3月の「幕末京都」 幕末日誌元治1 テーマ別幕末日誌 開国-開城 HP内検索  HPトップ

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文久4年2月7日(1864年3月14日) 
【京】家茂、泉涌寺御陵を参拝
老中水野忠精、春嶽邸訪問。宗城も会合し、時事を協議。

★京都のお天気:晴天午後陰(久光の日記より)
【京】将軍家茂が、泉涌寺(せんにゅうじ)に参り御陵を参拝しました(徳川将軍としては初めての参拝)。また、寺領300石を寄付しました。


<ヒロ>
泉涌寺は皇室の菩提寺で、「御寺(みてら)」と呼ばれていて、京都でも別格のお寺です。文久2年12月には10月に山陵奉行に就任したばかりの戸田忠至が訪れ、泉山の御陵修復準備に着手しています(実際の普請は元治元年3月開始)。また、文久3年2月、長州藩世子毛利定広は天皇の賀茂神社及び泉涌寺行幸を建言しおり、同3月、朝廷は勅使を泉涌寺に派遣して、歴代天皇に攘夷の方針を報告しています。

<おまけ>
家茂参拝時の戒光寺(泉涌寺塔頭・孝明天皇御陵衛士墓所のあるお寺)

この日、戒光寺には高家と山陵奉行戸田忠至の宿坊が割り当てられました。また、伊東甲子太郎らの御陵衛士の拝命に尽力した戒光寺の湛然長老*(泉涌寺の前住・西園寺家の猶子)は、他の長老3名(当住1名・前住2名)とともに御目見得を許されています。

*「長老」は泉涌寺の「前住」または「当住」の呼称(「前住」は前住持、「当住」は当時の住持のこと)。

参考:『維新史料綱要』五、『泉涌寺史』(2010/3/27)

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