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幕末の主なできごと ◆=・幕末 ◇=御陵衛士(浪士組)

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◆1/1(2.18)【兵庫】軍艦奉行並勝海舟、坂本龍馬、近藤長次郎、千葉重太郎他1名を大坂経由で京都に帰す。龍馬に「愚存草稿」を託し、「或る貴家」に内呈させる
◆1/2(2.19)【京】守護職松平容保、初参内。御衣を与えられる/長州藩主父子の帰国奏請/【江】将軍上洛延期運動(4)薩摩藩士吉井幸輔着府。松平春嶽を訪ね、近衛忠煕関白の密書を渡す。/清河八郎、春嶽に3度目の上書
◆1/3【京】長州藩世子毛利定広参内。攘夷周旋の功で御衣を与えられる。
◆1/4【江】将軍上洛延期運動(5)春嶽・容堂、吉井・大久保を引見し、薩摩藩の将軍上洛延期案に同意
◆1/5【京】将軍後見職一橋慶喜入京/【江】将軍上洛延期運動(6)春嶽、将軍上洛延期を幕議で内々に提案。老中の同意を得る。/高杉晋作・久坂玄瑞ら、吉田松陰の遺骸を改葬
◆1/6【江】将軍上洛延期運動(7)吉井・大久保、春嶽と内談。将軍上洛延期の朝命を周旋することを決定
◆1/7【江】将軍上洛延期運動(8)吉井・大久保、春嶽に朝廷への加増を建議。春嶽、近衛関白宛書簡を託す/幕府、浪士取扱役松平主税助に浪士募集を命ずる。庄内藩へ清河宥免の達し
◆1/8【京】慶喜、近衛関白・議奏・伝奏を歴訪。/【坂】老中格小笠原長行、勝海舟らとともに着坂。/【江】春嶽・容堂・利通、将軍の3月中旬上洛を内決
◆1/9【江】将軍上洛延期運動(8)大久保、将軍上洛延期の朝命周旋のため、江戸を出立して京都へ
◆1/10【京】慶喜、所司代牧野忠恭らを従えて参内。【江】越前藩中根雪江、江戸を出立して京都へ。/【坂】小笠原長行旅宿に勘定奉行(津田左近)・外国奉行(菊地伊予)・大坂町奉行(川村壱岐・島井越前)・軍艦奉行並勝海舟、目付松平勘太郎が集まり、海岸防御を議論
◆1/11【京】長州藩久坂玄瑞ら攘夷期限決定のため慶喜に面会を求める。/【坂】勝、7日付の江戸からの手紙で、将軍・春嶽・容堂海路上京のための早期帰府を促される
◆1/13(.3.2)【京】後見職一橋慶喜、学習院で急進派公卿と対峙
◆1/15【京】将軍上洛延期運動(9)大久保利通・中根靱負入京/幕府、将軍の海路出発を2月26日と発表
◆1/16【京】上洛延期運動(10)中根、慶喜に将軍上洛延期の動きを報告。慶喜、「以ての外険悪」な形勢を語り、懸念を示す。大目付岡部長常、「過激な攘夷論」のみの厳しい情勢を語る/鷹司輔熙に関白宣下の内意/【江】近藤勇、小島家から鎖帷子借用(これ以前に、浪士募集に応じることを決める&横浜攘夷の機会を待つ篠原らのちの衛士たち/勝海舟&順動丸品川着/勝海舟、容堂と面会し、坂本龍馬脱藩の許しを求める(15日?)
◆1/17【京】朝廷、長州藩主毛利敬親を参議に任命/将軍上洛延期運動(11)大久保、中根に延期周旋の困難さを説明・本多弥右衛門・藤井良節、内談。/【江】勝、操練所に、春嶽、板倉老中、水野老中、若年寄稲葉正巳等を案内。
◇1/18【江】浪士組結成(9)松平主税助、清河八郎引き取りの届け出
◇1/19【江】浪士組結成(10)試衛館道場主近藤勇、山岡鉄舟と面会
◆1/20【京】上洛延期運動(12)運動蹉跌。近衛忠煕・鷹司輔熙、将軍上洛延期発令の見合わせを決定。近衛、島津久光に再度上京を求める。
◆1/21【京】浪士対策(1)容保、慶喜に言路洞開を説く。/大久保利通、鹿児島へ出立
◆1/22【京】池内大学「天誅」事件/【江】松平春嶽、順動丸で海路上京の途につく。(勝海舟指揮)目付杉浦順一郎同行
◆1/23【京】公武合体派近衛忠煕、関白辞任(内覧は継続)。鷹司輔熙新関白に
◆1/24【京】池内「天誅」事件(2)。鷹司関白・近衛前関白・中川宮(青蓮院宮)・中山・正親町三条大納言に脅迫状。
◆1/25【京】前土佐藩主山内容堂、入京
◆1/27【京】朝廷、公武合体派議奏中山忠能・正親町三条実愛の辞職を許可する。翠紅館の尊攘派会合
◆1/28【京】千種有文の家臣賀川肇「天誅」事件(1)/容保、将軍上洛を促す使者外島機兵衛らをを江戸に送る。
◆1/29【京】朝廷、中川宮(当時、尊融法親王)に還俗の内旨/浪士対策(2)国事御用掛、諸藩に浪士の攘夷先鋒を諮問/政事総裁職松平春嶽、海路着坂。
◆2/1【京】賀川「天誅」事件(2)千種・岩倉に賀川の手と脅迫状、慶喜の宿舎に賀川の首と攘夷期限決定を迫る封書。朝廷、諸藩に浪士取締の沙汰。/【坂】勝、春嶽の旅宿を訪ね、天下の形勢を論じる
◇2/2【江】浪士組結成(11)上洛浪士組幹部決定。/【坂】勝、春嶽の招きで旅宿を訪ね、「江戸の閣老への御談三条」をきく。日記p73
◆2/3【京】浪士対策(4)容保、慶喜から言路洞開の承諾を得る/【江】生麦事件償金(2)英国艦隊、横浜に入港
◆2/4【京】春嶽入京。/浪士対策(5)容保、前関白近衛に言路洞開を建白/浪士組結成(12)松平主税助、浪士取扱役を辞任
◆2/5【京】攘夷期限(2)慶喜、将軍上洛の上の攘夷期限決定を鷹司関白約束/浪士対策(6)容保、春嶽に浪士を武田耕雲際に附属させ、自分が指揮して攘夷先鋒にと提案/【江】上洛浪士に諸規定の申し渡し。
◆2/6【京】容堂の宿舎に唐橋村惣助の首と攘夷を促す書/浪士対策(7)春嶽、容保に異見があると伝える【長】長州藩士長井雅楽切腹/【江】土佐藩士、清河を罵る
◆2/7【京】浪士対策(8)春嶽、浪士を制するために朝議を固めるよう促す鷹司関白宛ての建白を起草/この頃、平井収二郎、会津藩訪問
◆◇2/8【京】攘夷期限(3)急進派公卿、関白らに朝議が因循しないようにとの上書/浪士対策(9)慶喜・容堂・岡部長常・沢勘七郎・武田耕雲斎、浪士対策を協議/【江】浪士組江戸出立し、中山道により上洛へ 
◆2/9【京】j攘夷期限(4)急進派公卿12名の関白鷹司邸列参/慶喜、将軍帰府後の攘夷を約束/浪士対策(10)慶喜・容堂・容保・岡部長常・杉浦正一郎・沢勘七郎ら、浪士対策を協議/【江】生麦事件償金(3)幕府、将軍は13日に東海道により上洛と公布
◆2/10【京】攘夷期限(5)将軍上洛前に攘夷期限の内奏をするようにとの沙汰/浪士対策(10)春嶽、鷹司関白に浪士対策を確定するようにとの建白書を提出
◆2/11【京】攘夷期限(6)久坂玄瑞・寺島忠三郎・轟武兵衛、鷹司関白に1)言路洞開、2)人材登用、3)攘夷期限決定の三策を迫る・公卿の関白列参/天皇、請願を勅許/後見職慶喜、勅使に将軍滞京10日、帰府後20日(4月中旬)の攘夷期限を上答/浪士対策(11)守護職容保、藩士に夜間の巡邏を始めさせる。
◆2/12【京】攘夷期限:朝廷、将軍滞京を10日とする沙汰/浪士対策(12)中川宮(青蓮院宮)、関白と参内。天皇に急進派公卿の激論・浪士の横暴を密奏/
◆2/13【京】国事参政・国事寄人設置/九条尚忠・久我建通・岩倉具視・千種有文・富小路敬直、重慎に/肥後藩士森井惣四郎、会津藩公用人に警告/浪士対策(13)春嶽・宗城、近衛前関白を訪ねて「過激疎暴の徒鎮撫方」(=浪士処分)浪士対策を密議/【江】将軍、東海道により上洛の途へ
◆2/14 (4.1)【京】攘夷期限:容堂・容保・春嶽・慶喜、攘夷期限を4月中旬とする上書を提出/浪士対策(14)慶喜・春嶽・容保・容堂・宗城、浪士のうち主のある者は帰藩・主のない者は幕府が扶助、勅諚による施行・違反者の厳罰を決める(&浪士捕縛をめぐる春嶽と容保の対立)/国事参政・寄人13名、在京諸大名の招集及び言路洞開を建言
◆2/15【京】浪士対策(15)春嶽、浪士処遇意見の内奏のため、中川宮を頼る/中川宮、慶喜・春嶽・容保・宗城に対し、浪士の意見を採用する三条実美の影響により、朝廷の幕府に対する嫌疑が強いことを伝える
◆2/16 【京】浪士対策(15)鷹司関白、浪士処遇の勅諚は困難で、後見職一橋慶喜に任せたい、それでよければ伝奏から通達、と総裁職松平春嶽に書簡/守護職松平容保に不逞浪士取締・取締りを分担する藩の推挙の朝命/攘夷親征(1)長州久坂玄瑞・土佐平井収二郎ら、攘夷親征の行幸を議論/【江】水戸藩主徳川慶篤、江戸出立
◆2/17【京】浪士対策(16)鷹司関白、容保に対し、十分配慮しての取締りを求める密書/春嶽ら、浪士処遇を任せてほしいと関白に返書
◆2/18【京】在京諸大名21名に攘夷の勅諚が示される
◆2/19【京】政令帰一(1)春嶽、政令帰一(大政委任か政権返上の二者択一)を論じる/浪士対策(17)朝廷、会津藩に学習院警戒に当らせる。/生麦賠償問題(4)英国代理公使ニール、謝罪と償金の返答を要求。返答期限は3/8
