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元治1年3月29日(1864年5月4日)
【京】春嶽の守護職辞任:春嶽、藩士中根雪江、酒井十之丞を
議奏正親町三条実愛に遣わし、辞職許容を入説
【長州】高杉晋作、脱藩の罪により家禄没収・投獄される

☆京都のお天気:晴(久光の日記より)
■春嶽の守護職辞任問題

【京】元治元年3月29日、越前藩は中根雪江・酒井十之丞を正親町三条実愛に遣わし、守護職辞表出願の事情を説明させ、辞職許容を求めさせました。実愛は、己の裁量で決められない事なので、今後評議のあるときに決めようと答えました。

越前藩は、前日、中川宮から実愛に辞表出願の事情を説明するよう勧められていました(こちら)

実愛とのやりとりはこんな感じでした。
中根・酒井 (辞職出願にいたる事情を説明し、許容を求める)
実愛 そのことは最近たびたび朝議もあることだが、元来、大蔵太輔殿は、去る戊午の頃、天下の為に御尽力されたのに、幕府が却ってこれを嫌忌して長々の御幽閉となり、如何にも「御迷惑の次第」であった。その後、一昨年になって、島津三郎が上京して推薦し、雲霧が一度晴れて重職に上られたが、その次の年、つまり昨年春の「暴説の盛」んな時にまたまた「御引入」になったのは、時勢とは申せ、遺憾なことであった。しかし、昨年の暮れ、朝廷の召に応じて再び御上京になり、その後は、「御精勤も著しく、殊ニ過日大樹公へ仰出されたる宸筆の勅書に御名面をも列挙されたる如く、深く御依頼」在らせられることはもちろんであり、「何等之意味合」があるのか知らぬが、何分にもそのまま御勤職あることを望む。
中根 最近、「朝幕にて嫌疑を蒙れる次第」があり、「一藩人心大に沮喪し、到底奉職は致し兼」ねることであります。
実愛 「朝幕之嫌疑」と申されるが、朝廷は既に申し述べた通りなので、御心配には及ばぬ。幕府とてもこれまでの経緯もあるところ、「俄に転変の評議」はないだろう。
中根 幕府のことは、「宗支の間柄」ですので、内情を明言するのは実に忍びない事ですが、もし嫌疑の廉がなければ、たとえ辞職願を出しても取り上げられないだろうところ、何事なく取り上げられたのみならず、内々ながら出願するようにと指示された程ですので、「内実は退職を促された」のです。

もっとも、この御時勢ですので、職務は解免されても、決して急に帰国等を願う所存はなく、朝幕の御為にあくまで尽力するつもりです。
実愛 そのような拠無い事情があるならば、この上強いてにとは申し難い。しかし、自分一人の計らいで左右できぬ事なので、今後、また評議がある際に取り計らおう。

参考:『続再夢紀事』三p69-72(2010/10/4)
関連■テーマ別元治1「会津藩の守護職更迭問題・春嶽の守護職就任問題

【京】小松帯刀、久光の使者として越前藩邸訪問。春嶽と面談。(『続』p75)
【京】伊達宗城、越前藩邸訪問し、春嶽と面談。「久の対話致長大息候」(『伊』p402)
【京】将軍、臨時参内(『伊』)p402
【長州】高杉晋作、脱藩の罪により家禄没収・投獄される(『維』五)

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