幕末京都日誌(過去ログ整理) 事件:開国-開城(マクロな歴史) HP内検索 HPトップ 

★文久2年春の島津久光率兵上京こちら)慶応4年春江戸開城までの京都を中心とした幕末政治(と衛士)の々の動きを1日ずつ?更新。。(和暦の方は月の満ち欠けに呼応していて、たとえば15日は満月となります)
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3月の幕末京都&折々の詩歌

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桜田門外の変、天狗党争乱、大和・生野の変の関係者、長井雅楽、清河八郎、沖田総司、伊東甲子太郎、木戸孝允の詩歌計15首(編) 『志士詩歌集』(昭和17年)等より

3月の幕末京都の過去ログリスト (全体の過去ログは幕末京都日誌に整理)

1863(文2/文3) 1864(文4) 1865(元2) 1866(慶2) 1867(慶3) 1868(慶4)

幕末関係   ◇御陵衛士(浪士組)関係
文久3年(1863)
◆文久3年1月13日(1863.3.2):【京】後見職一橋慶喜、学習院で激派公卿と対峙
◆1月15日(3.4):【京】将軍上洛延期運動(9)大久保利通・中根靱負入京/【江】幕府、将軍が2月26日、海路上洛すると発表
◆1月16日(3.5):【京】将軍上洛延期運動(10)中根、慶喜に将軍上洛の延期を報告。岡部長常、中根に京都の厳しい情勢を語る/鷹司輔熙に関白宣下の内意/【江】近藤勇、小島家から鎖帷子借用(これ以前に、浪士募集に応じることを決める
◆1月17日(3.6):【京】朝廷、長州藩主毛利敬親を参議に任命/将軍上洛延期運動(11)大久保、中根に延期周旋の困難さを説明・本多弥右衛門・藤井良節、内談。
◇1月18日(3.7):【江】浪士組結成(9)松平主税助、清河八郎引き取りの届け出
◇1月19日(3.8):【江】浪士組結成(10)試衛館道場主近藤勇、山岡鉄舟と面会
◆1月20日(3.9):【京】将軍上洛延期運動(12)運動蹉跌。近衛忠煕・鷹司輔熙、将軍上洛延期発令の見合わせを決定。近衛、島津久光に再度上京を求める。
◆1月21日(3.10):【京】浪士対策(1)守護職松平容保、慶喜に言路洞開を説く。/大久保利通、鹿児島へ出立 
◆1月22日(3.11):【京】池内大学「天誅」事件/【江】松平春嶽、海路上京の途につく。
◆1月23日(3.12):【京】公武合体派近衛忠煕、関白辞任(内覧は継続)。鷹司輔熙新関白に
◆1月24日(3.13):【京】池内「天誅」事件(2)。鷹司関白・近衛前関白・中川宮(青蓮院宮)・中山・正親町三条大納言に脅迫状。
◆1月25日(3.14):【京】前土佐藩主山内容堂、入京
◆1月27日(3.16):【京】朝廷、公武合体派議奏中山忠能・正親町三条実愛の辞職を許可する。翠紅館の尊攘派会合
◆1月28日(3.17):【京】千種有文の家臣賀川肇「天誅」事件(1)/容保、将軍上洛を促す使者外島機兵衛らをを江戸に送る。
◆1月29日(3.18):【京】朝廷、青蓮院宮に還俗の内旨。浪士対策(2)国事御用掛、諸藩に浪士の攘夷先鋒を諮問/政事総裁職松平春嶽着坂。/【江】生麦事件償金(1)米国公使、英国艦隊派遣を幕府に告げる
◆2月1日(3.19):【京】賀川「天誅」事件(2)千種・岩倉に賀川の手と脅迫状、慶喜の宿舎に賀川の首と攘夷期限決定を迫る封書。朝廷、諸藩に浪士取締の沙汰。
◇2月2日(3.20):【江】浪士組結成(11)上洛浪士組幹部決定
◆2月3日(3.21):【京】浪士対策(4)守護職松平容保、慶喜から言路洞開の承諾を得る/【江】生麦事件償金(2)英国艦隊、横浜に入港
◆2月4日(3.22):【京】松平春嶽入京。/浪士対策(5)守護職松平容保、前関白近衛忠照に言路洞開を建白/浪士組結成(12)松平主税助、浪士取扱役を辞任
◆2月5日(3.23):【京】攘夷期限(2)慶喜、将軍上洛の上の攘夷期限決定を鷹司関白約束/浪士対策(6)容保、春嶽に浪士を武田耕際に附属させ、自分が指揮して攘夷先鋒にと提案/【江】上洛浪士に諸規定の申し渡し。
◆2月6日(3.24):【京】前土佐藩主山内容堂の宿舎に唐橋村惣助の首と攘夷を促す書/浪士対策(7)春嶽、容保に異見があると伝える【長】長州藩士長井雅楽切腹/【江】土佐藩士、清河を罵る
◆2月7日(3.25):【京】浪士対策(8)春嶽、浪士を制するために朝議を固めるよう促す鷹司関白宛ての建白を起草/この頃、平井収二郎、会津藩訪問
◆◇2月8日(3.26):【京】攘夷期限(3)激派公卿、関白らに朝議が因循しないようにとの上書/浪士対策(9)慶喜・容堂・岡部長常・沢勘七郎・武田耕雲斎、浪士対策を協議/【江】浪士組江戸出立し、中山道により上京へ 
◆2月9日(3.27):【京】j攘夷期限(4)激派公卿12名の関白鷹司邸列参/慶喜、将軍帰府後の攘夷を約束/浪士対策(10)慶喜・容堂・容保・岡部長常・杉浦正一郎・沢勘七郎ら、浪士対策を協議/【江】生麦事件償金(3)幕府、将軍は13日に東海道により上洛と公布
◆2月10日(3.28):【京】攘夷期限(5)将軍上洛前に攘夷期限の内奏をするようにとの沙汰/浪士対策(10)春嶽、鷹司関白に浪士対策の建白書を提出
◆2月11日(3.29):【京】攘夷期限(6)久坂玄瑞・寺島忠三郎・轟武兵衛、鷹司関白に1)言路洞開、2)人材登用、3)攘夷期限決定の三策を迫る・公卿の関白列参/天皇、請願を勅許/後見職慶喜、勅使に将軍滞京10日、帰府後20日(4月中旬)の攘夷期限を約束/浪士対策(11)守護職容保、藩士に夜間の巡邏を始めさせる。
◆2月12日(3.30):【京】攘夷期限(7)朝廷、将軍滞京を10日とする沙汰/浪士対策(12)中川宮(青蓮院宮)、関白と参内。天皇に公卿の激論・浪士の横暴を密奏/
◆2月13日(3.31):【京】国事参政・国事寄人設置/九条尚忠・久我建通・岩倉具視・千種有文・富小路敬直、重慎に/肥後藩士森井惣四郎、会津藩公用人に警告/浪士対策(13)春嶽・宗城、近衛前関白を訪ねて浪士対策を密議。/【江】将軍、江戸出立。陸路(東海道)上洛へ