◆2/20【京】政令帰一(2)慶喜・春嶽・容保・容堂、政令帰一を論じに鷹司関白邸訪問/攘夷親征(2)長州藩、攘夷祈願の加茂両社・泉涌寺行幸を建議/浪士対策(19)朝廷、学習院における草莽の建言を許す/
◆2/21【京】政令帰一(3)慶喜・春嶽・容保・容堂、鷹司関白に政令帰一を迫る。関白、決断できず、御前会議開催にも難色を示す。将軍上洛時には大政委任の沙汰が下るよう取り計らうと述べる
◆◇2/22【京】親兵設置:慶喜、親兵は守護職の指揮下、畿内諸大名に勤めさせたいと上言/足利将軍木像梟首事件(1)/浪士組上京(2)大津の浪士組に在京諸侯への勅諚の一件が伝わる
◆◇2/23 【京】生麦賠償(5)上京途上の老中、返答期限延期交渉を指示/親兵:朝廷、親兵設置を議論/浪士組上京(3)浪士組入京。清河八郎、朝廷(学習院)への建白を提案/ 
◆◇2/24【京】生麦賠償(6)慶喜・春嶽ら、将軍帰府の上での返答&英国への期限延期申入れを議定/幕府、薩摩藩に英国の要求に対する心得を達す/浪士組上京(3)清河八郎、朝廷に尊王攘夷の建白書提出
◆2/25【京】生麦賠償(7)薩摩藩吉井幸輔・藤井良節、京都を出発/木像梟首事件(2)容保、犯人捕縛を決意/ 千葉重次郎、越前藩を訪ね、坂本龍馬について内談。脱藩罪を許される。
◆2/26【京】生麦賠償(8)慶喜・慶勝・春嶽ら、開戦の覚悟を定めること、江戸守衛のため水戸藩主慶篤に帰府を命じること、諸侯帰国の暇を出すことを鷹司関白に請う/木像梟首事件(3)犯人捕縛(守護職の浪士対策、強硬策に転換)/
◆2/27【京】生麦賠償(9)朝廷、和宮守護のための水戸藩主東帰を命じる。諸侯帰国暇の朝命と天皇への直接奏上は叶わず。/親兵設置:春嶽・慶喜、諸侯諮問・「天下の公論」による親兵設置の可否決定を具申・朝廷、親兵設置を発令/浪士対策(19)容保、浪士に心得違いせぬよう触書/浪士を攘夷先鋒として指揮下にと朝廷に上書/勅諚改竄(3)大原重徳、(薩長融和のための)勅書改竄の罪で辞官・落飾・蟄居に
◆◇2/28【京】攘夷親征(3)&親兵(3)長州藩、石清水行幸(親征)及び親兵貢献を建議/生麦賠償(9)幕府、在京諸侯に対し、英国と戦争になる可能性があるので、藩地をしっかりおさめるよう、帰国の暇を達する/浪士組上京(4)御所拝観/清河、安積五郎を京都に招く【坂】勝、小笠原長行訪問。砲台設置場所の検討
◆◇2/29【京】生麦賠償(10)水戸藩、東帰の議論・桂小五郎の使者伊藤博文(俊輔)、上京を促す/浪士組東帰(1)浪士組へ、攘夷切迫のため、意見を述べるようにとの達し
◇2/30【京】春嶽辞任(1)、総裁職辞職を内決/浪士組東帰(2)東帰・攘夷を命じるようにと学習院に上書を提出

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◆◇3/1 (4.18)【京】木像梟首事件(4)長州藩世子、犯人の赦免を願出る。中川宮、容保を批判/浪士組東帰(3)幕府、浪士組東帰を決定/親兵設置(2)間崎哲馬、清河に尽力を感謝/長州・伊藤俊輔(博文)、土佐・吉村寅太郎、清河に親兵周旋を依頼
◆3/2【京】攘夷親征(4)賀茂行幸に将軍随従の達し/浪士対策(20)中川宮、江州参集の浪士を鵜殿鳩翁に鎮静させよとの内旨
◆◇3/3【京】政令帰一(4)春嶽、将軍家茂を大津に出迎え、総裁職辞意を伝え、将軍辞任を勧告/浪士対策(21)朝廷より江州浪士鎮静は穏健にとの達文/浪士組東帰(4)鷹司関白より、鵜殿鳩翁へ攘夷のための浪士組東帰を命じる達文
◆3/4【京】将軍徳川家茂入京おさらい:将軍上洛)/政令帰一(5)二条城会議。慶喜主張の政令帰一の緊急性に一同賛同/老中、鷹司関白に翌5日の慶喜参内・大政委任に関する叡慮の事前確認を申し入れ/木像梟首事件(5)朝廷、犯人の赦免を命じる【江】生麦賠償(11)幕府、関八州の大名・旗本に開戦の覚悟を命じる
◆3/5 【京】政令帰一(6)後見職一橋慶喜、将軍名代として、攘夷実行と引き換えの大政委任の勅語獲得。鷹司関白による勅語書取りは「征夷将軍の儀」の委任と攘夷尽力/春嶽、将軍に謁し、辞意を伝え、将軍辞職の意見書提出/水戸藩主徳川慶篤入京/木像梟首事件(6)慶喜、犯人処分委任を請う/【江】生麦賠償(12)幕府、在府大名に開戦覚悟を達する
◆3/6【京】木像梟首事件(7)会津藩士、犯人赦免に猛抗議
◆3/7【京】政令帰一:将軍家茂、参内。5日の書取りと異なる勅書が下賜される(+ことがらによっては諸藩へ直接沙汰あり)/【京】浪士組東帰(5)高橋泥舟、浪士取扱を命ぜられる
◆3/8【京】将軍東帰(1)慶喜、将軍滞京と水戸藩主東帰請/浪士組東帰(6)東帰が順延される/浪士取扱鵜殿・高橋、残留希望浪士の滞京を認める
◆◇3/9【京】春嶽辞任(2)総裁職辞表(内願書)提出。登城とりやめ/浪士組東帰(7)幕府、浪士組全員の東帰を決定/浪士組の東帰再度順延/間崎哲馬、清河の訪問を請う
◆◇3/10【京】春嶽辞任(3)伊達宗城、翻意を訴える/浪士対策(20)容保、浪士差配を命ぜられる/壬生浪士(1)芹沢鴨・近藤勇ら残留希望浪士17名、会津藩に嘆願書提出
◆3/11【京】攘夷親征:賀茂行幸/将軍東帰:)朝廷、将軍の滞京延期&後見職か総裁職に帰府・攘夷戦争に備える防御指揮の沙汰
◆◇3/12【京】将軍東帰:朝廷、後見職・総裁職一方の両日中(将軍着京10日以内)の退京・帰府を催促/春嶽辞任:慶喜・老中格小笠原長行ら、春嶽に留任を勧告&生麦事件交渉を依頼/島津久光上京(1)薩摩藩高崎猪太郎、越前藩邸訪問.久光着京即日の対面要請。春嶽は断る/浪士組東帰(9)藤本鉄石、清河八郎にエールを送る/壬生浪士:残留浪士組、会津藩預り聞き届けられる?/残留浪士組近藤・芹沢らの清河暗殺計画?
◆◇3/13【京】春嶽辞任&生麦賠償:春嶽、中根靭負を二条城に遣わし、辞意撤回と生麦事件に関する薩摩藩への「裏面の周旋」とを断る/浪士組東帰:東帰浪士、江戸に向けて出立、浪士藤本鉄石ら、容保と面談。
◆3/14(5.1)【京】薩摩藩国父・島津久光入京、14か条の建議久光2度目の上京をめぐる動き)/親兵(5)幕府に親兵設置督促・鎖港交渉のための春嶽帰府&水戸藩主徳川慶篤滞京の朝命(親兵設置をめぐる動き
◆◇3/15【京】政令帰一:春嶽、板倉老中を呼び出し、将軍辞職・政権返上覚悟で難局にあたれと説く。板倉、同意し、慶喜と検討と回答/春嶽辞任:辞職を再願/将軍東帰:外国奉行並柴田貞太郎、将軍帰府を促す/浪士対策&壬生浪士:残留浪士、正式に会津藩預に・(会津藩家老の書簡)/長州藩世子毛利定広、高杉晋作に10年の暇を言い渡す
◆◇3/16【京】将軍東帰:幕府、将軍の21日出立・帰府を内決/浪士対策&壬生浪士:容保、近藤らを謁見。「奸物誅戮」の内意/取締役並出役速見又四郎、長州藩士某の清河八郎宛密書を入手
◆3/17【京】将軍東帰:幕府の将軍東帰奏請。朝廷、滞京・摂海攘夷を求める/容保、将軍滞京の意見書を大目付岡部長常に/容堂、春嶽に帰国の挨拶。春嶽に、将軍の「敵地」脱出までの在職を勧告。春嶽、断る/毛利定広、退京して兵庫へ。朝廷に帰国を請願
◆3/18【京】将軍東帰:朝廷、将軍滞京1度目の勅(1)将軍滞京による京都・近海守衛、(2)大坂における生麦事件償金拒絶交渉実施、(3)将軍による摂海攘夷戦争の指揮、の沙汰/親兵(6)親兵設置の幕命(10万石以上の大名に対し、一万石あたり一人)。/久光退京/春嶽辞任(7)越前藩、幕府に解職の沙汰を待たずに帰国の方針を告げる/石清水行幸(2)行幸の沙汰/
◆3/19【京】将軍東帰:将軍滞京2度目の勅。孝明天皇の親勅により、東帰中止。戦争は好まずとの直喩。また、摂海攘夷指揮の勅は偽勅と判明
◆3/20【京】生麦賠償:慶喜、償金支払の沙汰書を求める/急進派公卿中山忠光、京都を出奔。坂本龍馬、勝海舟門下であると書簡に認める。
◆3/21【京】将軍東帰:慶喜&老中、将軍東帰の再願/春嶽辞任(8)総裁職辞任届け捨てのまま離京
◆◇3/22【京】将軍東帰:将軍滞京の三度目の勅&将軍東帰を中止/会津藩・水戸藩・尾張藩、将軍東帰を極諌/長州藩、摂海戦守御備12か条提出/生麦賠償(14)水戸藩に東帰・攘夷戦争指揮の朝命/芹沢・近藤ら残留浪士、老中板倉勝静に将軍滞京の直訴(&諸藩の東帰・償金支払のスタンスの表、おさらい:第一次将軍東帰運動
◆3/23【京】生麦賠償:幕府、水戸藩に東帰・外国処置委任を達し、家老大場一真斎に慶篤に随従して帰府し、江戸警衛に当るよう命じる/容保、老中に、水戸藩に全権委任するようにとの意見書を提出
