HP「誠斎伊東甲子太郎と御陵衛士」

 伊東トップ  詩歌・建白トップ  HPトップ

御陵衛士の建白書(3)慶応3年10月中旬(推定)
大政奉還を受けた新政府綱領32ヶ条の建白書

その1/その2/その3

左欄の番号は管理人が便宜上つけました。やおい作家の方の閲覧は固くお断りします。
建白書各条項(意訳by管理人) 管理人コメント
26 一、再三述べるのは恐懼に存じるが、開国鎖国攘夷の諸説が紛々と起り、第一同心一和の基本が立ち難い時は、国(=日本)の一大事である

既に、この春のアメリカ語学者フルベッキの密話によれば、外国人が国(=日本)の「日に開する(=開く日の間違い?)」を殊のほか憂慮している。その理由は、我が国の「羅(??)」はヨーロッパ中央の天度(=天道?=運命?)であり、世界万国の成敗に関係する地だからである。またアジア州中第一の地であり、日本(「倭国【やまとのくに】」)が一和して大志を起せば、中国(「支那」)をたちまちに征するだろう。これは天然(=自然条件)のさせる処である。中国は強国だが、四方へ兵を出せぬ地である。よって中国から日本(「倭【やまと】」)を覗うことはできない。日本人(「倭人【やまとびと】」)が強兵と成り、力が十分に足りる時には、忽ち併呑の気が起るのは天然自然の道理である。日本(「倭」)が中国を取れば、インド・トルコもやがて征服するだろう。(逆に)二国が和すればヨーロッパは危くなり、ロシアも難を受けるだろう。このような道理なので、ロシア・アメリカを始めとする諸外国は日本(「倭」)の一和を恐れている。日本国(「倭国」)一和の基本が立てば、外国にとっては要所を取られるも同じであり、国々の危機である。ゆえに、(これらの国が、日本人が)相互に拒み、真に一和せぬように謀るのは、自国の安全保障のためである。オランダだけが同調しないのは、日本(「倭」)に恩と信義があるからである。
・海外情勢から同心一和の必要性を説く。(早々に大開国で国論を統一し、挙国一致体制を固めることが肝要だという結論につながっていく)。
・「倭人(やまとびと)」という表現には、われわれは幕臣でも会津人でも薩摩人でも長州人でもない、日本人なのだという認識が示されている^^。

・伊東の諸外国は自国の安全保障のために日本国内の不和を助長しているという分析はフルベッキによるもの。慶応3年春の九州出張時、伊東と新井はなんと長崎に9泊滞在しており、このときに洋学所や到遠館にフルベッキの話をききにいったのではないかと推察している。

フルベッキ関連HP:
早稲田大学-大隈をめぐる人々@早稲田大学-教育者大隈重信
27 ロシアが北海道(「蝦夷」)を得ればヨーロッパ諸州は武器を捨てて降参するか、日本を討って、ロシアと雌雄決するしかない。ここにおいて、(世界の)各国は、日本の一和を憂え、それを防ごうする策に決した。不同意なのはオランダと中国のみである。ヨーロッパが日本の領土の寸地でも取れば、ロシアに活路はない。ロシアが日本の寸地を取るときはヨーロッパもまた同様である(活路がない)。このように日本は万国に関係する国なので、双方(ロシアとヨーロッパ?)とも心に掛けている。その他、種々の説があるが、略す。このような次第につき、同心一致の基本が肝要であるのに、(国内では)鎖国攘夷説が頑固に出ており、開国説は風習の弊に流れている。もっとも、開国説も攘夷の基本とはいうべきものの、人心が偸安【ちゅうあん】怠惰の弊習に流溺してしまうと、これまた大害であるので、国内皆兵・海軍創設・防禦の備えが専要だとの叡慮を布告して、偸安の流弊を止めて強国の基本が立つようされたい。衆議によって五畿内(伊東の構想では朝廷直轄領)の外は開国と成って、「攘鎖論の海岸には立ち寄らざる様の儀」(??原文確認が必要)はどのようにもなるだろう。摂海鎖港という一快事があれば、なんとか(五畿外は大開国で)「衆洋一定」(衆議一定?)になるのではないか。万一やむを得ず摂海まで開港になれば、皇国の「正気【せいき】」もこれまでだと存じる。もっとも既に開港済みであるので、(鎖港は)困難だと思われるだろうが、元来、(諸外国とは)和親の名義もあり、(日本側が)国家の情実を説明すれば、(外国側が鎖港を)請けないことは道理において相成らぬことである。 諸外国に国論分裂による内憂を利用されぬよう、早々に同心一致(一和同心と同義)して、大開国大強国で国是を統一することが肝要だという結論

・「開国説も攘夷の基本」伊東の開国は攘夷と対立するものではなく、攘夷を発展させたもの。いわゆる大開国大攘夷。これに対立するのが、この建白書では、鎖国攘夷。上京前は天狗党の筑波挙兵(横浜鎖港攘夷)に心を寄せていたという伊東が、いつ頃、どのようにして大開国に目覚めたかは残念ながら現時点では不明。(伊東の数多の草稿は、暗殺後、新選組に持ち去られたため:涙)。

