HP「誠斎伊東甲子太郎と御陵衛士」

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御陵衛士の建白書(3)慶応3年10月中旬(推定)
大政奉還を受けた新政府綱領32ヶ条の建白書

その1/その2/その3

左欄の番号は管理人が便宜上つけました。
建白書各条項(意訳by管理人) 管理人コメント
16 一、国内皆兵については、農・工・商の分を正し、三民の外、出家・沙門その外遊民に至るまで残らず皆兵にすること。もっとも、平時はそれぞれの職業を営むこと。内外の国難が起れば、国家存亡の危急に関り、生きて逃れる地はなく、死して葬る道もないことは、愚夫・愚婦に至るまで理解できることなので、叡慮の布告があれば、国内上下の人民が感激せぬことはありえない。 16-18は国内皆兵について
武士以外にも防衛戦争への参加を命じる布告を求める。武士=戦闘に携わる階級という旧来の枠組の見直し。
・従来から、伊東(御陵衛士)は農兵を組織することを考えており、藤堂平助が美濃の侠客水野弥太郎と結び、号令があれば数百名が集るよう画策していたという(「壬」)。農民・神官等を兵力とするアイデアは伊東が遊学した水戸藩の影響もある?長州で見聞?した奇兵隊のことも念頭にあったかも。
17 一、国主・領主は、平生(から)、皆兵の件を心得て、(領民に)銃器等を与え置き、万一国難が起った時には、朝廷の命令を待ち、挙動は臨機応変にすること。

但し、教示方(法)・臨機(=処置)の組み立て方等は人心に従い、報国の大事と心得るよう、全て指図にいたるまで、国王領主に規托(=寄託?)しておくこと。
・なんと領民の西洋武装化を提言(領民が平生から銃器で武装すると、武士が武力によって彼らを支配することは困難になる。伊東は、武士は武力を背景に優位に立つのではなく、治者として領民に認められるべきだと考えているのではと思う。)
諸藩(地方)の自主性を重んじている。
18 一、皆兵の叡慮が布告されれば、開国になっても偸安怠惰の心が生じる弊風はありえない。 ・新政府(「公卿政権」)による国内皆兵の号令を求める。
19 一、海軍創設が急務であるが、巨額の費用がかかるとのこと。しかし、特に摂海は肝要の地であり、その道の専門家に託して衆議を尽させられることが専要でる。 19-24までは海防について。
20 一、摂海防禦の台場(砲台)等は諸外国も比すことができない整備を十分にすること。

莫大な費用がかかるが、(摂海は)皇国咽喉の地であり殊に京都は数里の距離にあるので、万一、海防を生じれば、国家の浮沈・社稷の存亡に関る一大事である。社稷と費用の軽重を計り、衆議を凝らす事が肝要である。
摂海(大坂湾=朝廷直轄領とする五畿内の沿海)。

・大坂湾防衛のための砲台等の整備は外国に勝るものとするため、費用を惜しまぬようにということ。
21 一、海陸軍創設・台場建設等は、皆一大事の急務である。既に先年(ペリーが)浦賀に入港して以来、武将の居城であり、天下の兵馬を統べる江戸・品川海岸ですら巨万の金を以て台場を建設している。まして摂海に於いては、社稷の大事を考え、必ず、俗論に「念着」せぬよう、恐れながら懇願する。 これも朝廷直轄領の海防強化について

・諸外国に侮られないよう、軍備充実が必要ということ。
22 一、皇国の沿海地域の海防策を早急に立てねば開国・鎖国の議論はどちらも尽くし難い。しかしながら、(海防策のない現段階では)力不足の諸侯・各国(=各藩)においてもやむを得ぬことながら(海防が)行届かない。従って、(当面の策としては)無用の旧例等により費用がかかる風習を取り除き、国難という時は、「丈夫の戦闘」となる様(にすることが)第一だと存じる。 次は直轄領外の沿海地域防衛について。

・大開国の国是決定には諸国の海防策確立が急務とする。
23 一、(沿海諸藩の)力が足りず、防禦が行届かず、変事が多端に至って、ただ死をもたらし、国(=日本)の浮沈を顧みないということはあってはならない。力不足の国(=藩)は複数の諸侯で(集団防衛のために)隣藩と申し合わせるか、「国組」(=集団防衛のための藩の組合せ?)を定めるか、(集団防衛の地域を)「七道」(東海、東北など)に分けるか。地の利によって諸侯の心得は決まるはずである。これまた大事件なので、必ず(or早急に)衆議を凝らすことが肝要の事。 引き続き沿海地域防衛
・一藩だけでは十分な防衛能力のない場合は藩の枠組を超えた集団防衛を提言。集団防衛の方法は3種類提案し、地勢によって諸藩が判断するとする。朝廷が一方的に命ずるのではなく、衆議を尽すよう求めている。(ここでも、地方の自主性を重んじている)。
24 一、一和協力の基本が立ち、(大開国という)国是が定まり、全国皆兵の大策が定まり、海軍「盛開」の時に至れば、恐れながら、当代の重職方が、時期を決めて、「農時を失せざる様に」各国(=各藩)へ御幸し、九州・奥羽までも航海し、士民一統の誠忠尽力の労を観覧して、海内(=全国)の勢力、国々(=諸藩)の強弱等に至るまで観察すれば、(国内の)上下は感奮し、この時に至って、(日本は)実に「地球中の大強国」となるだろう。これは、即ち「千万世不抜の御大業」が立つ事だと存じる。 ・政権の中枢にいる公卿らによる全国視察。(明治になって天皇の巡幸が実現してますよね)。九州・東北へは船に乗ることを提案。このような政府の大事業において、政府の都合優先ではなく、「農時を失せざる様に」という農民への配慮を示す点に注目。父親が郷目付だった伊東らしい発想だと思う。(管理人は、仕事柄、政府の都合優先で、社会的弱者である農民への配慮が不足していたケースを多くみてきました。なので伊東のこの一文には感動)。
・「地球」という言葉はこの種の建白で珍しいのでは?地球儀を見たことがあるんでしょうネ^^。
25 一、恐れながら、朝廷が兵権を廃止した日から朝威は日々に衰弱して、威権が武門に帰してしまった。これは道理においては決して君臣の大道ではないはずだが、自然の勢いは言語を以て尽せない事である。(新政府においては)海・陸軍・親兵等の統御は堂上公卿を任用すれば、自然、朝威が一新するのではないか。何分、昔の世態ではないので、英断を願う。 昔の世態=武家を征夷大将軍に任命していたこと。伊東は兵権を武家に渡したことが朝威の衰弱を招いたと分析。二度と同じことが起らぬよう、海・陸軍・親兵の統帥は武家ではなく公卿を任用するよう求める。(徳川家の軍事的復権や薩長等の軍事的伸張を防ぐことが目的。幕権回復派の近藤勇にも、討幕派の薩長にもいやがられる策ですよね。
(2004.6.6, 6.10)

その1/その2/その3
出典:「伯父伊東甲子太郎」(私家版)収録の建白書。同書では建白書は慶応3年8月に提出されたとしており、多くの新選組本でもそれを踏襲していますが、建白書の(1)(32)などから大政奉還後に提出されたものと判断しています。

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