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【京】文久3年9月18日(1863年10月30日)、夜、晴天。筆頭局長芹沢が島原角屋で宴会の後、泥酔して屯所で就寝中に4−5名に襲われて絶命。一派の平山も殺害され、平間は脱走しました。当時は長州の仕業という噂が流れたといいます。 ■回想録 ★新選組は島原の角屋で宴会を開いた。芹沢・平山・平間・土方・沖田・御蔵は先にひきあげ、芹沢・平山・平間・土方の4名は八木の本宅で酒宴を開いた。土方は芹沢を酔わせて早く寝かせようと、「お開きにしよう」といって酒をひきさげた。土方は八木邸を去るときに玄関の障子をあけ、門の扉をあけておいた。襲撃メンバーは土方・沖田・藤堂・御蔵。まず平山を斬り、次に屏風ごと芹沢を刀で突き刺したという。(『浪士文久報国記事』) ■通史 ★会津候は近藤・山南・土方・沖田・原田を呼び出して芹沢暗殺を命じた。沖田は最初に部屋に入り、就寝中の芹沢に無言で斬りかかったが、目覚めた芹沢に脇差で反撃され、鼻の下に軽傷を負う。山南は原田とともに平山五郎を殺害したという(『新撰組(壬生浪士)始末記』) ■回想談 ★*「芹沢を暗殺しましたのは沖田が主任」*(阿部隆明談『史談会速記録』83より引用。ただし、これは阿部の風聞か憶測) ■読み物・他 ★八木老人の母親によると、土方・沖田・山南が襲撃メンバーの中にいたようだという。(子母沢寛「八木老人昔話」『新選組遺聞』) ★八木老人が、後年、永倉と話した時、永倉は襲撃メンバーを土方・沖田・原田・井上と推測していたという。(子母沢寛「八木老人昔話」『新選組遺聞』) ★斎藤は近藤の命令で芹沢を殺害した。(「藤田家文書」) ←藤田家文書は斎藤の長男が死ぬ前に妻に口述筆記させたものである。 <ヒロ> 芹沢はなぜ殺されたのか・・・。近藤にとっては自分が権力を握るための粛清だったのでしょうが、会津藩はなぜ教唆あるいは黙認をしたのでしょう。ひとつの推測ですが・・・酒色におぼれて乱暴だったとか、大和屋を焼き討ちにしたとかいう件は、もともと芹沢を処分したいと考えていた会津藩に絶好の口実を与えたような気がするのです。芹沢は水戸激派(本国寺党)とのつながりがあったといわれています。水戸派は尊王敬幕ですから倒幕ではありませんが、成破の約など長州との縁は深いのです。芹沢は「幕府についた」として京都の尊王派から相手にされなかったともいいますが、水戸激派を通して尊王浪士たちとつきあうということが全くなかったとも断定できません。このような水戸激派と筆頭局長芹沢のつながりは、京都守護職・会津藩にとっては決して歓迎できるものではなかったはずです。しかも、水戸藩郷士出身で烈公を敬愛していたという芹沢は、容保を主君とは思わなかったはずで、盲従はしなかったことでしょう(ニ君につかえず)。芹沢より、近藤をトップにすえた方が会津藩の利益にずっとかなっていた・・・。 芹沢の兄弟は御三家である水戸藩家中の者だったといわれていますから、それをはばかって表だった行動はとれなかったのでしょうが・・・。禁門の政変で京都の政治を牛耳っていた尊攘激派が失脚した今、なにかとめざわりな芹沢を始末するよい機会が到来したということではないのでしょうか。(水戸激派と芹沢・新見らとのつながりについては、これから気長に調べていこうと思っています;;) ちなみに、藩同士ということでは、水戸藩は、親藩で孝明天皇の信任のあつかった松平容保の会津藩と必ずしもそりがあわなかったとは思っていません。しつこいようですが、水戸藩は倒幕ではなく尊王敬幕(御三家だし、水戸学も幕藩体制の枠内での尊皇論と思ってます)だし、水戸藩が桜田門外の変で窮地に陥ったとき、奔走して幕府との仲をとりもったのは会津侯でした。それに、容保の実父も養父も水戸藩系なんですよ。 ***** ところで、襲撃の当事者による記録はありません。永倉は角屋にずっと残っており、翌日に急を知らされたとしています。近藤らが永倉を信用していなかったということでしょうか。 また、ドラマではよく、試衛館生え抜き(あるいは天然理心流)のみによる夏の雨夜の襲撃となっています。元ネタである子母沢寛の八木老人昔話で、残暑が厳しく唐紙はあけっぱなし、しかも土砂降りとされているからです。しかし、実際は西暦では10月30日。残暑どころか夜は冷え込む季節。お天気はというと、『幕末維新京都町人日記』(四条大宮在住の町人の日記)によれば、18日は晴れ。17日も晴れです。子母沢寛の新選組三部作は史実のように思われていますが、実はフィクションであり、当然ながら虚構が多いのですが、これもそのようです。とすると、八木老人話の襲撃メンバーもどのていど確かなものかと思われます。16日が雨だったので、襲撃がその日とする説もありますが、墓碑銘の日付が18日であり、襲撃は18日にあったとする方が自然ではないかと思います。 関連:「浪士組日誌文久3」「芹沢鴨」@衛士館(新規ウインドウが開きます) 参考:『新選組史料集』・『新撰組顛末記』・『新選組・斉藤一の謎』・『新選組再掘記』(新人物往来社)、『新選組始末記』・『新選組遺聞』(中公文庫)、『浪士文久報国記事』(PHP)、『幕末維新京都町人日記』(清文堂) (2000.10.30) |
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