◆3/24【京】生麦賠償:慶篤参内。将軍目代として攘夷を成功させるようにとの沙汰/慶喜、大場一真斎に無謀の攘夷はせぬよう達す/老中格小笠原長行、東帰のため退京。/朝廷、長州藩世子定広に帰国を許可
◆◇3/25【京】生麦賠償:将軍目代水戸藩主徳川慶篤、江戸に向うため退京/壬生浪士、殿内義雄、殺害/【越】春嶽、福井に到着
◆3/26【京】春嶽解任:幕府、春嶽の総裁職罷免・逼塞処分/山内容堂、退京
◆3/27【京】石清水行幸:将軍に供奉の沙汰/生麦賠償(18)外国奉行竹本甲斐守、着京。英国の態度軟化を告げる/伊達宗城、退京
◆3/28【京】石清水行幸:)町奉行永井尚志、冗費を省くよう布達/前関白近衛忠煕・忠房父子、久光に書を送り、上京を促す【江】浪士組、江戸に到着
◆3/29【京】摂海防御:容保、八幡・山崎に関門修築の意見書を提出/幕府、清水家附420名を守護職配下に。
◆3/30【京】幕府、長州藩の兵庫守衛を免除&諸藩の京都警衛場所を定める
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◆4/1【京】会津藩公用方大野英馬、高松保実に朝廷内情の報知を依頼
◆◇4/2【京】将軍参内。中川宮、容保に将軍警護の必要を告げる/石清水行幸:慶喜、中川宮に石清水行幸を諌止/残留浪士、大阪豪商で押借り?/【江】町奉行所、浪士取締役山岡鉄舟に浪士組厳重取締を求める。坂本龍馬、 大久保一翁に会う。「大道解すべき人」。
◆4/3【京】親兵設置:三条実美、京都御守衛御用掛就任/幕府、同年の京都守衛諸侯及び警衛担当時期を通達/諸大名の参勤は京都・江戸折半にするようにとの朝旨/長州藩世子毛利定広、帰国の挨拶に二条城に。将軍家茂に摂海防禦指揮を進言し、対馬防禦のための軍艦兵器の貸付を求める/
◇4/4【京】残留浪士、精忠浪士と記される(新選組の「誠忠」は?&伊東」の号「誠斎」)
◆4/5【京】石清水行幸:慶喜、鷹司関白に石清水行幸を諌止
◆4/6【京】石清水行幸:長州藩、石清水行幸中止に反対/石清水行幸時の心得が発表される/【江】生麦賠償(18)老中格小笠原、江戸到着
◆4/7【京】攘夷戦争:長州藩世子定広、参内。帰国の勅/【江】京都の老中板倉勝静から浪士組取締役並出役速見又四郎(講武所教授)らに清河暗殺の密命が届く
◆4/9【京】石清水行幸:二条城に石清水行幸に変事を示唆する張り紙/容保、将軍供奉とりやめを諌止/清河ら、偽浪士を捕縛。梟首。
◆◇4/10【京】石清水行幸:孝明天皇、行幸延期を希望するが容れられず/将軍家茂、発熱を理由に供奉辞退/残留浪士芹沢と土方らの志の差が問題化/【長】高杉晋作(東行)、京都から萩に到着。松本に隠棲。
◆4/11【京】石清水行幸/生麦賠償:水戸藩主徳川慶篤、江戸到着
◆4/13【江】江戸で清河八郎暗殺 
◆4/15(6.1)【京】朝廷、長州・備前・水戸・土佐藩に攘夷の策略を諮問/【越前】挙藩上京計画:越前藩、外国船摂海侵入時の、挙藩上京・「皇国萬安の国是」確立周旋方針を固め、近隣の加賀藩・小浜藩に使者を送り、協議させる
◆4/16【京】長州藩、時務策を朝廷に建言/【長】藩主敬親、山口に移る/【江】神奈川奉行浅野氏祐、住民を避難させる/京都守護職松平容保の壬生浪士上覧試合/【薩】久光、近衛前関白書簡(3/28)に返答。上京猶予を願う
◆◇4/17【京】三条橋に将軍天誅の張り紙/壬生浪士近藤勇、「天狗」となり「水会利一存んの意図に相成兼候」 【長】攘夷戦争:毛利能登を赤間関海防総奉行にp440
◆4/18【京】将軍東帰&生麦賠償:幕府、摂海巡視の将軍退京&攘夷のための後見職慶喜東帰を奏請(背景)。朝廷、慶喜東下による攘夷期日を将軍直筆で明確にすること、将軍摂海巡視の後は必ず帰京すること等を求める
◆4/19【京】将軍東帰:慶喜、攘夷期日を5月10日と内定
◆4/20【京】将軍東帰&攘夷期限:幕府、朝廷に攘夷(拒絶)期日は5月10日と返答おさらい)/攘夷戦争(3)朝廷、定広に明21日帰国の暇【長】赤間関海防総奉行に軍令を与える
◆◇4/21【京】将軍東帰:将軍家茂、摂海巡視のため退京して大坂城へ/壬生浪士下坂・警衛/朝廷、前尾張藩主徳川慶勝を、将軍輔翼に任命/長州藩世子定広帰国の途へ/【江】生麦賠償(21)幕府、償金支払決定
◆4/22【京】生麦償金:慶喜、破約攘夷実行のため江戸へむけて出立(会津藩の反対聞き入れられず)/孝明天皇、中川宮に薩摩を上京させよとの密勅。中川宮、時機をみるべきと奉答(23日?)/
◆4/23【坂】姉小路公知、摂海巡視のため、長州・肥後藩士らを率いて下坂/容保、二条右大臣邸へ/将軍、摂海(西宮)巡視。 勝海舟に神戸海軍操練所の建設を許可する/【近江】生麦賠償:慶喜随従の岡部長常、刺客に襲われる
◆◇4/24【京】神戸海軍操練所・造船所建設の幕命/【坂】残留浪士非主流派家里次郎、大坂で詰め腹をきらされる/
◆4/25【坂】急進派公卿姉小路公知、順動丸(勝海舟)で摂海巡視。開国説へ/会津藩秋月悌次郎、幕府側用取次村松出羽守に将軍滞京を主張。
◆4/26【京】容保の説得で徳川慶勝将軍輔翼就任/【熱田】生麦賠償:慶喜、江戸の老中に破約攘夷・開戦覚悟の訓令を発する/【長】攘夷戦争(4)久坂、30余名(主に軽輩)とともに山口着。藩庁に攘夷の先鋒を請う。敵情視察の名目を得て下関へ/
◆4/27【坂】長州藩桂小五郎・対馬藩大島友之丞、勝を訪問/【長】攘夷戦争:久坂ら下関到着
◆4/28【京】会津藩、近衛前関白の依頼により、朝倉幸之助捕縛に加勢。孝明天皇、激怒し、関白・議奏伝奏の参内を停止。
◆4/29【長】攘夷戦争:京都出奔の急進派公卿中山忠光、久坂らと会合
5
◆5/2(6.17)【京】関白以下の参内許可される。/姉小路公知、帰京【長】攘夷戦争:攘夷期限確定の報が山口に達する
◆5/3【江】生麦償金:償金支払い期限・幕府の延期交渉・英国戦闘準備に入る/尾張藩主徳川茂徳、償金支払上奏のため江戸を出立
◆5/4【江】生麦償金:幕府、海岸守衛諸侯に警戒よびかけ。
◆5/5【京】朝廷、海防に関する朝旨三か条を幕府に伝える/【京】真木和泉救解(1)久留米藩士小河佐吉ら脱藩・入京。長州藩士清水弥太郎・寺島忠三郎らに真木和泉釈放援助を請う。【長】攘夷戦争(6)久坂ら、光明寺に転陣
◆5/6【京】真木救解(2)長州藩清水ら、国事御用掛三条実美に周旋を請う
◆5/8【江】生麦償金:老中格小笠原、独断で償金支払い命令/慶喜、江戸に到着【長】真木救解(3)中山忠光、下関出立
◆5/9【京】朝廷、海防に関する朝旨三か条を幕府に伝える/ (勝、姉小路の奏聞の結果だと感激)【江】後見職一橋慶喜、登城。攘夷実行を諭し、井上清直(町奉行)・杉浦正一郎(目付)を横浜鎖港交渉委員に任命
◆5/10(6.25)攘夷期限。【長】攘夷戦争:長州藩(光明寺党)、下関で米国船ペンブローグ号砲撃(実際は11日未明)p443/【京】攘夷の勅諚(玉二p257)【京】春嶽の使者・中根雪江、入京(鎖港のための慶喜東下について幕議を確かめ、意見を陳述させるため)
◆5/11【京】将軍、摂海巡視から京都に戻る/【長】真木救解(4)中山忠光、滝弥太郎・赤根武人らを従えて久留米到着。藩主面会を拒絶されて激怒。
◆5/12【京】生麦償金:紀州藩士伊達五郎、生麦事件償金支払に係る朝廷・幕府の難しい状況を中根に語る【横】ロンドン密航の井上馨(聞多)・伊藤博文(俊輔)・山尾庸三・井上勝・遠藤謹助(長州ファイブ)、横浜出港
◆5/13【京】挙藩上京:中根、板倉老中に春嶽の意見書を提出。内容は「全世界の道理」に基づく国是検討のための外国人・朝・幕・諸侯・草莽の大会議開催/板倉老中、竹本甲斐からきいた生麦償金支払の次第を語る
◆5/14【江】生麦償金:慶喜、将軍後見職辞表を朝廷に提出/【京】御所近隣出火。守護職出兵。
◆5/15【京】勝、容保に謁し、八幡・山崎関門修築を協議/【久】真木救解(5)長州藩士山縣九右衛門・杉山松助、久留米の淵上郁太郎とともに、真木ら釈放の朝旨を久留米藩主に伝宣。
◆5/16(7.1)【京】生麦償金:将軍補翼徳川慶勝(前尾張藩主)に償金拒絶交渉経緯報告の沙汰/ 坂本龍馬、操練所資金援助依頼のために越前藩(松平春嶽)に赴く
◆5/17【久】真木救解(6)真木ら久留米藩急進派釈放される/【江】幕府、春嶽の逼塞、解除。
◆5/18【京】将軍家茂、参内して摂海巡視の結果を報告/生麦償金:将軍補翼徳川慶勝、償金拒絶交渉のための将軍東帰の沙汰を求める
◆5/19【京】生麦償金:償金支払い(5/8)及び慶喜の辞表(5/14)の報、京都に届く/吉川監物・小幡彦七、下関攘夷の状況を述べる【江】水戸藩主徳川慶篤、将軍目代を辞任/老中格小笠原長行、江戸出立(率兵上京)