関連:■開国開城:「幕府の公武合体派連合(幕薩連合)策」 「後見職・総裁職入京-公武合体策挫折と攘夷期限「天誅と幕府/守護職の浪士対策」■幕末日誌文久3 ■テーマ別文久3年:「将軍上洛下準備:京都武力制圧VS幕薩連合の公武合体派会議薩摩藩の将軍上洛延期運動」「浪士対策」「攘夷期限」「天誅と公武合体派排斥2

文久4/元治元年
◆文久4年1/23(1864.3.1)【京】朝廷参豫会議:議事なし。21日の宸翰は内諭/春嶽、慶喜と幕府要路の疎隔を憂い、中根雪江に融和を周旋させる【京】武家伝奏を1名追加し、坊城俊克就任/
◆1/24(3.2)【京】松平春嶽、御用部屋入り/二条城会議(慶喜・容保欠席):参豫諸侯、総裁職松平直克・老中水野忠精と時事を論じる。容堂激して退席。【京】老中水野・有馬,春嶽・宗城の仲介で中川宮邸を訪問。
1/25(3.3)【京】二条城会議(久光欠席):幕閣、参豫諸侯の長州征討案に同意【京】将軍家茂、守護職と総裁職に昨秋以来の労をねぎらい、金品を与える【京】近衛前関白、27日の将軍参内時の「突然」の位階昇進を慶喜らに伝える【京】近衛前関白、家茂隠居・慶喜の将軍宣下の風説を否定/【江】横浜鎖港交渉:特派全権公使オールコック横浜到着
◆1/26(3.4) 【京】春嶽、明27日の将軍位階昇進について仔細を確認するよう慶喜に要請。/越前藩中根雪江、慶喜と直克・老中らとの隔意について一橋家黒川嘉兵衛と内談【京】阿波藩、市中巡邏免除を請う/【江】横浜鎖港交渉:老中板倉勝静・井上正直・牧野忠恭、米国公使に横浜鎖港の理由を弁明・下関償金猶予を求める
◆1/27(3.5)【京】将軍家茂、在京諸侯42名の面前で、宸翰(詔書)を受取る (軽率な攘夷及び討幕を企てた三条実実らと長州藩の「暴臣」は必罰だがその責任は天皇にあること;攘夷のために旧典を改め、冗費を省き、幕府・諸藩の武備充実すること;公武一和によって天下一新をすること)(草稿は薩摩藩)。天皇、総裁職直克・老中に参豫諸侯との協力を諭す/山陵補修の功により、将軍家茂に位階昇進(従一位宣下)の内旨/
◆1/28(3.6)【京】二条城会議(慶喜・容保欠席):参豫諸侯、老中と長州処分の方法論を議す。(容堂と久光対立)【京】春嶽、開国鎖国の議論はせず、必戦の備えを国是とするよう老中に意見する。老中の参豫廃止論に対し、参豫の幕政参加を提案。/【長】高杉晋作、脱藩
◆1/29(3.7)【京】山陵補修の功により、将軍家茂に従一位推叙の宣下/宇都宮藩主戸田忠恕に従四位下・山陵奉行戸田忠至を大名格とする/春嶽、慶喜に容保への褒賞(朝廷参議・天皇からの書付、加増)周旋及び容堂を外して他の参豫諸侯と会合することを求める
◆2/1(3.8)【京】慶喜、会津藩賞揚及び容堂抜きの参豫集会に同意。/幕議は(1)横浜鎖港攘夷、(2)長州藩主父子の隠居・違背すれば征討、(3)参豫の御用部屋入り不可/慶喜、1月27日の宸翰は「開港の意味」が含まれるとして布告延期を提案(宸翰への違和感)/会津藩・新選組批判の高札/水口藩主上京【長州】東上:三条実美、土方久元・清岡半四郎と東上を謀議/長州藩主、遊撃隊士に時機を待つよう諭す/亡命を禁じる/【長崎】薩摩藩、長崎で英国蒸気船ニ艘購入/