・情理を尽して説明すれば相手が理解してくれるはずだという理想主義的発想。(性善説なんですね、きっと。この年の11月18日、伊東が近藤勇の招きに応じて出かけたときも、この構想を話せば理解してもらえると信じていたのでは・・・)。
28 北海道(「蝦夷地」)は皇国の北門で重要な地である。殊にロシアと境界を接し、(京都からは)千里隔絶の地なので、堂上公卿方を総督として鎮守府を設置し、現地において十分な備えが立つようにするのが肝要である。 ・北海道の防衛に鎮守府を置き、公卿を総督とする。
29 もし、大開国となれば外国からの諸関税も莫大となるので、これらを皆、諸侯の海陸の軍事費に配当するよう衆議により決定すること。 ・大開国による通商で増大する関税収入をすべて諸藩の防衛費の財源として配当(今でいえば、地方交付金。ユニークな発想ですよね^^)。
・大開国→諸関税が莫大になるということからは、伊東の唱える大開国には関税自主権の回復が含まれていることもわかると思う^^。
30 朝廷の守護は、親兵が整備されるまで、参勤の諸侯が隔年で勤めるべきか。長年の参勤は諸藩を疲弊させ、物価高騰の根源となるので、親兵が整備されれば、国事関係の諸藩の参勤は少人数とし、成るだけ疲弊の害を除くこと。 ・親兵設置を主張するだけでなく、整備までの間の京都守衛をどうするかも考えている。もちろん旧幕下の参勤交代が諸藩の疲弊につながってきたことに配慮。
31 衆議を広め、公の評議を尽されることはもっとも至極である。しかしながら、朝廷に、「御大政天下一新の政令」(を発する)見込みの決定がなく、ただ衆評のみ頼りにしていたのでは、却って朝権が衰弱する道理であり、威権が却って諸藩に帰してしまうという実弊が起るだろう。ひとえに英断を懇願する。 ・公・衆議を基本としながらも、朝廷自身がイニシアティブをとってが「御大政天下一新」の政令を発することを求める。(王政復古の大号令のこと。もちろん、その内容はこの建白の趣旨を汲み取ったものになることを想定)
32 十二月七日期限の兵庫開港の件は切迫の急務で、一大事であるので、諸侯が上京して天下の公議を尽くし、朝議が決定するまでの間、右の日限を廃止するよう取り計らうよう、これまで(外交を)扱ってきた「廉」(旧幕府のこと)に命じて然るべきだと存じる。諸侯については、一大事につき、期限を設けて出京するよう命じて然るべきと存じる。「道路の説には之あるべく候」(不明・調べ中)が、朝廷においても(大政が返上されたことについて)当惑云々の説もある。万一、再び政権を武門に委任するような動揺があれば、勤王の諸藩はもちろん、天下の人心も沸騰し、内乱が起るのは間髪をおかぬ形勢である。(天下の公議となれば)多くの諸藩に種々の異説が起ることは必然だが、いささかも動揺せず、「回復」(大政の朝廷への回復。王政復古)の大業を建てるよう懇祷する。 ・伊東の政治構想では公卿が政権の中心なので、朝議が意思決定機関。国政の重要事は諸侯が公議の上出した結果をもとに朝議が結論を出す。この仕組みが常設化されれば、二院制につながる・・・。
・外交事務は(暫定的にでも)これまで通り旧幕府に命じるという考え。伊東が旧幕府を全否定をしていないこともわかる。(伊東は幕府が大政を奉還し、徳川家が諸侯の列に下ったことで満足しているようだ。これは、岩倉具視以外の公卿も同様)
・大政奉還を受理したものの、朝廷ではその扱いに困っていた時期である。徳川家が返上した政権を別の武家に委任するようなことがあってはならないと強く主張。(繰り返しになるが幕権回復派の近藤勇にも、討幕派の薩長にも受け入れられない構想)。
- 右は国家興廃の時節であるので、愚昧微身を顧みず、大意を建白するものである。なおこの上ご不審の儀があれば御親問(直接問いただすこと)蒙りたく、懇願する。
(2004.6.11,6.13)

その1/その2/その3

出典:「伯父伊東甲子太郎」(私家版)収録の建白書。同書では建白書は慶応3年8月に提出されたとしており、多くの新選組本でもそれを踏襲していますが、建白書の(1)(32)などから大政奉還後に提出されたものと判断しています。

著作物作成の情報収集に来られた方へこのサイトのページの内容は管理人ヒロの私見です。著作物作成に利用することはお勧めしません。参考文献をご自分でそれらを調べ、ご自分で解釈されることを強くお勧めします。また、盗用も絶対にやめてください。情報に勘違い・誤解・誤植などがあった場合、あなたにも読み手にも迷惑をかけることになり、その責任まではとれないからです。もし、サイトの情報をそのまま利用される場合は、あくまでの管理人の私見であることをご了解の上、自己責任でお願いします。その際にはこのサイトが出典であることを明記してください。(詳しくはこちら

伊東トップ  詩歌・建白トップ  HPトップ

HP「誠斎伊東甲子太郎と御陵衛士」