◆5/20【京】将軍東帰:容保・老中ら、攘夷のための将軍東帰を奏請/朔平門外の変(1)国事参政姉小路公知暗殺)/会津藩御所九門全門警備担当を申し出
◆5/21【京】将軍東帰:朝廷、将軍東帰を議論。会津東帰論もでる/朔平門外の変:三条実美への脅迫状/朝廷、諸藩に御所外講九門警備を命令(長州藩に堺町門守衛・会津藩は含まれず)
◆5/22【京】朔平門外の変:土佐脱藩那須信吾、姉小路公知暗殺者の刀を薩摩藩田中新兵衛の差料だと証言する/岩国藩主吉川監物、長州藩士と協議の上、学習院に、将軍の東帰を許して攘夷の実効を上げさせるべきとの上書を提出
◆5/23【長】攘夷戦争:長州藩、仏軍艦キンシャン号砲撃/長州藩、太田市之進・野村和作らを小倉藩に派遣
◆5/24【京】将軍東帰:朝議で東帰内定。/【越】越前藩は、挙藩上京(「道理」に基づく国是議定のための外国代表を含む京都会議言上)を大評議にかけることを決める。小楠は薩摩・肥後等の同時上京があれば成算ありと考える【小倉】太田・野村、小倉藩代表者を難詰
◆5/25【京】朔平門外の変:会津藩、朝命により、姉小路暗殺犯として薩藩田中新兵衛逮捕/壬生浪士35名連名の将軍東帰反対の上書を守護職松平容保と老中板倉勝静に提出。/
◆5/26【京】朔平門外の変:薩摩藩田中新兵衛自刃。/【長州藩】攘夷戦争:オランダ船砲撃/【京】久光召命:近衛前関白父子、久光に「暴烈之徒」の「増長」する切迫した情勢を報せ、上京を促す/【越】挙藩上京・外国公使を交えた京都会議・「全世界の道理」に基づいた国是決定言上を内定 
◆5/27【京】朝廷、五藩に内構六門警備を命令(守護職・所司代は唐門・清所門・准后門)/朔平門外の変:会津藩、姉小路公知暗殺犯尋問を拒否【京】久光召命:近衛前関白父子、久光に京・朝廷への尽力による姉小路公知暗殺の「疑惑氷解」を促す【長】攘夷戦争:久坂玄瑞・三戸詮蔵・楢崎弥八郎、オランダ船砲撃顛末を上申するため、京都へ向う
◆5/28【横】攘夷戦争:米軍艦ワイオミング号、長州に報復するため横浜出航/生麦償金:【横】老中格小笠原長行、率兵し、英国艦にて海路大坂へ
◆5/29【京】将軍東帰:朝議、攘夷決行のための将軍東帰を内定/孝明天皇、近衛前関白に中川宮と連携した将軍滞京周旋の内旨(この上は久光上京「奮発」に期待)/越藩中根、中川宮に東帰問題・王政復古の朝議の模様を聞く/薩摩の乾門(外)警備罷免(出雲松江藩に交替)。薩摩関係者の九門内往来禁止の通達/【長】砲術教授中島名左衛門が暗殺される【江】幕府、会津藩に二万両貸付決定
◆5/30【京】将軍東帰:朝廷、老中に将軍東帰の暇内定を伝達/将軍、容保に滞京・京都守護を内命。会津、将軍東帰に反対。/孝明天皇、島津久光へ上京・「姦人掃除」せよとの密勅を下す【長】真木和泉、藩主敬親に謁し、時務策を進言/【横】攘夷戦争:仏艦タンクレード号出航。
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◆6/1(7.16)【坂】老中格小笠原率兵上陸/【京】慶喜の使者・梅沢、関白に京都武力制圧のため小笠原率兵上京との流説を伝える/攘夷戦争:朝廷、長州の攘夷戦争を称揚する沙汰/【長】攘夷戦争:米軍艦ワイオミング号、長州に報復/【越】挙藩上京計画:越前藩、横井小楠の主唱する挙藩上京・を藩論として決定/久坂・三戸・楢崎、入京
◆6/2【京】幕府、若年寄稲葉正巳に小笠原上京阻止を説得させる/朝廷、容保に小笠原上京阻止を命ず/慶喜辞任:朝廷、慶喜の後見職辞職を却下/◆6/2【京】長州藩主父子に召命の沙汰/久坂玄瑞、朝廷に中国・オランダに関する方針をただす/壬生浪士10名、浪士捕縛のため下坂【江】仏公使、幕府に艦隊出航を通告
◆◇6/3【京】将軍東帰:将軍参内し、東帰・攘夷の勅を得る/容保、使者を送って小笠原上京断念を説得させる/壬生浪士、大坂力士乱闘事件。/【長】奇兵隊(1)高杉晋作、父小忠太の育に
◆6/4【京】将軍直書をもって小笠原入京を阻止/【越】挙藩上京計画(5)上京一時延期(藩士を京都に送った上で進発時期決定)/【長】高杉、藩主の命で下関防禦に。
◆6/5【長】攘夷戦争:フランス軍艦、長州に報復/中川宮、上書して攘夷先鋒を願い出る
◆6/6【京】攘夷戦争(16)朝廷、列藩に長州に倣った「夷船攘斥」を促す/小笠原を一両日中に厳罰に処すべしとの沙汰&幕府、将軍の下坂を求める/中川宮、攘夷先鋒となることを請願【長】奇兵隊(2)高杉、山口に赴き、来島又兵衛らと協議して奇兵隊創設/
◆6/7【京】朝廷、親兵隊長に小笠原上京に備えるよう命令/長州藩主父子どちらか1名に上京の沙汰/久坂、小笠原率兵上京に警戒するようにとの内沙汰を携え、国許に向かう【長】奇兵隊(3)高杉、奇兵隊趣旨を藩主敬親に上申
◆6/8【京】大和行幸(1)真木和泉、入京
◆6/9【京】将軍家茂退京&下坂。老中、守護職松平容保に残事務を委任/【江】幕府、仏公使に攻撃猶予と幕府への処置委任を求める/天皇の久光召命密勅(5/30)、薩摩に届く。
◆6/10【京】小笠原の老中職罷免、大坂城代預りに
◆6/11【京】幕府、淀藩主稲葉正邦を京都所司代に任命。/【京】薩摩藩士、九門内(築地)の往来を許される
◆6/12【京】攘夷戦争:老中水野忠精、外国船砲撃事件で長州藩を詰問/小笠原、上京の理由書を提出/越前藩挙藩上京:村田巳三郎、薩摩藩高崎左太郎・吉井幸輔に藩論を説き、同意を得るが時機を待つよう助言される【京】近衛忠熙・忠房、久光に書を送り、上京を促す(ニp316)
◆6/13【坂】将軍大坂城を出て海路江戸へ。会津藩士諌止間に合わず/【京】慶喜辞表:即時攘夷の困難を理由に2度目の辞意を示す/越前藩挙藩上京:村田、肥後藩沼田勘解由に藩主上京を促す/攘夷戦争(18)朝廷、小倉・津和野・中津・秋月・福岡藩に長州藩の応援を命ず
◆6/14【京】攘夷戦争:朝廷、攘夷監察使を正親町公菫に任じ、長州下向を命じる/【越】挙藩上京:慎重派中根雪江に譴責(藩主の参府問題と挙藩上京計画
◆6/15【京】久坂、着京
◆6/16)【京】大和行幸:翠紅館会議。攘夷親征論確定(真木和泉、桂・清水清太郎・寺島ら)/攘夷戦争:監察使正親町公菫、親兵を率いて西下/慶勝、小笠原処分を江戸で行うことを奏請【江】将軍着府
◆6/17(1863.8.1)【京】松平容保・徳川慶勝、相談し攘夷布告を促す建議
◆6/18【小倉】小倉藩侵攻(2)長州藩、攘夷戦争に加勢しなかった小倉藩を侵攻/【京】朝廷、列藩に対し、無二念打払の沙汰
◆6/19【京】長州藩主召命の見合わせの沙汰
◆6/20 【京】在京薩摩藩士、国許に久光召命の風聞を告げる/桑名藩主松平定敬、参府のため出京。
◆6/21【京】徳川慶勝帰国。京都における守護職の孤立/朝廷、慶喜の後見職辞表を却下【京】挙藩上京:村田巳三郎(氏寿)、薩摩藩士吉井幸輔・越前藩牧野主殿介・肥後藩士沼田勘解由を訪問。*【京】久坂、村田次郎三郎・中村九郎と協議。三条実美に諸藩を攘夷に参加させるよう請う。【鳥取】因幡藩主池田慶徳、上京の途につく
◆6/22【京】会津藩、家老田中土佐を東下させ、幕府に非常時の全権等を要請。/近衛忠煕・忠房、島津久光に書を認め、長州藩への攘夷監察使下向、前尾張藩主徳川慶勝帰国許可に関する朝廷の内情を報じる/薩英戦争(1)英国代理公使ニール、艦隊を率いて横浜を出港【京】議奏飛鳥井雅典(中納言)、坊城俊克に代わって武家伝奏に任ぜられる
◆6/23【京】足利木像梟首犯の罪科が定まる/諸藩の親兵、朝旨によって、中川宮家士の山田勘解由・同伊丹蔵人を捕縛(会津藩は朝命を固辞)/越前挙藩上京:真木和泉、桂に越前藩挙藩上京阻止を相談【江】薩英戦争:幕府、薩藩江戸家老喜入摂津に、英国艦隊の横浜出の藩に急報・穏便な措置を命ず
◆6/24【江】慶喜辞任:一橋慶喜、薩長処分の意見が容れられず3度目度の後見職辞表提/【江】薩英戦争:幕府、軍艦蟠龍に在江戸薩摩藩家老喜入摂津の便乗を許し、外国奉行支配調役並淵辺徳蔵らと共に鹿児島に急航させる
◆6/25【京】将軍譴責&急進派による容保東下運動:容保に「東下&攘夷の叡慮伝達」の勅命(偽勅
◆6/26【京】攘夷期限委任奏請:将軍家茂、攘夷期限御委任の奏請書を送る/容保東下運動:容保、家臣を公卿に遣わし、自身の東下不可を説かせる/孝明天皇、容保に東下を望まない密勅降下を伝奏に拒まれる/【京】真木和泉、「宮鼎之儀により、三条公に謁し、越前出兵之事を議」
◆6/27【京】容保東下運動:容保、近衛前関白を通し、東下を望まないとの宸翰(密勅)を受け取る/長州、幕府の詰問に抗弁/水戸藩大場一真斎入京/因幡藩主池田慶徳入京
