会津藩士約5,000名は、藩祖保科正之の信州高遠藩時代からの譜代、転封地の鳥居氏の遺臣、会津の加藤氏の遺臣等から成っていた。これらの藩士の階級は俸禄によって、知行取、切符取、扶持米取、高懸りなどに分けられていた(表4-1)。会津藩は23万石(+5万石)だったが、高録者は少なく、知行取中、450石以下の平士が全体の9割近くを占めていた(図4-1)。藩主が出し惜しみをしたわけではなく、計画的に家臣の分限を平均化することにより、「上下間の隔たりを少なくして生活の標準化をはかり、しかも兵力の充実をねらった」方策だという解釈がある(『近世会津史の研究・上』)。一方で、多くの藩士は生活難を余儀なくされたようだが・・・。 |
1 | 知行取 ちぎょうとり |
◆「地方知行から蔵米渡しへ」:もともとは知行地(領地)から年貢米を得る地方(じかた)知行だった階級。初代藩主(保科正之)時代に、藩の蔵米(年貢米)を支給する俸禄制に移行した。これにより、藩による領地直接支配が可能となった。 ◆分限100石以上の階級(幕末の最高俸禄は2800石)。 ◆「四ツ成」:知行高は名目で、実際の支給額は一定の割合で算出。幕末には4割(100石=100俵)で算出されていた。 ◆知行高を年3回に分けて支給 ◆米・金両方で支給。幕末には米75%、金25%。 |
|
2 | 切符取 きりふとり |
切米取 きりまいとり |
◆分限50石以下の階級。 ・10石以上:年割(石高を年3回に分けて支給) ・10石以下:月割(石高を12等分して毎月支給) ◆石高の10割(10石=25俵)を支給。 ◆米・金両方で支給。幕末には米75%、金25%。 |
金切符 | ◆すべて金で支給。 | ||
3 | 扶持米取 | ◆扶持米(一人扶持=一日5合X355日)を支給される家臣。 ◆一部を年末に支給。残りを12等分して毎月支給。 |
|
4 | 高懸り たかがかり |
◆部下をもつ頭が、藩から預かった扶持米から支給。 ◆足軽などの微禄者(一、二人扶持) |
(1)俸禄による階級 | (2)紐・襟制 | (3) 武家屋敷 |