幕末京都日誌(過去ログ整理)  事件開国-開城(マクロな歴史)  HP内検索  HPトップ

★文久2年春の島津久光率兵上京(こちら)〜慶応4年春江戸開城までの幕末政治(と衛士)の々の動きを1日ずつ?追っかけ中。(和暦は月の満ち欠けに呼応し、たとえば15日は満月となります)
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「5月の幕末京都&志士詩歌」

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安政の大獄寺田屋事件、清河八郎暗殺ほか計15首 『志士詩歌集』(昭和17)等

5月の幕末京都の過去ログリスト (全体の過去ログは幕末京都日誌に整理)

↓文久2(1862) 文久3(1863) 元治1(1864) 慶応1(1865)

文久2年
【文久2年4月6日が(今のところの)始点です
◆文久2年4/6(1862.5.2)久光率兵上京と寺田屋事件(1)東上中の島津久光姫路着。西郷隆盛処分を決める
◆4/7(5.3)【京】孝明天皇、攘夷断行の勅旨を朝臣に下す
◆4/8(5.4)【京】久光上京&寺田屋事件(2)平野國臣、久光に期待する「討幕三策」を朝廷に/土佐勤王党、吉田東洋を暗殺/
◆4/9(5.5)【兵庫】久光、兵庫着。大久保利通、西郷に決断申し入れ。
◆4/10(5.6)【坂】久光上京&寺田屋事件(3)大坂着。激派に三度目の諭告。
◆4/11(5.7)【江】幕府、安藤対馬守(信正)の老中罷免/【京】長州藩久坂玄瑞ら、長井雅楽の弾劾書を在京藩重臣に提出/【江】長藩周布政之助、江戸到着し、藩政に参与。
◆◇4/13(5.9)【京】正親町三条実愛、長井雅楽に藩主毛利敬親上京の内旨を伝える/久光上京&寺田屋事件(4)久光、伏見入り/清河八郎、一挙を前に本間精一郎・安積五郎・藤本鉄石らと薩摩藩大坂屋敷を退去。京都へ/【江】長州藩世子毛利定広、江戸出立
◆4/14(5.10)【京】長井雅楽、内旨を奉じて退京
◆4/15(5.11)【江】将軍、御三家・田安大納言・溜間詰大名・布衣以上役人を召しだし、制度の簡素化を面諭。
◆4/16(5.12)【京】久光上京&寺田屋事件(5)島津久光非公式に入京・近衛忠房・中山忠能・正親町三条実愛らに幕政・朝廷人事改革を進言。久光に滞京・浪士鎮撫の勅命/
◆4/17(5.13)【京】久光上京&寺田屋事件(6)島津久光、入京。薩摩藩堀次郎、18決起の激派説得
◆4/18(5.14)【京】寺田屋事件(7)5日前-久光、有馬新七ら激派説得のために奈良原喜左衛門・有村俊斎を大坂へ派遣。
◆4/19(5.15)【京】長州藩家老浦靱負、藩兵百余名を率いて入京。
◆4/20(5.16)【京】寺田屋事件(8)3日前-久光の命を受け、激派説得のために大久保利通下阪
◆4/21(5.17)【江】長井雅楽、江戸到着し、藩主上京の内勅を伝える
◆4/22(5.18)【京】寺田屋事件(9)前日-長州藩浦靱負、藩士に暴発せぬよう訓示。/真木和泉、決起への参加を決める/久光、激派説得に奈良原・有村・松方正義・藤井良節を派遣。
◆4/23(5.19)【京】寺田屋事件(10)薩摩藩、急進派を上意討ち/長州藩久坂玄瑞ら、事件の報をきいて所司代襲撃を中止
◆4/24(5.20)【京】寺田屋事件(11)孝明天皇、久光の浪士鎮静を賞する内勅。/大久保利通、浪士の中心人物田中河内介を説得
◆4/25(5.21)【京】寺田屋事件(12)伝奏、久光に浪士鎮撫の勅命を伝達。/海賀宮門、大久保利通らと会談/【江】幕府、一橋慶喜・徳川慶勝・松平春嶽・松平容堂らの赦免を決定
◆4/27(5.23)寺田屋事件(13)薩摩藩、田中河内介父子・海賀宮門らを海路薩摩藩へ護送。
◆4/28(5.24)【京】長州藩世子毛利定広入京。
◆4/29(5.25)長州藩士高杉晋作、長崎を出航して上海へ
◆4/30(5.26)【京】朝廷、幕府の要請を受けて、中川宮(青蓮院宮)の赦免を決定
◆5/1(5.29)【京】長州藩に浪士鎮撫&国事周旋の朝命/寺田屋事件(14)田中河内介父子、薩摩藩士に殺害される。
◆5/2(5.30)【江】将軍上洛問題(1)長州藩、幕府に将軍上洛の建白書。
◆5/3(5.31)【江】会津藩主松平容保、幕政参与に