◆6/28【京】将軍譴責&容保東下運動:禁裏附武士小野政寧、容保に代り、攘夷の勅諚を携えて出京/十津川郷士、武家伝奏の附属となる/紀州藩士岩橋徹輔、越前藩士村田と面会/【薩】薩英戦争:英国艦隊、鹿児島来航。
◆6/29【京】挙藩上京:坂本龍馬、越藩村田を訪ねて国事(幕吏処分)を論ず/薩英戦争:薩藩家老川上但馬、英国代理公使ニールに対し、要求箇条を論詰・幕府役人立会の上交渉する旨を回答
7
◆7/1(8.14)【京】久光召命:前関白近衛忠熙父子、久光召命密勅の返答を督促・上京を促す/前関白父子、久光召命を建白【坂】小笠原率兵上京:幕府、大坂城代に小笠原長行らの江戸送還を命じる三条実美、真木和泉に親兵番所等を相談。
◆7/2【江】慶喜辞表:老中酒井忠績・松平信義・水野忠精・井上正直、容保に慶喜の意見書・辞表を朝廷が許可せぬよう周旋依頼/挙藩上京(12)&久光召命:薩藩吉井幸輔・奈良原繁、越藩村田に急進派退治への協力を申し出、親征中止の叡慮に反する激徒の「朝敵」としての討伐を主張おさらい:越前藩・薩摩藩の事情)【鹿】薩英戦争:薩英戦争勃発/【坂】壬生浪士、石塚岩雄を梟首/慶徳、鷹司邸訪問p401/真木和泉、久坂玄瑞・轟武兵衛・宮部鼎蔵とともに、三条実美に越を拒む策を献じる(遺文p599)
◆7/3【京】因幡藩主池田慶徳参内。孝明天皇に謁す。国事諮問の沙汰。三条実美より宮中に撃剣場創建の相談あり(急進派の狙い&おさらい親兵)。
◆7/4【京】挙藩上京&攘夷親征:近衛前関白、村田に挙藩上京に同意するが時機を待てと告げる。村田に攘夷親征は叡慮でないと語る(親征反対は、近衛前関白父子、二条右大臣、徳大寺内大臣。中川宮は親征可。鷹司関白は内心は反対)/村田、上京見合わせを具申に福井へ出立/慶喜辞表:朝廷、慶喜の後見職辞任を却下・即時攘夷に粉骨砕身を命じる/慶徳、水戸藩原市之進を通し、親兵・有志のための武学寮創建の建白について松平昭訓(余四磨)の内存をきく(水戸藩は剣客寄宿は反対)p399
◆7/5【京】攘夷親征&久光召命:近衛前関白ら攘夷親征の評議に外様藩を含めた諸藩を召すことを建白/【京】慶徳、三条の要請を請け、親兵のための宮中武学寮創建を建白/薩英戦争:薩摩藩、交戦状況を朝廷に報告/【越】挙藩上京:家老岡部豊後・酒井十之丞・三岡八郎(由利公正)、久光・慶順に上京を促しに熊本・鹿児島に向けて出立【江】若年寄有馬道純、老中に任命される/
◆7/6【京】攘夷親征:急進派公卿(国事寄人)、幕府へ攘夷委任の不可&攘夷親征の布告を建言/慶徳、幕府への攘夷督促の沙汰につき、三条に慎重を期すよう求めるp399
◆7/7【京】攘夷親征:慶徳参内。急進派公卿、慶徳に攘夷親征布告・宮中撃剣場創建・列藩有志の国事掛任命等を諮問おさらい:撃剣場創建)p401/真木和泉、会津藩秋月悌次郎を訪ねる(遺文p600)
◆7/8【京】攘夷委任奏請:将軍の奏請書、容保に届く。容保奏請書を留む。(おさらい:京都の厳しい状況)/町奉行瀧川播磨守役宅放火/【江】薩英戦争:英国公使、戦況を幕府に報知/慶徳、鷹司関白邸訪問p401
◆7/9【京】越藩挙藩上京&攘夷親征:薩摩藩吉井幸輔・奈良原繁、近衛忠房に面会し、大和行幸の延期を主張。暫く鎮静せよと言われる/久光召命:近衛前関白父子、久光に召命建白を知らせ、急速上京を促す/左大臣一条忠香・前関白近衛忠熈・内大臣徳大寺公純以下国事寄人等、久留米藩士真木和泉を御所に召し、親征の議に関する意見を質す【江】攘夷戦争:幕府、長州藩に外国船打払い禁止を厳命
◆7/10【越】挙藩上京:村田、福井を出立/【京】近衛前関白・二条・徳大寺、吉井に暫く鎮静するよう指示/水戸藩家老大場一真斎・梅沢孫太郎、慶徳訪問/真木和泉、薩邸訪問。村山斉助応対【坂】小笠原率兵上京:長行ら、順動丸にて帰府の途
◆7/11【京】攘夷親征:長州藩家老益田右衛門介・根来上総、入京。攘夷親征建白を議定/久光召命:近衛前関白父子・二条右大臣、久光に召命の裏に天皇の「厚御依頼」があると知らせ、急速上京を促すおさらい:久光召命)/攘夷監察:朝廷、東園中條・四条侍従に播磨・紀伊の監察を命ず/水戸藩尼子長三郎、慶徳に謁す
◆7/12【京】挙藩上京&久光召命:久光召命の沙汰/薩摩藩奈良原繁・税書篤、鹿児島へ出発/再入京の村田、吉井幸輔に久光入京前の朝廷改革決行を説く/ 【京】攘夷親征:慶徳、水戸藩主徳川慶篤・一橋慶喜に対し、親征論が起こったことを知らせ、幕府の決断を促すp403-404
◆7/13【京】挙藩上京&久光召命:近衛前関白、村田に、天皇は越前藩の国論に同意だとの沙汰を告げる。久光上京前の朝廷改革(急進派処分)断行について考えようと回答/攘夷監察:慶徳監察使に勅使としての威儀を保たせるよう建白。
◆7/14【京】攘夷親征:因幡藩主池田慶徳、親征布告の見送り&中国西国への監察使派遣を建議/久光召命:水藩原市之進・梅沢孫太郎、二条右大臣に久光召命中止を求める/
◆7/15【江】攘夷戦争&中根暗殺:幕府、使番中根一之丞を長州詰問に派遣/【江】禁裏附小栗正寧、勅諚伝達。/阿波藩世子蜂須賀茂韶着京。慶徳を訪問。
◆7/16【京】久光召命:御前会議で衆議により久光召命中止が決定。孝明天皇激怒/攘夷委任奏請:守護職容保、慶喜上洛による攘夷委任の奏請を老中に建議
◆7/17【京】久光召命:薩摩藩国父島津久光の召命猶予の勅命・/【江】慶喜、後見職辞表を留める勅書への請書を認め、上京の上、委しく叡慮を伺い、御沙汰次第では捨身の微衷を尽くすと述べる(22日京着)/備前藩主池田茂政入京。慶徳を訪問。
◆7/18【京】攘夷親征:長州藩、鷹司関白に攘夷親征を建白/【江】慶喜上京:後見職一橋慶喜上京の台命。因・備藩主、二条右大臣邸訪問。
◆7/19(9.1)【京】攘夷親征:関白、因幡・備前・米沢・阿波ら在京有力諸侯に攘夷親征を諮問。諸侯、親征に反対。慶徳、天皇・公卿が武事に慣れるための守護職始め諸藩による馬揃(軍事調練)の天覧を提案.(有力諸侯と鷹司関白の縁戚関係/天誅II(1)浪士、久光召命派の徳大寺家の家臣を暗殺
◆7/20【京】攘夷親征:急進派公卿、朝議スト/天覧馬揃:孝明天皇、鷹司関白に、会津・因幡・備前のうち二藩による馬揃を命じる/御所警備:諸藩(27藩)親兵の内講六門の交替警備開始/天誅II(2)久光召命派の近衛前関白・二条右大臣・徳大寺内大臣邸に脅迫状/【薩】久光召命:召命の沙汰書を携えた奈良原繁・税所篤、帰藩
◆7/21【京】守護職職権:所司代は守護職の指図に従うようにとの幕命/天覧馬揃:因幡藩主池田慶徳、鷹司関白に親兵の天覧馬揃を建白/二条右大臣、会津公用人大野英馬と種々密談
◆7/22【京】慶徳、参内して下問に回答/所司代、鷹司関白に慶喜の請書(17日付)を提出
◆7/23【越】挙藩上京:藩論逆転。挙藩上京計画中止(藩主参府決定)。参府延期派(挙藩上京派)、解職される/(おさらい:参府延期問題)【京】攘夷監察:朝廷、容保に命じ、幕府に攘夷監察使派遣&沙汰書の親藩通達を伝達させる/御所警備:久留米・薩摩・盛岡・芸州・小田原・佐倉・水戸・因幡藩の親兵、交替で内講の唐門内の警衛開始/馬揃:伝奏、馬揃えは会津にとの内意を慶徳に伝達。「天誅」II(3)浪士、貿易商八幡屋卯兵衛を殺害・梟首【薩】久光、召命に対し、今は出発できないが、奈良原に申し含めた「趣意」通りになるときは、大挙上京するとの返書 /村山斉助すでに出京(忠二754
◆7/24【京】天覧馬揃:会津藩に28日の馬揃えの朝命/茂政「幕臣会津」を警戒し、馬揃えの警護を提案【京】攘夷監察:朝廷、因幡・備前・阿波・米沢藩に命じ、諸藩に攘夷監察の沙汰書を伝達させる【長】攘夷戦争&中根暗殺:長州訊問使中根一之丞、下関到着慶徳・茂韶、参内(茂政不快)。慶徳ら「国事加談人体到着迄」の朝議参列を命じられる。辞退/中山忠能が伝奏野宮定功に中川宮が親征論を激しく主張しているという噂の真偽を尋ねる(忠能卿記)
◆7/25【京】越藩挙藩上京:村田氏寿(巳三郎)退京/馬揃:因幡藩に当日警護の朝命/慶喜再上京:鷹司関白に対し、水戸・因幡・備前・阿波連署で慶喜召喚を建議p410-421
◆7/26【京】「天誅」II浪士、東本願寺用人を殺害/【長】攘夷戦争&中根暗殺:中根、陸路小郡へ
◆7/27【京】「天誅」II:浪士、二条右大臣の「落胤」暗殺。越前藩宿舎に予定された高台寺放火事件【京】中川宮、急進派に親征の件を迫られていること、また彼らの嫌疑を晴らすため暫く薩摩藩と音信普通にすることを 同藩高崎左太郎に告げる 
