「誠斎伊東甲子太郎と御陵衛士」
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慶応4年1月、鳥羽伏見の戦いで薩摩軍に属して戦った御陵衛士残党は、戦い後、油川錬三郎・相楽総三らとともに、綾小路俊実(前侍従、大原重徳の息子)・滋野井公寿(侍従)を奉じ、江州松尾山にて赤報隊を結成した。一番組長相楽総三、二番組長三樹三郎、三番組長油川錬三郎である。赤報隊は、相楽と元衛士の阿部十郎を使者として上京させ、挙兵の趣意を述べる綾小路・滋野井の書簡を太政官に差し出したという。以下は太政官からの返書。 東征が始まれば東海道鎮撫総督の指揮下に入って桑名城を攻撃せよとの内容であり、のちに「偽官軍」とされた赤報隊が新政府から「官軍」の一部だと認められていたことを示す文書である。 |
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(2007/5/13) |
注:鈴木家所蔵の書簡から解読しました。この書簡の解読については、西宮市郷土歴史資料館の江藤氏にご協力をいただきましたm(..)m。なお、句読点は管理人が任意につけました。 |
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「誠斎伊東甲子太郎と御陵衛士」