘前駅のみどりの窓口で大鰐温泉14時35分発の特急「かもしか3号」の指定席を確保する.みどりの窓口ではこれから東京方面へ向かう客が不安そうに列車の運行状況について尋ねていた.



JR弘前駅を出た時点で13時08分,何とか少しでも弘前の街の中を観光して14時までに弘前駅からは離れたところにある弘南鉄道の中央弘前駅に着くことに決めて移動開始.

とりあえずJR弘前駅前から弘前市内循環100円バスに乗る.連休だけあってバスは観光客で混雑気味.私はガイドブックのおすすめにしたがって下土手町バス停で下車し,歩いてみることに.まずは弘前が予想以上に都会であることに驚く.少し坂があることや青森銀行記念館,旧弘前市立図書館などの洋風建築をみて,小樽にも似た雰囲気を感じた.

 

そうこうしているうちに時間はどんどんなくなっていく.旧弘前市立図書館では内部も見学してしまい,その後はかなり駆け足で駅を探す.駅だからわかりやすい位置にあるだろうと思いきやなかなか見えてこず,かなり焦る.中央弘前駅は予想に反して路地裏にひっそり存在するような駅だった.駅を発見したのは13時52分.あいにくきっぷを買うための小銭が尽きていて窓口で両替をしてもらうなど,貴重な時間をロスしてしまい,ゆっくり駅の写真を撮ることができなかった.

  

そのうえ,カメラの電池が切れてしまい,ここからはケータイのカメラで撮った数枚の写真しか残っていない.電池の寿命が今回の旅の終わりを暗示しているようにも感じる.余裕ないまま14時00分,弘南鉄道大鰐(おおわに)線の列車は発車した.

弘南線と乗り比べると,こちらのほうが閑散地域を走っているように感じる.線路が太くないので,車両がスピードを出すとかなり揺れていた.14時28分,大鰐駅(1986年に弘南大鰐駅から改称)に到着.駅はJR大鰐温泉駅(1991年に大鰐駅から改称)と隣接しており,日曜だったので弘南鉄道のほうは駅員もいなかった.そのまま跨線橋を渡り,JR駅舎側の出口から出る.

駅前にはスキー板をかついだピンク色のワニの像があった.もともとこの地名の「鰐(わに)」というのは「鮫」を意味する古語なのだけれども.

JR大鰐温泉駅のほうへ入ると,これから乗る特急「かもしか3号」は遅延なく動いている模様.本来なら大鰐温泉まで足を延ばして温泉に入ったり,その温泉熱を利用して作る名物のもやしを味わいたかったものの,かなわなかったのが残念.14時35分,秋田から来た青森行き特急「かもしか3号」に乗車.

  

10. 青森,そして帰還
特急「かもしか3号」は3両編成で,一番前の3号車が指定席だった.短い編成ながらも1号車の一部はグリーン車になっていた.青森と秋田を結ぶ特急は多くなく,青森と秋田をむすぶ「かもしか」が3往復,青森と新潟を結ぶ「いなほ」が1往復なので,今朝利用した寝台列車のヒルネ利用(3往復,ただし日本海1号は東能代から)も意外と重要な役割を担っていることに気づく.

車内は乗車率5割程度で,この区間の利用がさほど多くないようだった.私の席は4Bで,隣の4Aは空いていた.14時45分に弘前駅着し,いよいよ人が降りて車内は閑散…と思いきや,ホームには驚くほどの人の列ができていて,車内はたちまちほぼ満席に.今日は連休の最終日,この乗客の大半は青森が目的地ではなく,おそらく特急を乗り継いで八戸から新幹線に乗るのであろう.隣の席も埋まった.

15時16分,青森駅に到着.駅は地震の影響で混乱していた.上越新幹線は14時頃から東京-越後湯沢間で運転を再開していたものの,東北新幹線にも遅れが出ているとのことだった.私が指定券を持っているのは17時22分発の特急「スーパー白鳥19号」なので,遅れについては心配していなかった.なぜならこの列車は東北新幹線「はやて19号」から接続する列車で,その日のうちに函館まで乗り継げる最終列車なのである.函館での乗り継ぎは必ずこちらを待っての発車となることが経験上予想されたからであり,函館からの特急が遅れれば最終の「スーパーホワイトアロー」も遅れることは自分自身何度も経験していた.そのため私は指定券をキャンセルして先発の「白鳥15号」(青森発15時22分)に乗ることはせずに,青森駅前をこの旅最後のみやげ購入ポイントとして街にくりだすことにした.

とはいえ午後3時台という中途半端な時間でめぼしい店も見つからず,駅に隣接したいかにも観光客向けな食堂で「貝焼き定食」(750円)を注文.値段が値段だけにそれなりのお味.ホタテ貝のうえに,ホタテのほかキノコや野菜が入っていてそれを卵でとじてある.地元の居酒屋なんかで頼めば美味しいのにありつけるんじゃないかと思った.駅前のみやげ物屋を物色.帰りの車内でたべる厚焼きせんべいも購入.ピスタチオがぎっしり入ってて美味しそうだったので.