◆7/28【京】天覧馬揃:雨天のため、30日に延期。【江】開国派酒井飛騨守(若年寄)・浅野伊賀守(大目付兼神奈川奉行)解職
◆7/29【京】朝廷、大坂城代松平信古(伊豆守)を召命/【長】攘夷戦争&中根暗殺:中根、幕府の訊問書を伝達
◆7/30【京】馬揃:雨夜、会津藩の天覧馬揃え決行(小銃空発はNG)。因幡・備前・阿波・米沢警護/町奉行瀧川播磨守、会藩公用方広沢富次郎(安任)と会談。/【熊】挙藩上京:越前藩の使者、熊本藩主細川慶順に春嶽父子の書簡を渡す
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◆8/1(9.13)【京】攘夷親征:長州藩支族吉川監物・家老益田右衛門が因幡藩邸を訪ね、藩主池田慶徳らい攘夷親征を入説【坂】大坂城代、容保に上京延引を周旋するよう依頼/在京諸侯参内して祝詞(容保、病欠)
◆8/2【京】禁門の政変:孝明天皇、会津藩に対し、馬揃えの際の手際と軍備熟練ぶりを称揚する/孝明天皇、会津藩に密使を送り、武備十分で事に臨んで支障がない様子を深く頼もしく思う内旨を口達させる/【大津】反・春嶽上京:越前藩御用商人矢島藤五郎宅を浪士集団襲撃
◆8/3【京】真木和泉、慶徳らに攘夷親征を入説【京】馬揃:会津・阿波・因幡・備前・米沢藩に天覧馬揃えの朝命【京】反・春嶽上京:五条・四条・蹴上街道筋に、「国賊」が春嶽入京すれば即「天誅」するとの高札【江】薩摩藩吉井幸輔、江戸到着/
◆8/4【京】政変:久光の内命をうけた奈良原幸五郎(繁)入京/朝廷、幕府に三港(箱館・横浜・長崎)閉鎖を督促/容保、慶徳に慶喜再上京時に備えての周旋を申し入れる【長】攘夷戦争&中根暗殺:長州藩、幕府の訊問に対する答弁書を交付/慶徳、容保訪問p432/久坂玄瑞・中村九郎、因幡藩主に親征を入説
◆8/5【京】政変:奈良原、国許の大久保一蔵(利通)・中山中左衛門に、今の形勢では久光の「御趣意」が立たないと報じる。高崎左太郎(正風)、「御趣意」を不可能にした京都の形勢を報じる/天覧馬揃:会津・阿波・因幡・備前・米沢の五藩による天覧馬揃/反・春嶽上京:三条大橋に、春嶽上京時の越前藩宿舎すべてへの放火予告【江】幕府、会津藩に守護職費用として一万両を付与/薩藩吉井幸輔、後見職一橋慶喜に面会して薩英戦争の状況を説明。
◆8/6【京】真木和泉、三条実美に「鎮西云々」のことを述べる【土】山内容堂、武市瑞山(半平太)を召しだし、時事を諮問。
◆8/7【京】親征vs西国鎮撫:孝明天皇、朝議にて、親征論を時機尚早と断固退け、代案として中川宮の西国鎮撫を主張【熊】挙藩上京:肥後藩主、春嶽父子に同意の返書を認める/
◆8/8【京】親征vs西国鎮撫:中川宮に西国鎮撫使の内命/
◆8/9【京】親征vs西国鎮撫:因幡藩主池田慶徳、二条右大臣に書を送り、中川宮の西国鎮撫使任命の「内実の御意味」を尋ねる/中川宮、因幡・備前藩に西国鎮撫を沙汰やみにするため親征建議を依頼/中川宮、真木和泉と決別/中川宮、上書して西国鎮撫使の内命・国事扶助辞退/慶徳、老中板倉に書を送り、小倉・小笠原処分・攘夷断行の要を訴える【江】鎖港交渉&慶喜再上京:幕府、8月20日頃の横浜鎖港交渉開始決定。慶喜、上京延引の上書を慶徳に託す(13日京着)/小倉】久光の内命を受け上京途上の村山斉助、越前・肥後藩士に会い、大久保一蔵に、両藩との一挙の見込みについて報じ、薩摩の決断・早期出兵を求める
◆8/10【江】鎖港:将軍家茂、老中以下有司を召出し、不日の鎖港交渉開始を布告。 【京】親征vs西国鎮撫:西国鎮撫使辞退の中川宮、代案として八幡行幸を建議/中川宮の依頼により、因幡・備前藩主、親征建議を打ち合わせ。【京】土佐藩士下許武兵衛、会津藩公用局員を訪ね、会土連携を図る/壬生浪士、佐伯又三郎殺害(久坂玄瑞による殺害説あり)
◆8/11【京】親征vs西国鎮撫:慶徳・茂政・昭訓、慶喜・老中らに、親征か西国鎮撫かの危機的情勢を知らせ即座の横浜鎖港交渉等を求める/慶徳、親征布告&祈願の八幡行幸、「廟算一定」の上の幕府への厳重な沙汰・なお幕府が因循する場合の親王による内外の征伐実行の上書案を二条斉敬右大臣に提出/守護職松平容保、慶徳に書を送り、中川宮の鎮撫将軍・小倉入城の風聞の真偽を尋ねる【大津】反・春嶽上京:大津宿に「朝敵春嶽」の道中に協力する者への天誅予告の張り紙/【福井】横井小楠、越前藩政治顧問をやめ、福井を出立。/幕府、元京都町奉行永井尚志の差し控え、復職を命ず/
◆8/12【京】親征vs西国鎮撫:天皇の内意を受けた二条右大臣、慶徳・茂政(のみ)に親征の朝議阻止を密命/慶徳・茂政、密命に対し、シナリオ(天皇の勅書案、親征布告・慶徳ら東下・攘夷断行説得の間の親征暫時見合わせ)を呈し、天皇に「御強被仰出様」求める/【京】朝議、近日の大和行幸を治定/真木和泉・長州藩乾杯【京】「天誅」II(6)越前藩宿舎・西本願寺用人松井中務梟首・油小路商人井筒屋梟首/壬生浪士?、生糸商大和屋焼き討ち/【江】鎖港交渉:幕府、万石以上の在府諸侯に交渉開始を布告/
◆8/13(前)【京】攘夷親征:因幡・備前・米沢・阿波藩、天皇に親征猶予を直奏するが、本心は親征を好まぬ天皇、猶予を許容せず【京】「大和行幸(攘夷親征)」の詔公布/会津藩士激昂【江】鎖港:幕府の当月20日頃の鎖港交渉開始等を急報する慶喜書簡、京に達す/慶喜、攘夷実行(鎖港交渉開始)のため上京延期/
◆8/13(後)【京】政変:薩会-中川宮連合の発足。16日の政変を議定/近衛前関白、慎重論を唱える
◆8/14【京】親征:平野次郎(國臣)、宮部鼎蔵、桂小五郎・久坂玄瑞らに学習院出仕の沙汰 /在京公武合体派諸侯と急進派公卿、親征可否の激論/天誅組(前国事寄人中山忠光ら)、京都を脱して大和へ。/【江】幕府、前尾張藩主徳川慶勝に摂海防御指揮を命ず/【鹿】挙藩上京:久光、春嶽の決起を促す書簡に同意の返書を認め、越前藩と同時に上京・国事周旋をする決意を示す
◆8/15【京】政変へ:松平容保、老中に親征布告を報じ、非常の尽力をするので必ず後の一報を待つよう求める。この頃、交替で国許へ帰る途上にあった会津藩兵、続々と再入京【京】 因幡藩主池田慶徳、備前藩主池田茂政、米沢藩主上杉斉憲、阿波藩世子蜂須賀茂韶、「朝議参謀」を辞退【京】親征:朝廷、長州・加賀・肥後・薩摩・久留米・土佐藩に行幸&親征御用金十万両の調達を命ずる【坂】大和五条の乱:天誅組:堺到着。軍令を発する
◆8/16【京】禁門の政変:朝、中川宮参内して急進派処分を奏す。孝明天皇賛意を示すが内勅は下さず/夕、孝明天皇、中川宮に会津・因幡両藩に処理させよとの密旨。/薩摩藩高崎左太郎、中川宮に対し、計画通り、中川宮・会津・薩摩による政変を主張【京】西国鎮撫使:朝廷、中川宮に代り、有栖川宮熾仁親王に西国鎮撫使を命じる【長】奇兵隊、先鋒隊の屯する教法寺襲撃/【坂】天誅組、狭山藩主に出兵を求める
◆8/17【京】禁門の政変:夜、守護職・所司代・薩摩に参内の内命/ 【京】二条斉敬右大臣、因幡藩主池田慶徳に急ぎ参殿を要請【京】三条実美、中山忠光に自重を求めるため平野次郎・安積五郎を派遣【大和】天誅組、五条代官鈴木源内殺害・梟首(大和の乱)
◆8/18【京】禁門の政変(8.18の政変)
◆8/19(10.1)【京】政変:七卿の都落ち/朝廷、幕府&諸大名に攘夷督促の沙汰/九門中、中立売・今出川・清和院の三門が開かれる/久光召命:近衛前関白父子、久光上京を促す書簡を認める/【長】中根一之丞暗殺(6)急進派、中根一行を旅宿に襲撃。小人目付鈴木八五郎を梟首
◆8/20【京】久光召命:薩摩藩奈良原幸五郎、京都を出立して鹿児島へ/春嶽再上京:朝廷、春嶽の逼塞処分を理由に越前藩主父子上京見合わせを指示//【長】家老根来上総、山口到着。大和行幸&藩主父子上京の勅を伝える。
◆◇8/21【長】中根一之丞暗殺:急進派、帰路の中根一之丞を海上に殺害/【兵】政変:七卿、兵庫到着。因幡藩・有栖川宮、使者を益田右衛門介に派遣。益田・桂小五郎・久坂玄瑞ら、京阪残留決意/【京】壬生浪士、市中見廻りに任ぜられる/会桑・壬生浪士、桂小五郎追放に出動?
◆8/22【京】政変:朝廷、政変の顛末を諸藩に告知/関白鷹司輔熙、辞表提出/薩摩藩村山斎助、久光の出兵を促す書簡を認める【長】長州藩、世子定広の上京決定
◆8/23【京】政変:因備両藩主の長州擁護の上書/横浜鎖港:幕議、鎖港決定/慶喜、監察使(のち攘夷別勅使)東下を内請/【長】政変の報、山口に達する
◆8/24【京】政変:七卿の官位停止/政変顛末(修正版)再布告/六門開放・九門往返の許可/【江】将軍家茂、政変の功を賞し、容保に差料下賜
◆◇8/25【京】政変:薩摩・土佐、親兵解散を建議/長州間者4名、壬生浪士入隊?
