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006 「みちのくフリーきっぷ」で行く北東北 (4)

0. 出かけるまで
1. 急行はまなす〜十和田観光電鉄線
2. 古牧温泉・八戸・盛岡
3. 山田線・岩泉線
4. 釜石
5. 釜石→田沢湖(新花巻駅,新幹線「こまち」)
6. 田沢湖畔・玉川温泉
7. 角館(かくのだて)
8. 秋田内陸縦貫鉄道,日本海3号
9. 弘前・弘南鉄道
10. 青森,そして帰還


7. 角館(かくのだて)
今日の宿泊地である角館までは17kmほど離れているので田沢湖線で移動.このあたりは「こまち」は1時間に1本ほど走ってはいるものの普通列車は滅多になく,次の上り列車である「こまち23号」まで30分ほど時間があった.外は小雨ではあるものの風が強く,いよいよ台風のお出ましといった感じだった.また,午後5時を過ぎているために田沢湖駅前は人気も少なかった.時間が来るまで駅前の物産館「田沢湖市(たざわこいち)」へ.ここまでろくにみやげ物も買っていなかったので何点か購入.私は山菜類のコーナーに「ミズ」という聞きなれないものが並んでいることに興味を持ち,味付きの「ミズの芽」を購入した.後日帰宅して食べたところ,山菜に特有のぬめりが私好みだったが,味付けは少し甘さが足りずショウガがきついように感じた.今度もし生か水煮のみずの芽が売っていたらぜひとも自分の味付けで調理してみたいと思う.あとはいちおう秋田に来たということで瓶詰めのとんぶりを購入.

18時03分,秋田行き「こまち23号」に乗車.田沢湖駅のホームにはその13分後に発車する大曲行きの普通列車(標準軌に改軌された701系5000番台)が入線していたものの食指が動かず.みちのくフリーきっぷは秋田新幹線にも乗れるスグレモノなのでせっかくなので威力を発揮してもらう.14号車9Aに着席.途中,連休による増発の「こまち88号」とすれ違うため途中,神代(じんだい)駅に運転停車.そのため角館到着は通常時より6分遅い18時23分.日本海側に移動したことで,再び台風から遠ざかるかたちとなり,見るとここではまだ雨は降っていないようだった.どうやら天候にはぎりぎりのところで恵まれているようだった.

  

角館駅は観光名所にもなっている武家屋敷の外観を模した平屋の駅舎で,黒板塀が特徴的に使われている.この街の見所である武家屋敷通りは駅から徒歩20分ほどあり,駅前に止まっているタクシーが私の挙動を固唾を呑んで見守っている気配を感じたものの武家屋敷以外の普通の町並みも見てみたかったので歩いて武家屋敷通りそばにあるホテルまで行くことにした.とても静かな雰囲気で,新しめの商業施設が極力排除されているように感じた.たどり着いたホテルはスーパーマーケットに隣接するところにあったものの,そのスーパーの営業時間が19時までであることにびっくり.地元の食生活に興味があって魚売り場などを見ているうちに閉店の「蛍の光」が流れてきて,最初は棚卸しかなにかかと思ったらそれが平常の閉店時間と知って再びびっくり.

  

ホテルにチェックイン.LANの使えるシングルルームで,通されたのは明らかにかつては2人用の部屋だったと思われる広いスペース.ベッドが1人用しかないのに3人がけのソファが置いてあって,それでもまだ部屋ががらんとしている感じ.ホテルの部屋というより友達の家の客間みたいな空間だったけど,私はこれはこれで得した気分だ.ホテルをとるときは食事はつけないのが基本なので,外へ食べに行く.もうかなり暗くなっていたけれど,明日は朝手短に武家屋敷通りを見物したいので下見と時間の見当をつけに歩いてみることにした.

20分ほど歩いて距離を把握したものの,武家屋敷は暗くてよく見えず.しかし驚くべきは展示品のような武家屋敷作りの家に普通に電気が灯って人が生活しているところもあること.明日朝を楽しみにしつつ適当な店で夕飯にする.凝った郷土料理が希望だったものの叶わず,結局昼も食べた稲庭うどんに.しかも観光地の値段設定で値段に味が伴ってなかったのは残念.ホテルのまわりにコンビニまでも見当たらなかったのは誤算だった.そんな立地条件も含めての強気の価格のような気がした.ホテルに戻り,ほどなく就寝.

明けて7月16日.連休の最終日であり,私の旅も最終日.今日はギリギリまで観光するもののその後はひたすら帰りを急ぐという日程.アラームをかけた午前4時半,角館は雨雲らしき雲に覆われながらも地面は濡れておらずなんとか降らずに持ちこたえてくれていた模様.すでに明るくなりはじめていて,武家屋敷通りはうまく散策できそうだった.天気をチェックしたところ,台風は太平洋側へそれていったようで,これから行く青森県も雨の心配はないようだった.シャワーを浴び,身支度を整えて6時05分にホテルをチェックアウトした.おとといの晩に釜石のコンビニで買ったカサは荷物になるのでホテルに置いてきた.

