「誠斎伊東甲子太郎と御陵衛士」

書簡・建白・詩歌トップ   HPトップ


A-8 赤報隊関係書簡(3)
(慶応4年)1月26日付 大原前侍従(綾小路俊実)宛沙汰書
(帰京命令)

赤報隊に帰京を命じる沙汰書。旧御陵衛士の三樹三郎率いる二番組と油川錬三郎率いる三番組は、命令に従って、綾野小路侍従とともに帰京した。帰京後、旧御陵衛士の三樹・新井・篠原は捕縛されて大津に投獄されたが、やがて薩摩藩お預かりとなった。一方、相楽総三の率いる一番組は、帰京せず、官軍先鋒嚮導隊を名乗り、年貢半減令(こちら)を掲げて進軍を続けたが、下諏訪で東山道総督府に「偽官軍」として全員が捕縛されてしまう。ろくに取り調べを受けぬまま相楽ら8名は斬首され、首は刑場に晒された。年貢半減令をひそかに撤回した新政府の政治的犠牲になったといわれている。

(史料写真はこちら

 (翻刻文)

    大原前侍従

此度東征大軍議
被為有三道追撃
可有之ニ付御沙汰
候義有之候間一
先上京可有之様被
仰出候事

 尤当時附属候兵士
 召連候而早々上京
 可有之事

正月廿六日
(仮読み下し)

此の度、東征大軍議有らせられ、三道追撃之れ有るべきに付き、御沙汰候義之れ有り候間、一先ず上京之れ有るべき様、仰せ出され候事。


尤も当時附属候兵士召し連れ候て、早々上京之れ有るべき事。
(2007/5/17)

前へ

注:鈴木家所蔵の古文書から解読しました。この書簡の解読については、西宮市郷土歴史資料館の江藤氏にご協力をいただきましたm(..)m。なお、句読点は管理人が任意につけました。


書簡・建白・詩歌トップ  HPトップ

「誠斎伊東甲子太郎と御陵衛士」