◆8/26【京】政変:在京諸大名の召集。「18日以降の勅が真」と伝宣。/
◆8/27(【京】政変:京都守護職より市民安堵の町触れ【長】七卿・一行、三田尻到着/中川宮元服。朝彦親王を名乗る。
◆8/28【京】政変&久光召命:島津久光・前土佐藩主山内容堂・前佐賀藩主鍋島斉正に勅召/横浜鎖港:因幡・備前・阿波・米沢藩、攘夷監察の勅使東下を建議/朝廷、紀州・津・彦根・郡山に天誅組追討令
◆8/29【京】政変:朝廷、長州藩主父子への沙汰伝達(長州退京の朝命)/【江】幕府、容保の領地増加/【鹿】奈良原、鹿児島到着/【長】家老根来上総、山口出立/長州内訌(1)保守派椋梨藤太ら藩要路を弾劾
◆8/30【京】京都守護職に天誅組追討の達し/政変:諸藩士・浪人取締の朝命/前尾張藩主徳川慶勝、勅召によって入京/大原重徳蟄居を許される/【江】横浜鎖港:老中首座酒井忠績(雅楽守)上京の途へ/【長】長州内訌:保守派、直目付毛利登人・前田孫右衛門・表番頭格周布政之助罷免を要求/【越前】三岡八郎(由利公正)譴責処分

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◆9/1(10.13)【京】横浜鎖港:攘夷別勅使有栖川宮・副使大原重徳の東下決定。容保・攘夷別勅使に随行の命、後見職一橋慶喜に鎖港督促の沙汰/春嶽再上京:越前藩に上京無用の沙汰/【鹿】大久保利通、春嶽に久光上京決定を報せ、春嶽上京を促す/【長】長州内訌:直目付毛利登人・前田孫右衛門・表番頭格周布政之助罷免
◆9/2【京】朝廷、堂上へ武家との交際禁止の回達/
◆9/4【京】横浜鎖港問題:容保、攘夷別勅使随行を辞す/朝廷、守護職に天誅組追討督促
◆9/5【京】親兵解散/朝廷、十津川郷士に天誅組追討令
◆9/7【江】将軍家茂、川越藩主松平直克にしばしば登城するよう命じる
◆9/8【京】鎖港攘夷派大名退京:因幡藩主池田慶徳帰国の暇を請う/【江】横浜鎖港:慶喜、鎖港実行を奉答
◆9/9【坂】老中酒井忠績・軍艦奉行並勝海舟ら着坂【長】長州内訌:直目付毛利登人・前田孫右衛門・表番頭格周布政之助ら復職
◆9/10【京】春嶽再上京:軍艦奉行並勝麟太郎(海舟)、春嶽に上京を促す書簡を認める
◆9/12【鹿】久光召命:島津久光、鹿児島出発【江】吉井幸輔、江戸発(陸路)京都へ
◇9/13【江】牧野忠恭、老中に【京】長州家老根来入京/壬生浪士田中伊織暗殺
◆9/14【京】横浜鎖港:老中酒井忠績参内。攘夷督促の沙汰/【江】幕府、米蘭公使に横浜鎖港談判開始
◆9/15【越】横浜鎖港:幕府、上京中の老中酒井忠績に、(1)鎖港談判は穏やかにとの朝命及び(2)過急進派鎮撫に役立つような朝命を求めるように指示/【坂】春嶽再上京:勝海舟の使者近藤長次郎、福井到着。春嶽の上京を促す【長】藩主敬親、三田尻の七卿訪問
◆9/16【長】長州藩、世子定広の上京を決定
◆9/17【京】朝廷、根来の入京不可。政変当日の毛利元純らの挙動の取調べを命令
◇9/18【京】壬生浪士芹沢鴨・平山五郎暗殺
◆9/19【京】二条右大臣に内覧宣下/【江】横浜鎖港:米英仏蘭の四国公使、幕府との会見に応ぜず/【坂】長州藩邸、根来上京不可の朝命に従うことを決定
◆◇9/20(.11.1)【京】春嶽再上京:会津藩小野権之丞、春嶽が総裁職無断辞職・帰国を朝廷に詫びれば逼塞解除になるとの内示を越前藩士に伝える/芹沢鴨・平山の葬儀/生野の乱(2)平野國臣ら挙兵を促しに長州へ向かう
◆9/21【江】長州処分幕議/【越】春嶽上京:越藩土屋小六、福井着。容保の内示を伝える【土】土佐勤王党の武市半平太を投獄
◆◇9/23【越】春嶽再上京:島田近江・出渕伝之、春嶽の容保&永井尚志宛書状をもって京都へ出立。【京】会津公用方、近藤勇の東帰要請を断る
◆9/24【京】鷹司関白の差し控え御免【兵】薩摩藩小松帯刀、久光上京の旅程を越藩岡部豊後に報せる/【吉野】大和の乱終結。那須信吾・藤本鉄石・松本奎堂・吉村寅太郎ら戦死。中山忠光ら7名脱出、長州へ
◇9/25【静】横浜鎖港:老中酒井、鎖港談判に関する幕府の書簡を容保に/【越】春嶽再上京:酒井外記・中村市右衛門、朝廷への詫書を携えて京都に出立/【京】薩藩高崎左太郎、越藩牧野主殿介らに書簡/新選組への長州の間者、永倉の命を狙う。/吉井幸輔着京
◆9/26【江】幕府、容保に小倉藩処分、及び無二念打払い勅諚取り消しに関する朝廷周旋を依頼/【京】新選組、長州の間者を殺害
◆9/27【京】横浜鎖港:容保、談判開始に関する後見職慶喜・老中の上書を奏上/春嶽上京:容保、越藩島田に春嶽の速やかな上京を促す
◆9/28【京】長州処分:松平容保に対し、在京潜伏長州藩士取締の勅命/肥後熊本藩主の息子長岡護久・良之助兄弟入京/
◆9/29(【江】横浜鎖港:老中、談判困難を容保に報せる/【越】春嶽、大久保一翁に返書。【京】春嶽上京(11)越藩青山小三郎、薩藩吉井幸輔を訪問。越藩島田、永井尚志を訪問。【兵】島津久光、幕府から借りた鯉魚門丸で着港 
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◆10/1【京】伝奏、容保に浪士取締の命を幕府親藩に伝えさせる(外様へは朝廷が直接布告)【越】春嶽上京(12)岡部、薩藩小松に返書
◆10/2【長】生野の乱(3)平野、沢宣嘉と河上弥市・戸原卯橘ら奇兵隊隊士を含む37名と共に三田尻を出立
◆10/3【江】幕府、会津藩に金5万両を下賜/【京】参豫会議へ(1)薩摩藩国父島津久光入京/【京】春嶽上京(13)越藩、伝奏に春嶽の総裁職無断辞職・帰国の詫書提出
◆10/6【京】諸藩に対し、公卿入説の藩士・浪士取締の朝命/徳川慶勝、攘夷別勅使東下中止の上書/春嶽上京(14)伝奏より春嶽に赦免状/紀州藩主徳川茂承入京
◆10/7【京】慶喜上京II:後見職慶喜に上京の勅命・攘夷別勅使東下猶予の沙汰./春嶽上京(15)春嶽に上京の沙汰。/薩藩小松、越藩岡部に書簡。久光は春嶽の考えをきくまでどこにも出かけない方針だと伝え、早期上京を促す
◆10/8【京】春嶽上京:久光、春嶽に早期上京を促す書簡
◆10/9【京】孝明天皇より松平容保に秘密の内賀/【越】春嶽上京(17)春嶽、13日の出発決定。/容保、京都から呼び寄せた勝海舟と面談
◆10/10【京】将軍上洛II:将軍家茂に上京の勅命/慶勝帰国/近藤、一力茶屋で公武合体による攘夷を述べる
◆10/11生野の乱(4)沢一行、生野に到着/【京】備前藩主池田茂政(攘夷強硬派)帰国/【江】川越藩主松平直克政事総裁職に/
◆10/12生野の乱(5)生野の乱勃発・代官所を無血占拠し、農兵募集。【京】諸藩に対し、攘夷は幕府の指揮を受け、軽挙暴発を戒めるようにとの勅命
◆10/13【生】生野の乱(6)沢、元出石藩士の多田弥太郎・入江八千兵衛らとともに本陣を脱出【越】春嶽上京(19)福井を出発上京
◆10/14【生】生野の乱(7)生野の乱終結。河上ら13名、農兵に包囲され、自刃【近江】春嶽上京(20)容保の書簡、上京途中の春嶽のもとに届く
◆◇10/15【京】島津久光、朝廷は旧弊を改めて永世不抜の基本を立てるべきなどの意見書を中川宮に提出/新選組、禄位辞退の上書を会津藩公用方に提出
◆10/16【江】幕政改革() 三奉行の御用部屋入り停止
◆10/17【江】将軍再上洛(2)将軍上洛辞退&後見職慶喜上洛の幕議/【近江】春嶽上京(21)久光の使者・小松帯刀、春嶽と面談/
◆10/18【京】参豫会議へ(2)前越前藩主松平春嶽入京
◆10/19【京】春嶽、容保訪問/島津久光、春嶽に幕府が「私」を棄てることの重要性、賢明諸侯の会同、横浜鎖港問題反対等の意見を述べる。また、幕薩関係改善の仲介を依頼/福岡藩主入京/
◆10/20【京】守護職松平容保に対し、非常の際の事前許可なし参内認められる。/参豫会議へ(4)春嶽、慶喜に上京を促す書簡/勝海舟、春嶽に持論に変化がないかを質す/
◆10/22(12.2):【京】参豫会議へ(5)松平春嶽、山内容堂に上京を促す/春嶽、薩摩藩高崎猪太郎に幕府は「天下公共の理」に基づき速やかに「私」を脱却すべきだと語る。【京】大久保一翁、春嶽に「公議所」設置を提言する【江】慶喜再上京(3)上洛前に暇乞の登城/【長】進発(6)真木和泉、率兵上京三策を七卿に建策(藩庁は尚早論)
◆10/23【江】慶喜再上京(4)一橋家用人中根長十郎暗殺される/幕府、守護職役地の5万石を付与/【京】将軍再上洛(3)軍艦奉行並勝麟太郎(海舟)に東下の幕命。春嶽、勝に慶喜&将軍上洛周旋を指示/容保、十津川郷民の救済策を命ず/【長】根来、入京しないまま山口着
◆10/24【京】参豫会議へ(6)春嶽、伊達宗城の上京を促す書簡
◆10/26【京】参豫会議へ(7)春嶽、容堂に再び上京を促す/将軍再上洛(4)容保、東下する勝に将軍上洛周旋を依頼/【江】慶喜上京(5)、軍艦操練所から海路上洛の途に/【長】進発(7)藩内不穏を抑えるため、六卿を三田尻から山口へ移す
◆10/27【京】守護職容保批判の張り紙【長】入京嘆願(7)藩主敬親、家老井原主計に入京・嘆願(奉勅始末)提出を言い含める/
◆10/28【京】妄説否定(1)孝明天皇、「8・18政変以来、意のままにならないので三条実美に伝えよ」「天下のことを三条実美に委任したい」と言ったという風説を否定する宸翰を中川宮(尹宮)へ/【長】内訌(5)周布派の政敵、坪井九右衛門が死罪を言い渡される。
◆10/29(12.9)【京】妄説否定(2)近衛前関白父子、久光に宸翰の写しを送る/将軍再上京(5)将軍家茂上洛に関する再度の朝命を容保に付与 
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11/1薩摩藩、生麦賠償金七万両を支払う/【江】将軍再上京(6)老中連署して勅書奉戴を伝奏に送り、容保に書状を付与/【京】参豫会議へ(8)二条斉敬右大臣・薩摩藩小松帯刀、春嶽に国事の意見をきく。春嶽、朝幕が「私」を棄て「天理」に基づくこと、政体は衆議で決定することなどを述べる
◆11/2【坂】慶喜上京(6)慶喜、着坂/高崎左太郎、伊達宗城に政変の顛末を語る
◆11/3【京】参豫会議へ(9)前宇和島藩主伊達宗城入京/春嶽、参内/長州処分(4)筑前藩黒田山城、久光を訪問し、薩長の間、七卿と中川宮の和解を図ることを提案
◆11/4【京】参豫会議へ(10)宗城、春嶽に書簡「賢明諸侯」会同へ期待/浪士対策II(1)伝奏より諸藩に浪士捕縛許可/【江】将軍再上洛(7)勝、登城し、将軍上洛を上言・上洛掛の内命
◆11/5【京】参豫会議へ(11)土佐藩下許武兵衛、春嶽訪問【江】将軍再上洛(5)幕府、上洛の勅書奉承
◆11/6【京】長州処分(5)春嶽、長州・七卿処分は国是を決定した上で長州・七卿処分あるべきとの久光の意見に同意する旨を高崎猪に告げる。/浪士対策II(2)伝奏、浪士取締の回達書を諸藩に/所司代、浪士取締の方法を諸藩に示す/幕府、長州藩に潜伏藩士取締を命ず
◆11/7【京】春嶽・容保、中川宮訪問。中川宮、政変の模様を語る。夏に春嶽が挙藩上京をしていれば会津が遮る内命が下りていたと告げる/。肥後藩長谷川仁右衛門、越前藩訪問。 長州&七卿処分に関する諸侯協議は慶喜着京を待つことに/越前藩、中根雪江の蟄居を解除し、上京を命ず
◆11/8【長】家老の入京嘆願(8)家老井原、奉勅始末提出に上京へ・久坂随従
◆11/9【長】内訌(7)周布派の政敵、坪井九右衛門が野山獄で処刑される。
◆11/10【京】将軍再上洛:春嶽、勝海舟に老中板倉勝静の上京周旋を依頼
◆11/11【京】薩藩小松帯刀、越前藩訪問。勧修院宮(中川宮の兄)還俗について語る/
◆11/12【京】越藩中根雪江入京/【江】将軍再上洛(9)勝海舟、若年寄松平縫殿に将軍上洛遅延なきを主張/幕府、衣服省略の命(文久2年の改革)を改める
◆11/15【京】孝明天皇、島津久光に密勅21条を下す/入京嘆願(9)乃美、朝廷に井原の入京許可を請う【江】江戸城火災/将軍再上洛:)薩藩吉井幸輔、勝海舟に上洛は急務と主張
◆11/16【京】越藩中根ら、会津藩秋月悌次郎を訪問し、政変について聞く/大久保一翁の返書、春嶽に届く/新選組、将軍後見職慶喜警護の一員として下坂【肥】横井小楠の罪案決まる
◆11/19【京】将軍再上洛(11)会津藩邸に春嶽・宗城・久光ら集会。江戸城火災による将軍上洛延引不可を議決/入京嘆願(10)乃美、再び入京許可を請う 【坂】近藤勇、町奉行永井尚志と面会?