まずは桜の季節には屈指の名所となる桧木内川(ひのきないがわ)えん堤へ.桜の時期になると植えられた桜の花によるトンネルが見事だという.それから武家屋敷通りへ.まだ早朝で見学可能な屋敷もまだ門が閉ざされているところが多かったけれど,雰囲気は十分に伝わってきて満足.むしろ下手に観光客がいないほうが味わい深い気もする.

  
  

武家屋敷通りを堪能し,そのまま角館駅へ徒歩で向かう.

8. 秋田内陸縦貫鉄道,日本海3号
今日はまず秋田内陸縦貫鉄道の秋田内陸線(以下,内陸線)を乗り通す.

内陸線は国鉄時代に鷹角(ようかく)線として建設されていたものの国鉄再建法により廃止が決まり,すでに開業していた角館線(角館-松葉)と阿仁合線(鷹ノ巣-比立内)ならびに工事中だった区間を第3セクターが譲渡をうけて開業した路線で,全通は1989(平成元)年.累積赤字が年々膨れ上がっていて,平成16年に一度廃止の議論があり存続が決まるも,平成19年9月に再び秋田県知事が廃止を含めて再検討に入っているところ.部分廃止や運転規模の縮小といった声も聞かれるので,生活路線として定着している(比立内-)阿仁合-鷹巣を存続させて,そのほかはバス転換という方向でせめて一部が残ってくれればと思う.
現在の田沢湖線は改軌されているため,かつてあった角館線とのあいだの渡り線は撤去され,JR角館駅の隅に内陸線のホームと駅舎があった.駅の自販機できっぷを購入.これから乗るのは角館からの3番列車にあたる7時08分発の阿仁合(あにあい)行き普通列車.朝の列車は通勤・通学の役割が色濃いので,今日のような日曜の場合空いていることは予想していたものの,あまりにも乗客が少ない.私は駅や列車の写真を思う存分に撮り,列車は定刻どおり発車.1両の気動車(AN-8802,形式番号は88年製造の意と思われる)に乗客は私ともう1人だけ.

  

列車は水田地帯を走り,しだいに山へと入っていく.3つ目の八津駅は交換のできる駅で,阿仁合からの下り列車を待ち合わせ.5つ目の松葉が国鉄角館線時代の終着駅.当時は1日3往復しかなく,1971(昭和46)年に作られた新しい駅であったため町の中心からは外れた位置にあったため非常に寂しい終着駅のひとつだった.現在も交換設備はなく,知らない人が乗ったらこの駅が昔,終着駅だったとは思いもしないだろう.

松葉駅からは1989年完成の新しい路盤を走る.急にトンネルが多くなり,視点が今までより高い位置に来ていることに気づく.駅も周囲から一段高いところに設置されている.戸沢駅を過ぎると自動放送でこれから秋田で最も長い鉄道トンネルである十二段トンネルに入ることが流れて,全長5,697メートルのトンネルに突入.ローカル新線のこういう作りはつくづく無粋だと思う.地域の足を無粋というのは多少配慮に欠けるけれども,実際この路線の費用対効果を考えたときに,地域住民の利用率の低い峠越えのために作るには少々立派過ぎる感じも否めない.

  

十二段トンネルを抜けるとかなり日が差してきた.最初の駅である奥阿仁(おくあに)駅からは中学のジャージを来た生徒が乗ってきた.比立内駅では角館行き列車と交換.ここでも数人の中学生が乗ってきた.おそらく部活なのだろう.

比立内からは1963(昭和38)年開業の部分で,とても高速走行には向いていない作りをしている.鷹巣からの「下り」列車で山を「上って」きたらなかなか素晴らしい区間だと思う.もちろん,逆行でもその魅力は十分に伝わってくる.比立内から2つ目の駅「笑内」は難読駅名としてマニアの間では少しばかり有名な駅で,これで「おかしない」と読む.アイヌ語の音に漢字をあてたものらしい.この辺りはアイヌ語由来の地名が多い.比立内もそのひとつであるようだ.道民としては同じアイヌ語地名としてとても親近感が湧く.

8時36分,終着の阿仁合駅に到着.秋田内陸縦貫鉄道の本社がある駅で,駅舎は2階建ての三角屋根になっている.この駅の所在地は北秋田市阿仁銀山となっていて,2005年に北秋田市となるまでは阿仁町の中心地だった.阿仁銀山という名が示すとおりかつては鉱山があり,国鉄阿仁合線も当初は阿仁鉱山からの輸送のために建設されたが,1970(昭和45)年に閉山している.この駅に降り立ったときは気持ちよく晴れていて,じっくり駅を味わいたかったものの乗り継ぎ時間は4分しかない.足早にホームで数枚写真を撮り,隣のホームの列車に乗り込む.8時40分,鷹巣行き普通列車発車.さきほどの列車の客はみんな降りてしまって,乗り継ぐ客はいなかった.ここから乗り込む乗客もおらず,私の貸切状態.