関連■開国開城「薩摩の国政進出-島津久光の率兵上京と寺田屋事件」 「長州の国政進出航海遠略策」「長州藩論一転・破約攘夷へ」■幕末日誌文久2 ■テーマ別文久2年「島津久光率兵上京と寺田屋事件」「将軍徳川家茂上洛問題」「一橋慶喜・松平春嶽の登用問題と勅使大原重徳東下」「幕政改革問題」「長井雅楽」■守護職日誌文久2 ■薩摩藩日誌文久2 ■越前藩日誌文久2 ■長州藩日誌文久2 

【文久3年】
◆3/14(5.1)【京】薩摩藩国父・島津久光入京、14か条の建議/親兵(5)幕府に親兵設置督促・江戸防衛のため政事総裁職松平春嶽帰府・水戸藩主徳川慶篤滞京の朝命
◆◇3/15(5.2)【京】政令帰一(8)春嶽、大政奉還を老中に説く/春嶽辞任(6)辞職を再願/将軍東帰(4)外国奉行並柴田貞太郎、将軍帰府を促す/浪士対策(21)&壬生浪士(3)残留浪士、正式に会津藩預に・(会津藩家老の書簡)/長州藩世子毛利定広、高杉晋作に10年の暇を言い渡す
◆◇3/16(5.3)【京】将軍東帰(5)幕府、将軍の21出立を内決/浪士対策&壬生浪士(4)容保、近藤らを謁見。「奸物誅戮」の内意/取締役並出役速見又四郎、長州藩士某の清河八郎宛密書を入手
◆3/17(5.4)【京】将軍東帰(6)幕府の将軍東帰奏請/容保、将軍滞京の意見書を大目付岡部長常に/容堂、春嶽に帰国の挨拶/毛利定広、退京して兵庫へ。朝廷に帰国を請願
◆3/18(5.5)【京】将軍東帰(7)将軍東帰抑留&大坂で生麦事件交渉の沙汰/親兵(6)設置の幕命/久光退京/春嶽辞任(7)越前藩、幕府に解職の沙汰を待たずに帰国の方針を告げる/石清水行幸(2)行幸の沙汰/
◆3/19(5.6)【京】将軍東帰(8)孝明天皇の親勅により、東帰中止。戦争は好まずとの直喩。また、摂海攘夷指揮の勅は偽勅と判明
◆3/20(5.7)【京】生麦賠償(13)慶喜、償金支払の沙汰書を求める/激派公卿中山忠光、京都を出奔
◆3/21(5.8)【京】将軍東帰(9)慶喜&老中、将軍東帰の再願/春嶽辞任(8)総裁職辞任届け捨てのまま離京
◆◇3/22(5.9)【京】将軍東帰(10)将軍滞京の三度目の勅&将軍東帰を中止/会津藩・水戸藩・尾張藩、将軍東帰を極諌/長州藩、摂海戦守御備12か条提出/生麦賠償(14)水戸藩に東帰・攘夷戦争指揮の朝命/芹沢・近藤ら残留浪士、老中板倉勝静に将軍滞京の直訴(&諸藩の東帰・償金支払のスタンスの表)
◆3/23(5.10)【京】生麦賠償(15)幕府、水戸藩に東帰・外国処置委任を達し、家老大場一真斎に慶篤に随従して帰府し、江戸警衛に当るよう命じる/容保、老中に、水戸藩に全権委任するようにとの意見書を提出
◆3/24(5.11)【京】生麦賠償(16)慶篤参内。将軍目代として攘夷を成功させるようにとの沙汰/慶喜、大場一真斎に無謀の攘夷はせぬよう達す/老中格小笠原長行、東帰のため退京。/朝廷、長州藩世子定広に帰国を許可
