★文久2年春の島津久光率兵上京(こちら)〜慶応4年春江戸開城までの京都を中心とした幕末政治(と衛士)の々の動きを1日ずつ?更新。。(和暦の方は月の満ち欠けに呼応していて、たとえば15日は満月となります) ★折々の草莽たちの詩歌をご紹介(このページを開くたびににランダムに表示されます) |
元治2年 |
◆元治2年2月4日(1865.3.1)-容保東下をやめるべきとの内旨。 ◆2月5日(3.2):会津候松平容保の東下勅許が撤回・天狗党処分始まる ◆2月6日(3.3):老中阿部・本庄の率兵上洛 ◇2月9日(3.6):新選組副長土方、東下願いを容保に出すが却下 ◆2月13日(3.12):幕府、総督・守護職の月1万両賜金を停止。容保に御符を下賜。 ◆2月19日(2.16):朝廷、幕兵の御所内外の徘徊を禁止 ◆2月22日(3.19):新選組副長山南、一説に脱走。老中、朝命で参内。慶喜召還を叱責。将軍上洛の勅書。 ◆2月23日(3.20):新選組副長山南切腹。五卿、大宰府延寿王院へ容保の東下停止の勅命。 ◆◇2月24日(3.21):老中阿部、帰府。老中本庄、下坂。山南葬儀 ◇2月28日(3.25):西本願寺、新選組に寺の使用を許す ◆◇2月30日(3.27):土方、西本願寺移転の書簡。 |
慶応4年 |
◆慶応4年2月8日(1868.3.2):【江】大久保一翁、若年寄に転任 ◆2月9日(3.3):【京】有栖川宮、東征大総督に任命/【江】慶喜、朝廷より処分された老中・若年寄・大目付らを罷免 ◆年2月10日(3.4):【江】慶喜、容保・定敬ら24人の登城を禁ず。容保・定敬に江戸退去・謹慎を求める。 ◆2月11日(3.5):【江】慶喜、総登城を命じ、恭順・自らの退城を告げる ◆2月12日(3.6):【江】慶喜、江戸城退城。寛永寺に謹慎。後事は田安慶頼に。/彰義隊(1)一橋家臣ら慶喜を慕う同志17人の会合(尊王恭順有志会) ◆2月15日(3.9):【京】東征大総督軍、京都を出立 ◆2月16日(3.10):【京】徳川家存続の内旨/【江】容保、江戸を出立。会津へ。 ◆2月19日(3.13):【京】春嶽、慶喜の奏聞状を提出し、進撃中止、慶喜・会桑の処分の公議による決定を請うが、却下される。 ◆2月21日(3.15):【江】淀藩主稲葉正邦、老中辞職/輪王寺宮、歎願に江戸を出立 ◆2月23日(3.17):【江】彰義隊(4)彰義隊結成(渋沢成一郎総裁、天野八郎副総裁) ◆2月26日(3.20):【江】前老中稲葉、慶喜の嘆願書をもって京都に出立/静寛院宮、橋本実梁に再び書簡を発す ◆2月29日(3.23):【江】土御門藤子、徳川存続の内旨を携えて帰府 |
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