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文久4年2月6日(1864年3月13日) 
【京】朝廷、三条実美らの建白書の受け取り・使者退京を決定
【京】勝海舟、春嶽に幕府要路間の猜疑を排し、参豫が英断することを求める書を出す
【京】会津藩主松平容保、二条関白と「両敬の親」を結ぶ
【長】長州藩、武器を他藩に売ることを禁じる

★京都のお天気:陰晴(久光の日記より)

■三条実美らの建白書
【京】文久4年2月6日(1864年3月13日)、朝廷は三条実美らの建白書の受け取り及び使者の退京を決定しました(日付は『維新史料綱要』五)。

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これより先、長州に落ちていた三条西季知・三条実美・東久世通禧、壬生基修・四条隆謌・錦小路頼徳は、攘夷の志を陳述した建白書を認め、両三条家の家臣に持たせて上京させていました。建白書の受領及び使者の処分については、なかなか決まりませんでしたが、この日、ようやく朝議が決まりました。

三条らの建白書の問題については、前日の5日夜、近衛邸に参豫の久光・容堂・宗城が参集したおりに話題となり、建白書の受け取り・使者の退京で話がまとまっていました。それを受けての朝議かと思われます。ただし、参豫の方は6日、7日と、この件について春嶽・慶喜の意見をすり合わせています。(春嶽は異論ありませんでしたが、当初、慶喜は使者に退京を命ずるに及ばず自由にさせるべきだとの意見)

また、この一件については、珍しく!容保が登場しています。6日には藩士秋月悌次郎を越前藩邸に送って容保の意見(建白書受け取り・使者退京)を述べさせていますし、7日は手代木直右衛門を宗城の下に送っています。手代木は、その後、退京を命ずることに反対意見をもつ慶喜の下に赴き、慶喜を翻意させています。

参考:『維新史料綱要』五p119、『続再夢紀事』ニp405-407、『玉里島津家史料』ニp749、『伊達宗城在京日記』p325-326(2010/3/26)

■勝海舟
【京】文久4年2月6日(1864年3月13日)、軍艦奉行並勝海舟は、越前藩主松平春嶽に幕府要路間の猜疑を排して参豫が英断することを求める書、及び海軍大意草稿を提出しました。

参考:『勝海舟全集1 幕末日記』p141(2010/3/26)

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