誠斎伊東甲子太郎と御陵衛士

トップ 趣旨 衛士とは 伊東 年表 事件 列伝 伝記 逸話 思い出話 史料写真 女達 考察 市居氏 史跡 図書 新選組

御陵衛士関係の書簡・建白・日記・詩歌(解読by管理人)

2004年7月末、念願叶って三樹三郎のご子孫・鈴木様宅にお邪魔し、貴重なお話をうかがうとともに、貴重な資料の数々を拝見させていただきました。伊東の歌集「残しおく言の葉草」の原文と公刊されているもの(「小野(「伯父伊東甲子太郎武明」)版」「子母沢(『新選組遺聞)版」)の違いは予想を遥かに超えており、さらに原文には未発表の和歌が数首含まれていること、また三樹にも「魁て散りにし」「亡き友」の「真心」を詠った数首を含む未発表の和歌草稿があることもわかりました。写真に撮らせていただいたり、貸していただいたこれら資料の掲載を、鈴木様が快く許可して下さいましたので、少しずつ整理してUPしていくつもりです。(鈴木様、本当にありがとうございますm(..)m)。2004/8/3

A:書簡、B:建白書C:日記D:詩歌(★印は鈴木家等の古文書からの解読)

伝記こちら (書簡が多く含まれる毛内青雲志録も伝記に分類しています)

A-1
文久元年(推定)7月26日付
書簡(1)柴?兄宛三木
荒次郎書簡
2004.10.24
水戸浪士らへの過酷な処分を歎くなど、上京前の三樹三郎の思想傾向がかいまみえる興味深い書簡。兄が伊東道場の塾頭であることも伝えている。未公刊部分の解読あり
A-2
安政〜元治元年頃(推定)
1月20日付
書簡(2)柴田真斎宛
三木荒次郎年賀状

2007..5.15
三樹三郎が三木荒次郎と名乗っていた頃の年賀状。あて先は柴田真斎。誰なのか気長に調査中・・・。
A-3
元治2年10月下旬(推定)
書簡(3)こよ(伊東母)宛
伊東うめ(伊東妻)書簡

2004.8.18最終
伊東の妻うめが、良人の出立を常陸の姑こよに報せたもの。夫の身を案じながらも、気丈に見送る武士の妻のせつなさが伝わる書簡。伊東とともに上京する同志についても書かれている。
A-4
慶応2年(推定)8月4日付
書簡(4)母こよ・関家宛
伊東兄弟の書簡

2004.10.12
伊東兄弟が公卿大原重徳から下賜された和歌を故郷の母に送るとともに、近況を報せたもの。大原に「誠の志」を認められて踊る心や「只々天朝へ御奉公いたし候一心」を固める様子が認められている。(原本には未公刊の断片あり。解読難航中)。
A-5
疑問
あり
慶応3年(推定)2月26日付
書簡(5)「北山御殿」宛
彦次/武明書簡
2004年9月に新発見の(大原重徳宛)伊東書簡として武庫川大学教授菅宗次氏が発表されたもの。『龍馬と新選組』(講談社メチエ)に写真・解読文・大意・解説が収録されている。*しかし・・・う〜ん・・・主要な疑問点はこちら。*2005.1.25、「覚書」に「新発見伊東書簡に異論」をUP。『龍馬と新選組』収録書簡が(1)伊東書簡ではなく、(2)香川敬三書簡の可能性が高いと考えていること、その理由を記しています。収録書簡の翻刻・読み下し・コメントもそちらからリンク予定。
A-6
慶応4年1月11日付
赤報隊関係書簡(1)
2007..5.13
鳥羽伏見の戦後、御陵衛士残党が相楽総三らとともに、綾小路前侍従(大原重徳の子)・滋野井侍従を奉じて結成した赤報隊関係の関係書簡。(1)赤報隊が挙兵の趣意を述べた書簡に対する太政官返書。東海道鎮撫総督の指揮下に入って桑名城を攻撃せよとの内容。赤報隊が新政府から「官軍」の一部だと認められていたことを示す文書
A-7
慶応4年1月中旬(推定)
赤報隊関係書簡(2)
2007.5.15
(2)1月中旬(推定)太政官沙汰書。内容は、東征の際は官軍の嚮導先鋒を務めること、それまで兵を募り糧食を蓄えること、東海道鎮撫使の指揮に随うこと、旧幕領において年貢半減令を宣言することを命じたもの。一般には(研究者の間でも)原資料の所在が知られておらず、年貢半減令の存在自体に疑問をもつ人もいる。その意味で貴重な、年貢半減令の裏づけ資料でもある。(資料の写真はリンク先から)
A-8
慶応4年1月26日
赤報隊関係書簡(3)
2007.5.17
(3)綾小路前侍従宛の赤報隊帰京命令。
A-9 毛内の母滝子の書簡 毛内の討死を伝える篠原秦之進書簡への返書。
A-10 慶応4年2月28日
毛内の母滝子宛
津軽藩士葛巻行雄書簡

2017.12.20
葛巻は津軽藩表書院番頭。毛内の死後、月真院、赤報隊となった三樹三郎・阿部十郎、戒光寺院代などを訪ねて知りえた前後の事情(御陵衛士拝命、新選組の「妬」み、油小路事件、戒光寺への改葬など)を毛内の母に知らせたもの。最後に追悼の和歌が添えられている。
A-11 明治2年11月
新井陸之助書簡(2通)
(1) 11月13日付弘前藩木村三穂太郎宛書簡、
(2)11月16日付 弘前藩赤石礼次郎宛書簡
A-12
(明治30年)2月
阿部隆明書簡

