リリア(ロイ&モイラ・シリーズ1)                  
 
  第三章 強行突破  
         
 
 

 

 モイラ達がようやく、アイラ・モーガンの乗るJP407の搭乗口に辿り着いたのは、フェニックス到着後、一時間以上が経った時であった。
 通常、いくら巨大なエアポートでもこんなに時間はかからない。これには訳があった。
 エアポートの入り口にあたる中央ホールで、ちょっとした爆発事故があったのである。幸い事故そのものは小規模で、怪我人もなかったのだが、爆発物が仕掛けられた可能性もあるとの事で、空港警備員が総動員で、やたら細かなセキュリティチェックを始めたものだから堪らない。お蔭で中央ホールを抜けるのにとんでもない時間を費やして、目的の船に乗れなかった乗客も多数出てしまった。
 それに比べれば、モイラ達は幸運だったのかもしれない。JP−407の出発まで、まだ四十分の時間が残されているのだから。
 モイラは急いで搭乗口のカウンターに駆け寄った。
「すみません! パメラ・ルーという人が、この便に乗っているはずなんですけど」
 カウンターの女性はマニュアルっぽい微笑をモイラに向けると、冷ややかに言った。
「申し訳ございませんが、お客様のプライバシー保護のため、そのような質問にお答えすることはできません」
「別に質問しているわけじゃないわ。緊急の面会要請をしてるんです。面会人はリリア・モーガン。これがIDカード。チェックして下さい」
 モイラは慣れた調子で言った。
 空港やホテル、学校はもちろん、街の小さな商店やカルチャー教室に至るまで、顧客の個人情報を漏らすようなことは決してない。そう、表向きは。
 だが実際には、それらの情報は流出している。その理由をコンピューターでの管理のせいにする者もいるが、モイラは疑問を感じる。
 例えば、何重にも設定されたパスワードの解読。なかには高い技術力で、これに挑む者もあるのだろうが、多くの場合はもっと手っ取り早い方法を取る。パスワードを知っている人間から聞き出すのだ。ちょっとした詐欺師レベルの会話術があれば、これは造作もないことだ。こうなると、コンピューターで管理しようが、分厚いノートにペンで書きこもうが、危険性は変らない。要するに、その情報を欲する者がいる限り、それは安全とはいえない。
 だが、あまり神経質になるのも、どんなものかとモイラは思う。
 それを利用して大金を稼ごうとしたり、個人を傷つけるために悪用したりするのはもっての他だ。が、本当に必要な人が、必要な時に、速やかに情報を得ることができないというのは、大いに問題なのではないだろうか。
「リリア・モーガン様。確かにご本人様と確認致しました。これはお返し致します」
 先ほどより冷ややかさを増した声で、カウンターの女性はそう言った。
 これから行われる手順を、モイラは熟知していた。おそらくは、すでに船内のクルーが、パメラ・ルーと名乗るアイラの下に、リリアが訪ねて来ている旨を知らせに行っているであろう。ここでアイラが面会に応じると言えば、晴れて会うことができる。もし拒否されれば、カウンターの女性はこう言うであろう。
「残念ながら、該当者はありません。お引き取り下さい」と。
 搭乗者が面会を拒否した場合、建前上、船に乗っているかどうかも公開してはならないという決まりがあるため、こんな言い回しとなるのだが。
 こういう風に待たされること自体が、その存在を確かなものにしているというのに、おかしな話だ。一体、どうしてこういうマニュアルを作る人間は、そのことに気付かないのだろうか?
 ずいぶん待たせるわね。
 モイラは少し苛立ちを覚えた。
 モーガン夫人が面会を拒否する可能性は、全く考えられなかった。彼女はデロス星人だ。決して他人の言葉を否定しない。「お会いになりますか?」と聞かれたなら、「はい」と答える。まさか「会わないですよね」とは聞かないだろう。
 モイラが気にしたのは時間の方だ。通常、面会は出発の二十分前までと決められている。時間が来れば、「はい、それまで」ということになりかねない。とても融通がきく相手とは思えないカウンターの女性を、半ば睨むように見つめながら、モイラは待った。
「お待たせ致しました」
 モイラは安堵した。
 後五分、なんとか間に合ったわ。
「残念ながら、該当者はありません。お引き取り下さい」
「…………」
 モイラは、いやモイラほどの人間が、すぐには反応できなかった。彼女は、自身の豊かな想像力と理解力の範囲を超える発言をした人間を、ただ呆然と見つめた。
 しかしその数秒後、モイラの黒い瞳がにわかに煌き、白い頬が淡い朱色に染まった。
「一体、どういうこと?」
 その声は鋭く険しかった。
「彼女に一体、何て聞いたの?」
「残念ながら、該当者はありません。お引き取り下さい」
 モイラは怒りの表情を露わにしてその女性を見つめたが、言葉は発しなかった。マニュアル通りの対応に呆れたからではない。その女性の言葉と表情に、マニュアルにはない負の感情が浮かんでいるのを認めたからである。
「モイラ!」
 振り返るったモイラの瞳にロイが映った。
「ごめん。遅くなった。それとモーガン氏、仕事中で抜けられないとか言って、離婚届だけ押し付けられたんだけど」
「ああ、そんなことはいいから。それより、ロイ」
 そう言うとモイラはリリアを抱き上げ、ロイの方へ差し出した。ロイは右腕でリリアを抱きかかえながら、問い掛けるようにモイラを見つめた。
 次の瞬間、モイラの整った顔に柔らかな変化が起こった。黒い瞳が光り輝き、赤い唇がより美しい形を模る。モイラは微笑みながら言った。
「強行突破!」
 その言葉が終わらぬ内に、モイラは身を翻し、あっという間に搭乗口を走り抜けた。そしてその彼女に最も速く反応したロイは、両腕にリリアをしっかりと抱き直すと、これもまた信じられないスピードでその場から消えた。
 まるで踵に翼が生えたかのような二人の人間を、カウンターの女性は呆然と見送った。彼女がマニュアル通りの対処を実行するのは、それから大分後のことであった。

 

 
 
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  第三章・3