青森駅前にある「アウガ」は青森駅再開発によって市場を近代的なビルの地下に移設した珍しい作り.主体は魚屋だけれども,乾物や日用品まで幅広い店の集合体となっていた.また,青森の海の幸を使った定食やどんぶりの店もある.営業時間は朝の5時からなので,ぜひともここは朝に来たいところだ.このときすでに魚屋は店じまいの準備をしていて,私は何か買いたいと思い,勢いであんこうのとも和えを購入したものの,暑い夏場の午後に,傷みやすいとも和えを買ったのはあまりに無謀であった.すぐに青森駅の待合室で食べてみるものの,あんこうの生臭いにおいが目だって視線を浴び,とても食べた心地がしなかった.そのうえ量も大量だったため,敢え無く半分ほど廃棄してしまった.持ち帰ったところで家に着いた頃には傷んで食べられなくなっているのは目に見えていた.もったいないことをしてしまった.

そうこうしているうちに青森駅に戻ってみるとすでに「スーパー白鳥19号」の改札は始まっていて,3番ホームはにぎやかになっていた.自由席車両のほうはすでに長い列ができていた.ホームにはアナウンスが入り,今のところ列車は20数分遅れて運転中と知らされる.そのままの遅れで行くと函館での「スーパー北斗21号」の定刻にはわずかに間に合わないものの,接続はとってくれるだろう.そのままホームで待ち続けていると,アナウンスどおり列車が入ってきた.青森は行き止まりの駅なので,列車はここで進行方向を変える.並んでいた乗客もその間に乗り込み,17時49分,定刻から27分遅れで青森を発車した.

最初の停車駅である蟹田(かにた)を出ると,自動放送は青函トンネルについて滔々とアナウンスをしていた.「青函トンネルはすでに新幹線が通れるように設計してあるので,一日も早い完成が期待されています」とちょっとPR過剰な気もしないでもない.

私の席の近くには大学生とおぼしき旅行中のアジア人のグループがいて,一生懸命旅行計画について話していた.しかし一団の席が離れてしまっていたために,そのつどデッキに出てしゃべるもんだから,自動になっているドアが頻繁に開閉してちょっといただけかった.青函トンネルをぬけて木古内(きこない)を発車するときには遅れは23分に圧縮されていた.19時12分,渡島当別(おしまとうべつ)駅で運転停車して上り特急「白鳥42号」と交換する.まもなく函館が近づいてきて「スーパー北斗21号には函館で接続します」と車掌からアナウンスがあった.定刻どおりに発車してしまうと五稜郭で乗り換えなければならないけれども,スーパー北斗は函館で待っているからこのまま函館まで乗り続けてくださいということだ.19時42分,「スーパー白鳥19号」は22分遅れで函館駅の6番ホームに到着した.

札幌行きの「スーパー北斗21号」は向かいの5番ホームから発車になるので,乗り換え客を待ってすぐに発車するのかと思いきや,5番ホームには列車が居らず,乗客が列をつくっていた.まるでスーパー白鳥が入線しないとスーパー北斗が入線できなかったかのような雰囲気だったが,実際のところはわからない.「スーパー北斗21号」は19時44分に入線し,19時48分に定刻より6分遅れて発車した.

列車が五稜郭を出てまもなくして検札があり,「スーパー北斗21号」の指定券と一緒に「スーパーホワイトアロー33号」の指定券も見せる.みちのくフリーきっぷだけでは私が今日中に旭川まで行く客だとわかりにくいためであり,見せることで仮にこの列車が遅れても旭川行きの最終である「スーパーホワイトアロー33号」との連絡を取ってほしいという無言のメッセージになっている.もっとも,このまま6分の遅れでいけば札幌着は23時02分となり,「スーパーホワイトアロー33号」の定刻23時03分には間に合うか,ほんの少し待ってもらうだけで済みそうだったが.

ところが20時10分頃の車内放送は,少しばかり穏やかではなかった.この列車に不具合がみつかり,速度を落として運転しなければならないらしい.そのことによる札幌到着は23時31分頃の予定だという.しかし札幌駅からの特急「スーパーホワイトアロー33号」,臨時特急「はなたび利尻」,ならびに石狩当別行き普通列車については接続を取って発車にするとのこと.踏んだりけったりだなと思いつつも,それぞれの駅の到着時刻のメモをとることにした.森20時24分着(8分遅れ),八雲20時43分着(8分遅れ),長万部21時01分(8分遅れ)…って,全然速度落としてないじゃないか.うとうとしている間に放送を聞き逃したのだろうか….その後も車両故障に関する放送は一切なく,結局札幌駅には12分遅れの23時08分に2番ホームに到着した.

すぐさま5番ホームへ移動し,旭川行きの最終特急「スーパーホワイトアロー33号」に乗り換える.指定席は満席で,酒に酔った乗客の吐く息で車内は酒臭かった.私の座席は窓側の7Dであったものの,このタイミングでたくさんの荷物を持ってそこへ行き,いかにも「私のせいで遅れました」という雰囲気になるのが怖かったので,自由席車両へ避難.べつに乗り返したのは私だけではないはずだし,私の過失じゃないのだけれど,このときはなぜだか殺伐とした雰囲気を感じた気がした.しかし自由席も満席で,座れなかったのでデッキに立ってゆくことに.列車は9分遅れの23時12分に発車した.

途中,美唄(びばい)で席が空いて座ることが出来た.旭川に到着したのは日が変わって火曜日の0時31分だった.


このページの編集履歴

2007-12-24 9,10章初稿