◆11/20【京】将軍再上洛(12)薩藩高崎左太郎、越前藩と各藩から将軍上洛を促す使者を出すことを相談【江】吉井幸輔、勝に将軍上洛の勅周旋について相談する。
◆11/21【坂】慶喜、大坂城入城/【京】将軍再上洛(13)永井尚志・小野権之丞、東下
◆11/22(1864.1.1)【京】中根雪江、小松帯刀訪問。高村新兵衛を慶喜に遣わす/越前藩・薩摩藩・筑前藩・肥後藩の使者、東下/
◆11/23(1.2)【京】水戸藩主名代松平昭訓死去。
◆11/26(1.5)【京】参豫会議へ:慶喜入京。(おさらい:横浜鎖港問題と慶喜上京)/春嶽、慶喜と会談(薩摩藩への嫌疑、中川宮・会・薩への報酬、江戸における守旧派)/一翁の書簡【江】将軍再上洛(13)永井、帰東して将軍上洛を説く/幕議将軍出発を12月下旬と決定/嘆願(11)長州家老伊原主計、朝廷に入京嘆願
◆11/27【京】将軍再上洛(14)幕府、12月下旬の将軍出発を達す/嘆願(12)井原家老、伏見に到着
◆11/28【京】嘆願(13)慶喜・春嶽・伊達宗城、井原の入京を議す。会藩秋月悌次郎、井原の入京及び伝奏を伏見に派遣することを反対。
◆11/29【京】嘆願(14)春嶽、会津藩に同藩士による井原の応接を提案。秋月、会津と長州は仇敵のような状況であると、これを断る」/久光、密勅の奉答書を近衛前関白に提出。
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◆12/1(1.9)【京】嘆願(15)伏見の伊原、再び入京嘆願/後見職邸会議:慶喜・春嶽・宗城・久光、井原の趣意を聴取させるため、伏見に朝廷執次と所司代役人派遣することを決定(秋月、意見を述べる)
◆12/2【江】鎖港使節(2)幕府、外国奉行支配組頭田辺太一らに横浜鎖港談判施設随行を命じる。/将軍再上洛(15)&板倉随従(2)政事総裁職松平直克、容保に老中板倉勝静の将軍随従困難を述べ、後見職慶喜の帰府・江戸城の留守を任せることの周旋を依頼
◆12/3【京】中川宮浮説(1)孝明天皇、中川宮に浮説の真偽を問う/嘆願(16)朝廷、伏見に執奏家雑掌を送り、聴取させる旨を達す569
◆12/4【京】中川宮浮説(2)中川宮に浮説は気にせず扶助せよとの宸翰/中川宮・容保天誅の落書/【江】板倉随従(3)勝海舟、春嶽に書状。板倉上京周旋の困難を告げ、朝廷の沙汰を提案296
◆12/5【京】後見職邸会議:参豫会議へ(15)薩摩藩、賢諸侯を議奏にと提議。/中川宮浮説(3)在京諸侯連署の中川宮擁護の上書提出を決定
◆12/6【京】将軍再上洛:二条邸:中川宮ら、慶喜・春嶽・宗城・久光・容保らに将軍上洛督促の朝命・長州処分について諮問、慶喜、速やかな将軍上洛を促す上書/嘆願(17)長州家老井原、再度入京嘆願/朝廷、浪士処置を呈示/
◆12/7【京】中川宮浮説(4)】慶喜・春嶽・容保・宗城・久光ら在京諸侯、朝廷に中川宮擁護の上書提出
◆12/8【京】将軍再上洛:慶喜、春嶽に、新総裁職松平直克が将軍上洛時に幕権回復を企図していることを告げ、その善後策を相談/朝廷、浪士取り締まりを通達
◆12/9【京】朝廷、慶喜に水戸藩士統率を委任/【江】将軍再上洛(18)勝、薩藩吉井幸輔に対し、大小目付が将軍上洛延期を主張し、幕議が紛糾している内情を報じる
◆12/10【京】将軍再上洛:春嶽・容保・宗城・久光ら連署で老中に将軍上洛を促す/【江】幕府、老中板倉に将軍上洛用掛を命じ、老中有馬道純に先発上京を命じる
◆12/11【京】嘆願:勧修寺家雑掌・所司代公用人、伏見の長州藩家老から奉勅始末・取調書を受け取る。また入京嘆願の請願を受ける。569/【江】鎖港使節(3)幕府、池田長発・河津祐邦・河田熙に横浜港永久閉鎖を談判するよう命ず
◆12/13【京】嘆願:参内諸侯、井原帰国を内決/容保、施薬院から寺町淨花院へ/【江】将軍再上洛(20)老中有馬、海路上京の途へ
◆12/14【京】嘆願:後見職邸で長州藩提出の書面を詮議、大久保利通列席。井原に帰国を命じることを決める。/長州家老井原、三度目の入京嘆願570
◆12/16【京】嘆願:)朝廷、井原の入京嘆願を退け、帰国の沙汰/【肥後】士道忘却事件(4)肥後藩、横井小楠・都築四郎の士籍剥奪・禄召し上げ
◆12/17【京】将軍再上洛:幕府、将軍家茂の12月27日海路発途を布達【横浜】外国奉行小笠原広業ら、米国代理公使と輸入品税率低減を協議
◆12/18【京】将軍再上洛:中川宮・松平春嶽・伊達宗城、政事総裁職松平直克が上京の際は幕府の旧習への回復は非だと説得すること、島津久光叙任などを話し合う/近衛忠房と薩摩藩国父島津久光養女貞の婚姻/彦根藩主井伊直憲入京【横浜】勘定奉行兼外国奉行竹内保徳ら、仏国公使に輸入品税率軽減を協議
◆12/19【伏見】嘆願:)長州家老、四度目の入京嘆願/【京】慶喜・春嶽・宗城、伏見へ使者派遣・井原の口上聞き取りを評決/慶喜・容保、二条右大臣の諮問に対し、伏見に使者派遣すべきと答える/
◆12/20【京】嘆願:朝廷、歓修寺経理を藤森神社に遣わし、井原の口上を聴取することを決定/【土】土佐藩士武市半兵太、獄中から妻らに書簡
◆12/21【伏見】嘆願:)勧修寺経理、藤森神社で井原の陳情を聴取/有栖川宮、井原に使者を遣わし、下坂して朝命を待つことを諭させる/【京】参豫会議へ(16)中川宮邸会議:慶喜・春嶽・宗城らの朝議参加(名称は例えば参謀)、久光の叙任等を協議/
◆12/22【京】参豫会議へ:春嶽、慶喜に幕習から脱した「創業」・政体の基本は衆議の上確定を確認・二条城の諸侯集会決定/
◆12/23【京】朝廷、三条実美ら帰京主張の鷹司輔煕の関白罷免。二条斉敬、新関白に(慶応3年1月9日まで関白) 。徳大寺公純は右大臣、近衛忠房は内大臣。
◆12/24(2.1)【京】中根雪江、平岡円四郎に諸侯会議の運営方法を提案/【下関】長州藩、薩摩が幕府から借り上げた長崎丸を砲撃・沈没させる
◆12/25【京】参豫会議へ:二条城にて初の有力諸侯会議/前宇和島藩主伊達宗城、前越前藩主松平春嶽に使節派遣延期・諸侯会議で開国・鎖国決定を入説
◆12/26【江】将軍家茂、横浜鎖港交渉使節池田修理らに委任状を下付
◆12/27【江】 将軍再上洛:家茂江戸を出立/【京】慶喜・春嶽、将軍長期滞在の必要性を語る
◆◇12/28【京】松平春嶽、中根雪江を後見職一橋慶喜に遣わし、朝議「参謀」の名称、鎖港談判使節出発延期について協議させる【京】芹沢一派生き残り、野口健司の死【品川】幕府・諸藩の大船団(12隻)、出港
◆12/29【神奈川】横浜鎖港交渉使節、仏国軍艦ル・モンジュに乗り、出航。上海へ
◆12/30【京】参豫会議へ:一橋慶喜・松平春嶽(越)・松平容保(会)・山内容堂(土)・伊達宗城(宇)、朝議参豫に任命され

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