  

とにかくこの路線は車窓がいい.鉄道が阿仁川沿いの山村の風景と見事にマッチしていて,鉄道こそが地域の発展の礎であったことが感じられる.前田南の駅では近くの住民が野良作業の格好で,駅前の雑草を抜いていた.駅が地元の人間から愛されていることが伝わってきて嬉しくなる.

阿仁前田で乗客が4人となる.この駅でも交換があったのでホームに出てみると,この駅は立派な造りで,温泉施設「クウィンス森吉」が併設されているとのこと.駅の反対側には材木会社があって木材が積まれている.列車はしだいに山を下りて行き,次の交換駅である合川駅まで来るとかなり開けた感じになってきた.ここからは鷹巣への生活路線というイメージが強くなってきた.次の大野台では地元の大人のグループが2組11人乗ってきて車内は俄然賑やかになった.かなりゴキゲンで,仲間の発言に「んだんだ」と同意している.方言全開の会話で,内容が理解できないほどだった.「確かに私は今,東北にいるのだ」と実感できたひとときだった.まもなく列車は奥羽本線に寄り添い,9時37分鷹巣駅に到着.内陸線94.2キロメートルの旅は予想以上に素晴らしかった.

  

この内陸線の鷹巣駅はJR奥羽本線の鷹ノ巣駅に隣接している.現在の所在地名は北秋田市松葉町で鷹巣の文字はないものの,合併前の鷹巣町(たかのすまち)の中心地であったところ.地名に「ノ」が入っていなくても,全国の人間が正しく発音できるように国鉄は意図的に「ノ」を入れることがあるようだ.今でも神戸の中心駅はJRだけが「三ノ宮」だし,2007年にはその近所の「西ノ宮」が開業以来130年目にしてようやく地名と同じ表記の「西宮」駅になったりしている.内陸線の開業と同時に駅名を鷹巣駅としたあたりに,地元のこだわりが感じられる.

朝から何も食べていなかったので食糧補給しようと思うも駅前は伝統的な商店街の趣きでコンビニなどは見当たらず.そのままJRの改札を通る.JR鷹ノ巣駅は長いホームを有する有人の駅で,内陸線のホームはJRの1番線の内側に作られているのがわかった.間を隔てる柵はなく,必要があればそのつど駅員が対応しているようだった.

  

ここから弘前までは10時12分発の日本海3号で行く.日本海3号は寝台列車で,全車両寝台車なので寝台券を持っていなければ普通は乗れないけれど,寝台列車を朝の時間だけ利用できる特例も存在する.それを「ヒルネ」と言い夜行列車全盛時代には数多くみられたものの現在はこの日本海3号を含めわずか6本のみになってしまった.2008年3月のダイヤ改正で北斗星1号とこの日本海3号は消滅するので近い将来「ヒルネ」自体が過去のものになってしまうかもしれない.今回の旅ではその貴重な「ヒルネ」体験ができることに気づいて綿密に日程を練ったのだった.内陸線を朝イチの列車しなかったのは,角館の武家屋敷見学の時間を捻出することと日本海3号乗車がうまくリンクできたためであった.したがって日本海3号に乗車するための立席特急券はきっぷを購入したときにすでに発行済みであった.この立席特急券は「当該列車の空いている席に着席可能」といういわば「座席の決まっていない指定席券」である.分類上は指定席券でも値段は自由席券と同じ.しかしややこしいことにこの立席特急券というのは全席指定の列車に対しても枚数を限定して発行されることがあって,その場合は当該列車が満席の場合,座席に座れないことを了承のうえで購入することになる.その場合は指定席は満席なのだから文字通り「立席」すなわち座ることのできない特急券ということになる.

私が5号車に乗り込むと,車内はかなり空いていて,ボックス席をひとりで確保できた.寝台車なので座席として利用すれば当然広い.寝台車からの車窓の眺めは格別で,漂う旅情がまるで違うように感じる.車内を少し探索すると洗面台のところに飲料水の機械があった.昔は長距離特急にはよくあったらしい機械ももはや絶滅寸前.実物がおがめてよかった.記念に折りたたみ式になっている紙コップを1つだけ記念にいただいた.

  

列車は大館を最後に秋田県を脱出し,特急「かもしか」だと停車する碇ヶ関(いかりがせき)と大鰐(おおわに)温泉は通過して11時09分,弘前駅に到着した.

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2007-12-09 7章初稿
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