◆2/2(3.9)【京】二条城会議(容保・容堂欠席):参豫諸侯、一橋詰所入りが許される。宸翰布告決定。横浜鎖港・長州処分についても議す。久光鎖港不可を論ずる(幕府の裏事情)/新選組近藤勇、容保に呼び出される
2/3(3.10)【京】一橋家平岡円四郎、慶喜と老中の仲について、(1)宸翰の趣旨、(2)横浜鎖港、(3)長州処分について同論であり、懸念はないと越前藩士中根雪江らに述べる。また、「越」は「薩」の「奸計」に惑わされているとの投書があったと伝える/【長州】東上:藩主敬親父子、家老宍戸備前・福原越後とともに三条実美訪問。
◆2/4(3.11)【京】久光、横浜鎖港交渉使節帰国までの鎖港の是・当面幕府へ委任を春嶽に相談。春嶽同意/容堂、春嶽に1月27日の宸翰布告反対の意を伝える/幕府、布告の延期を決定/【長州】東上:三条実美、水野丹後(正名)・真木和泉守・宮部鼎蔵・高木元右衛門と東上を謀議
◆2/5(3.12)【京】軍艦奉行並勝海舟、摂海防御及び神戸海軍操練所の強化を委任される/二条城会議(容保・容堂欠席):久光、宸翰の「有のまま」の布告を主張/仏艦隊下関襲撃の噂が京都に届き、これを阻止するため、勝海舟の長崎派遣を決定/会津藩主松平容保、二条関白と「両敬の約」を結ぶ
◆2/6(3.13)【京】勝海舟、春嶽に幕府要路間の猜疑を廃して英断することを求める書を出す/朝廷、三条実美らの建白書の受け取り・使者退京を決定/【長】長州藩、武器を他藩に売ることを禁じる
◆2/7(3.14)【京】家茂、泉涌寺御陵を参拝/老中水野忠精、春嶽邸訪問。宗城も会合し、時事を協議。
◆2/8(3.15)【京】二条城会議(容保欠席)/長州処分:参豫諸侯、総裁職・老中と長州処分を議す/近衛前関白らとも議し、(1)長州支藩及び家老の大坂召喚及び訊問、(2)三条実美らの京都還送、(3)違背すれば征討を決定/【京】孝明天皇、容保に極秘の宸翰を下付。その「誠忠」を称え、「密事」の周旋を依頼する
◆2/9(3.16)【京】春嶽、慶喜に1月27日の宸翰の請書草案中の「無謀の攘夷」を訂正するようコメント/【京】守護職更迭(1)幕議、容保の加増、征長副将、守護職更迭と大老転任を決定/老中板倉勝静に上京命令/京都町奉行永井尚志、大目付に
◆2/10(3.17)【京】守護職更迭(2):幕府、容保の大老任命を止め、陸軍総裁職任命を決定/将軍、会津藩主松平容保に五万石加増の沙汰/山内容堂、朝廷に帰藩を請う/幕府、戸田忠恕・山陵奉行戸田忠至に刀一口下賜/京都市中の警衛は幕府の専管とする
◆2/11(3.18)【京】長州処分:幕府、征長出陣部署を決定し、諸藩に長州処分の内意通達/守護職更迭(2)容保の守護職を更迭し、陸軍総裁職と征長軍副将に任命/越前藩、参豫を老中の上に置くことの建言を決定/参豫諸侯(春嶽・容堂・宗城・久光)、連署して慶喜に朝旨(二度の宸翰)に基づく天下の耳目の一新を建言/長州藩士宍戸九郎兵衛、密かに入京。
◆2/12(3.19)【京】朝廷、容保に参議推任の宣下・容保固辞/御所九門警備:会津藩の唐・蛤門警備を免じ、堺町門に変更/長州藩士宍戸九郎兵衛、二条関白に謁す