B:建白書

B-1 慶応3年5月?
建白書(1)兵庫開港勅許
反対
毛内の草稿。兵庫開港勅許に反対する内容。孝明天皇が許さなかった兵庫開港は認めるべきでないというもの。どこに対して書かれたものなのか、実際に提出されたものなのか、不明。
B-2 慶応3年8月8日
建白書(2)長州寛典を
促す建白書

2006.12.21
(2010/12/14 差出人情報
追加)
伊東ら連名。長州寛典を訴えた建白書。再々征となれば内乱となり、外国の介入も招きかねないと分析。寛大な処分により、戦争を回避し、皇国の一和という政治の基本を立てるべきという主張。事の是非の議論よりも、一和を優先。(長州が正しいという主張じゃないんですよ〜)←当時、将軍慶喜の奮闘により、長州寛大の沙汰が既に出ており、実行を促す内容。
B-3 慶応3年10月中旬以降
(推定)
建白書(3)大政奉還後の
新政府綱領32条
(基本政策)
重要!
2004.5.2, 6.13
伊東が大政奉還後に提出したと思われる王政復古のための綱領(基本政策)32ヶ条。公卿中心の政権、一和同心、国内皆兵、大開国大強国等、伊東の政治構想を知るための基本的かつ重要な資料。口語訳&コメント。*幕末政治・思想専門の研究者・松浦玲氏は、この建白書を「大開国意見書」とし、その政治構想(「公卿政権論」)を坂本龍馬のものよりユニークと評価。
B-4 慶応3年11月17日
建白書(4)准后落飾に反対
准后が仏式に落飾したことを諌める、御陵衛士らしい内容。
B-5 慶応3年11月18日
殺された伊東の懐中に
あった建白書(5)
複数の同時代記録より。建白書(3)とほぼ同じ内容。近藤に招かれた伊東が国事を議論しにいったという説の傍証となる史料。
B-6 慶応3年11月18日
B-6 慶応3年
建白書(6)
毛内の草稿。5条から成る。建白書(3)(5)と非常に関連のある内容。どこに対して書かれたものなのか、実際に提出されたものなのか、一切不明。一和はここでも強調されている。

C:日記
C-1 慶応3年1〜3月
伊東の「九州行道中記」
 
03/12/1最終
伊東の九州出張〜新選組分離時の日記。口語訳&コメント付。(「伯父伊東甲子太郎武明」収録の道中記の翻刻ミス数ヶ所を原本の写真から訂正しています)

D:詩歌
D-1
元治2年10月〜慶応3年秋
伊東の
「残しおく言の葉草
」全首

(原本版&小野圭版)
2004/1/14よりup
2006/12/19最終修正
鈴木家の原本より。伊東甲子太郎の和歌(上京、望郷、山南の弔歌、恋、真心、志、春、九州・長州遊説など)約155首、戦国・南北朝女性等の詠んだ歌28首、その他の古歌5首。国事に奔走しながら、残してきた家族や故郷を慕い、友を思い、真心を大切にし、恋に苦しみ・喜ぶ、等身大の伊東の姿が浮かびあがる歌集。コメント&素人解釈付。未公刊歌(2004.8現在)の発見あり。これまで活字化された子母沢寛版(『新選組遺聞』)、小野圭次郎版(『新選組覚書』など)、はいずれも原本の正確な翻刻ではありません。また、2004年9月刊行の『龍馬と新選組』の「残しおく言の葉草」の翻刻・解説にも若干誤りがあります。ご注意ください。
D-2
慶応3年3月以降(推定)
伊東自身が撰した?
九州道中の和歌書付
C-1の「九州行道中記」で詠まれた17首のうち、13首。 昭和15年当時、篠原のご子孫が所蔵されていた伊東揮毫の額の和歌書付より。伊東が「九州行道中記」とともに篠原に贈ったものされる。伊東武明と署名されている。
D-3 上京?〜慶応3年
会津藩邸・油小路で横死
した衛士・同志の歌
(1)佐野七五三之助、(2)服部三郎兵衛、(3)藤堂平助、(4)毛内監物
D-4
慶応4〜明治年間
横死した同志を想う歌
(1)(芳野)桜陰★、(2)新井
忠雄、(3)三樹三郎
2005/2/11
(1)明治元年に(芳野)桜陰が伊東らの一周忌に三樹三郎に代わって詠んだ歌★、(2)明治2年に新井忠雄が詠んだ歌、(3)明治になってから三樹三郎が同志を偲んで詠んだ歌。「友」の「真心」が詠み込まれていて、あぁ、衛士だな・・・という歌。
D-5
時期不明
三樹三郎
「岳父鈴木三樹三郎忠良」収録の歌、及び新発見の草稿★(←筆跡から三樹三郎と推定)

参考資料欄にサイトのタイトルとURLを明記することなく、他HP・同人誌・商業誌(創作を含む)・
レポート・論文等の参考に資すること、及び無断転載・複写・配布はお断りします。
また、このサイトのコメント部分は管理人の私見であることをご承知ください。
なお、やおい(エロ)作品への悪用は絶対にしないでくださいm(__)m。また

衛士関連での前例が何件かあり、まいっていますのでヨロシクお願いします。

トップ 趣旨 衛士とは 伊東 年表 事件 列伝 逸話 思い出 写真 女達 考察 市居氏 史跡 図書 新選組

「誠斎伊東甲子太郎と御陵衛士」