蒼き騎士の伝説 第二巻                  
 
  第十章 獅子の行方(1)  
         
 
 

 シオ・レンツァなる人物について、ミクは道々ロンバードから聞かされていた。危険を犯し、貴重な時間を割いて、何ゆえはるばる訪ねなければならなかったのか。無論、彼の芸術的才能が必要とされたわけではない。シオにはもう一つ、抜きん出た才があった。戦略家として、軍師として、アルフリートは彼を望んだのである。
 遡ること二十年前、まだ七歳になったばかりのシオは、その才の一端をすでに示していたという。ロンバードの説明を聞く限り、ちょうど地球でいうところのチェスのような、ファジャというゲームがあるらしいのだが。彼は幼くしてその達人であり、人々を驚かせたそうだ。やがてペールモンド騎士団、ドレファス将軍の元で副官を務めていた叔父、ホム・レンツァの手ほどきで、本格的な戦術を学ぶ。そして、その類まれない才能を開花させていったのだ。日々、いや、刻一刻と成長を見せるシオが実戦でデビューしたのは、わずか十一歳の時であった。
 ペールモンド騎士団は、オルモントールとの国境にある全長二百五十キロにも及ぶ城壁と、三つの砦を有するサルヴァーン城に常駐していた。キーナスにある八つの騎士団の中で、最も多い一万余の騎士がそこに属している。城には他に歩兵、弓兵などが二万余り。合計三万に達する兵が、常にオルモントールに睨みを利かせているのだ。
 そのような状況であることからも明らかなように、現在キーナスとオルモントールの間に国交はない。唯一、サルヴァーン城にほど近いケムプという町を介しての交易があるのみだ。が、当時は、それすらもなかったという。では、全く両国の間が閉ざされていたかというと、答えは否だ。実際には、現在に劣らぬほど沢山の物資が二国の間を行き来していた。密輸だ。
 豊かな土壌を誇るキーナスからは農作物が、岩と砂に覆われたオルモントールからはキーナスにはない特産品が運ばれた。その主たるものに、白仙香があった。荒れた石ばかりの土地に、しがみつくように生える白仙木。その樹液に油を加えて練り上げると、花のような、果実のような、甘い香となる。どこまでもつつましやかで、それでいて気高い香り。この貴重な白仙香を嗜めたのはごく一部の階級のみであったが、一度手にした者はたちまちその虜となった。
 需要がある以上、供給が行われる。ユジュール大陸にも同類のものがあるが、オルモントールのそれに比べると各段に質が落ちてしまう。十分な利益が得られるとなれば、多少の危険は障害にはならない。サルヴァーン城の兵士達の仕事は、そんな密輸団との攻防が主であった。
 とはいえ、それは決して容易いことではなかった。密輸団の背後には、オルモントールの正規軍が控えていたのだ。下手な対応をすると、キーナスの名誉を傷付けることにもなりかねない。ドレファス将軍にとって密輸団との戦闘は、国と国がぶつかる戦争に勝るとも劣らぬ、神経をすり減らす戦いであった。
 そんな折、近く大規模な取引が行われるという情報をつかむと同時に、ハルト城で不穏な動きがあるとの報告がなされる。サルヴァーン城の目と鼻の先、オルモントールの北の拠点でもあるその城は、当然のごとく対キーナス用の要塞であった。その要塞に、数日前より兵が増強されつつあるというのだ。取引が行われるのは、スルバの森の西方、ハルト城とは対角に位置する場所。密輸団とはいえ、時に数百名の武装集団であることから、半端な兵力を出すわけにはいかない。だが、陽動の可能性もある。偽情報かもしれない。ドレファス将軍は悩んだ末、ホムに三千の兵を託し差し向けた。その戦いに、シオは随行したのである。
 その日のうちに西の砦に達した三千の兵は、休む間もなく闇の中、スルバの森へ向かった。そこへ、偵察に放った兵士が戻ってくる。ホムは愕然とした。兵士は密輸団を見つけることができなかった。その代わりに、およそ二千のオルモントール軍をその目で確認してきたのだった。つぶさに兵士から情報を聞き、彼らが西の砦に奇襲をかけようとしていることを確信したホムは、兵力の差を考え、こちらから先制攻撃をしようと考えた。が、そこでシオが異議を唱える。おかしい、これは、罠かもしれないと。
 シオが気にかけたのは、進軍の経路と速度であった。東寄りにあるハルト城から西の砦まで一直線に進めばよいものを、わざわざ西端を回り込むようにして進んできている。我々に悟られぬようにとの配慮かもしれないが、あまり遠回りしては砦に達する前に夜が明けてしまう。奇襲をかけるなら、闇に乗じるのが定石であろう。にも関わらず、進軍の速度は遅い。ひょっとしたら、兵士が見たのは先陣かもしれない。背後に大軍が控えているのではないか。密輸団の噂はいわば二重の陽動で、こちらが動かなければその隙に西の砦を一気に落とし、逆に討伐隊が差し向けられたとしても、大軍を持って殲滅する。そういう戦略なのではないか。となれば、ここはいったん西の砦まで退き、そこにある二千の兵と合わせて迎え撃つのが得策だ。多少の混乱を敵に与えれば、それで十分対処できるはずだ。
 このシオの洞察力に、ホムは舌を巻いた。そして、直ちに行動に移す。シオの立案に従い、わずか数十名の兵士を身の回りに残して、後は全て西の砦にとって帰らせた。そして急いで、ただし用心深く、森の西端を避けながら南下する。オルモントールとの国境近くまで進み、そこで夜明けを待つ。
 星の瞬きが翳る。月の肌が淡くぼやける。空が濃い闇と別れを告げようとしたその時、西の砦はおよそ倍の大軍、一万余のオルモントールの兵士と対峙した。が、ほとんど時をかけずして、勝敗は決する。オルモントール軍の南、退路にあたる部分を囲むようにして、幾筋もの煙が上がったのだ。
 彼らは焦った。あらかじめ、背後に兵を配置したとあれば、すでに砦にはキーナスの本隊が待機しているに違いない。となれば、このまま戦っても勝ち目はない。
 オルモントール軍はそう判断すると、無理をせず退却し、背後の部隊だけでも壊滅させる作戦を取った。結果、オルモントール軍は、無事、母国に帰っていった。だが、キーナスの背後部隊の壊滅はならなかった。そもそも、そんなものは存在していなかったのだ。ホム以下、わずかの兵士達によって行われたはったりに過ぎなかったのだから。
 こうしてシオは、鮮やかに初陣を飾ったのである。

 
 
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