◆2/13(3.20)【京】朝廷参豫会議(御前会議):長州処分について下問(慶喜・容保・容堂欠席)/春嶽、将軍家茂に参豫諸侯の幕政参加(老中の上)・人材登用の意見書提出(総裁職松平直克経由)/幕府、容保に日々登営・御用部屋入りを命じる(陸軍→軍事総裁職へ改称)/【坂】勝海舟、出帆
◆2/14(3.21)【京】家茂参内、宸翰(1月27日)の請書を差し出す(&横浜鎖港に関する朝廷の疑念・幕府の裏事情)【京】家茂、参豫諸侯の幕政参加を中川宮に約束
◆2/15(3.22)【京】宸翰請書:幕府、1月27日の宸翰及び請書を布告/春嶽を守護職に任命/宸翰請書・朝廷参豫会議(御前):朝廷、請書に疑念を示し、急速な横浜鎖港を命じる。慶喜と開国説の春嶽・宗城・久光の意見対立(容保・容堂欠席)。/幕府、小栗正寧を町奉行に/長州藩主毛利敬親、藩庁を山口に移す許可を幕府に乞う/長州藩、城代毛利出雲に率兵上京を命じる
◆2/16(3.23)【京】幕府、参豫諸侯の御用部屋入りを命じる/参豫会議解体(2)諸侯(慶喜・久光・春嶽・宗城)、中川宮を訪問、慶喜激論し、横浜鎖港の新たな請書提出を言明・「薩摩の奸計、三人は天下の大愚物」と暴言。(参豫会議は急速に解体へ)/守護職更迭:容保、軍事総裁職を請ける&孝明天皇、容保に再び極密の宸翰(任務後の守護職復帰要請/天誅組安積五郎ら19名斬首)/容堂の帰藩却下/将軍、春嶽・容保を召し、各刀一口を与える/幕府、中根雪江・野村左兵衛・小室金吾・秋月悌次郎・高崎猪太郎に摂海防御を諮問
◆2/17(3.24)【京】幕府、横浜鎖港の新たな請書提出を18日に延期/守護職更迭(6)幕府、軍事総裁職に陸海軍奉行・後部所奉行・三番等以下軍職を統括させる/市中に春嶽・久光らの開港論を批難する張り紙。
◆2/18(3.25)【京】横浜鎖港:幕府、請書提出&春・宗・久、同意の意見書提出/【江】守護職更迭:老中、連署して容保の軍事総裁職転任に反対/水口藩家老岡田直次郎刺殺
◆2/19(3.26)【京】春嶽、老中に国是一定・在京諸侯の速やかな帰国を建言//坂本龍馬、勝海舟の命で肥後の横井小楠を訪問
◆元治元年2/20(3.27)元治と改元。【京】幕府、在京諸侯に1月27日の宸翰の請書の趣旨を示し、意見を求める
◆2/21(3.28)【京】朝廷、将軍に、横浜鎖港成功&摂海防御を当面の急務とせよとの沙汰を下す【京】参豫会議解体:宗城、慶喜を訪ねて「憤励」を求める
2/22(3.29)【京】長州処分:肥後藩主兄弟、朝廷と幕府に対し、朝旨をもって、まず長州藩主毛利敬親を説諭し、幕府が非違を糾弾するよう建議/)家茂、島津久光父子の多年の功を賞し、刀等を下賜
◆2/23(3.30)【京】長州処分:筑前藩世子、穏やかな処分を建議)/三条大橋に幕府・将軍・後見職を批判・三港焼き払いの主張の張り紙 宗城・中川宮密談。中川宮「春岳守護職も不宣」と伝える
◆2/24(3.31)【京】長州処分/朝廷参豫会議、長州藩末家・家老・吉川監物の召命を決定/参豫会議解体:春嶽の意を受けた中根雪江・高崎猪、慶喜と久光の仲の調停を相談/備前藩主池田茂政入京/【阪】横浜貿易商暗殺・梟首 

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元治2年
◆元治2年2月4日(1865.3.1)-容保東下をやめるべきとの内旨。
◆2月5日(3.2):会津候松平容保の東下勅許が撤回・天狗党処分始まる
◆2月6日(3.3):老中阿部・本庄の率兵上洛
◇2月9日(3.6):新選組副長土方、東下願いを容保に出すが却下
◆2月13日(3.12):幕府、総督・守護職の月1万両賜金を停止。容保に御符を下賜。
◆2月19日(2.16):朝廷、幕兵の御所内外の徘徊を禁止
◆2月22日(3.19):新選組副長山南、一説に脱走。老中、朝命で参内。慶喜召還を叱責。将軍上洛の勅書。
◆2月23日(3.20):新選組副長山南切腹。五卿、大宰府延寿王院へ容保の東下停止の勅命。
◆◇2月24日(3.21):老中阿部、帰府。老中本庄、下坂。山南葬儀
◇2月28日(3.25):西本願寺、新選組に寺の使用を許す
◆◇2月30日(3.27):土方、西本願寺移転の書簡。

慶応4年
◆慶応4年2月8日(1868.3.2):【江】大久保一翁、若年寄に転任
◆2月9日(3.3):【京】有栖川宮、東征大総督に任命/【江】慶喜、朝廷より処分された老中・若年寄・大目付らを罷免
◆年2月10日(3.4):【江】慶喜、容保・定敬ら24人の登城を禁ず。容保・定敬に江戸退去・謹慎を求める。
◆2月11日(3.5):【江】慶喜、総登城を命じ、恭順・自らの退城を告げる
◆2月12日(3.6):【江】慶喜、江戸城退城。寛永寺に謹慎。後事は田安慶頼に。/彰義隊(1)一橋家臣ら慶喜を慕う同志17人の会合(尊王恭順有志会)
◆2月15日(3.9):【京】東征大総督軍、京都を出立
◆2月16日(3.10):【京】徳川家存続の内旨/【江】容保、江戸を出立。会津へ。
◆2月19日(3.13):【京】春嶽、慶喜の奏聞状を提出し、進撃中止、慶喜・会桑の処分の公議による決定を請うが、却下される。
◆2月21日(3.15):【江】淀藩主稲葉正邦、老中辞職/輪王寺宮、歎願に江戸を出立
◆2月23日(3.17):【江】彰義隊(4)彰義隊結成(渋沢成一郎総裁、天野八郎副総裁)
◆2月26日(3.20):【江】前老中稲葉、慶喜の嘆願書をもって京都に出立/静寛院宮、橋本実梁に再び書簡を発す
◆2月29日(3.23):【江】土御門藤子、徳川存続の内旨を携えて帰府

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