◆◇3/25(5.12)【京】生麦賠償(17)将軍目代水戸藩主徳川慶篤、江戸に向うため退京/壬生浪士、殿内義雄、殺害/【越】春嶽、福井に到着
◆3/26(5.13)【京】幕府、春嶽の総裁職罷免・逼塞処分/山内容堂、退京
◆3/27(5.14)【京】石清水行幸(3)将軍に供奉の沙汰/生麦賠償(18)外国奉行竹本甲斐守、着京。英国の態度軟化を告げる/伊達宗城、退京
◆3/28(5.15)【京】石清水行幸(4)町奉行永井尚志、冗費を省くよう布達/【江】浪士組、江戸に到着
◆3/29(5.16)【京】容保、八幡・山崎に関門修築の意見書を提出/幕府、清水家附420名を守護職配下に。
◆3/30(5.17)【京】幕府、長州藩の兵庫守衛を免除&諸藩の京都警衛場所を定める
◆4/1(5.18)【京】会津藩公用方大野英馬、高松保実に朝廷内情の報知を依頼
◆◇4/2(5.19)【京】将軍参内。中川宮、容保に将軍警護の必要を告げる/石清水行幸(5)慶喜、中川宮に石清水行幸を諌止/残留浪士、大阪豪商で押借り?/【江】町奉行所、浪士取締役山岡鉄舟に浪士組厳重取締を求める。
◆4/3(5.20)【京】親兵設置(7)三条実美、京都御守衛御用掛就任/幕府、同年の京都守衛諸侯及び警衛担当時期を通達/諸大名の参勤は京都・江戸折半にするようにとの朝旨/長州藩世子毛利定広、帰国の挨拶に二条城に。将軍家茂に摂海防禦指揮を進言し、対馬防禦のための軍艦兵器の貸付を求める/幕府、攘夷期限を4/23と奏聞
◇4/4(5.21)【京】残留浪士、精忠浪士と記される(新選組の「誠忠」は?&伊東」の号「誠斎」)
◆4/5(5.22)【京】石清水行幸(6)慶喜、鷹司関白に石清水行幸を諌止
◆4/6(5.23)【京】石清水行幸(7)長州藩、石清水行幸中止に反対/石清水行幸時の心得が発表される/【江】生麦賠償(18)老中格小笠原、江戸到着
◆◇4/7(5.24)【京】長州藩世子定広、参内。帰国の勅/【江】京都の老中板倉勝静から浪士組取締役並出役速見又四郎(講武所教授)らに清河暗殺の密命が届く
◆4/9(5.26)【京】石清水行幸(8)二条城に石清水行幸に変事を示唆する張り紙/容保、将軍供奉とりやめを諌止/清河ら、偽浪士を捕縛。鳩首。
◆◇4/10(5.27)【京】石清水行幸(9)孝明天皇、行幸延期を希望するが容れられず/将軍家茂、発熱を理由に供奉辞退/残留浪士芹沢と土方らの志の差が問題化/【長】高杉晋作(東行)、京都から萩に到着。松本に隠棲。
◆4/11(5.28)【京】石清水行幸/生麦賠償(19)水戸藩主徳川慶篤、江戸到着
◆4/13(5.30)【江】江戸で清河八郎暗殺 

関連■開国開城「天誅と幕府/守護職の浪士対策」「将軍家茂入京-大政委任問題と公武合体策の完全蹉跌」「賀茂・石清水行幸と長州藩の攘夷戦争」「幕府の生麦償金交付と老中格小笠原長行の率兵上京」■テーマ別文久3年「浪士対策」「攘夷期限」「政令帰一(大政委任か大政奉還か)問題」「攘夷親征」「親兵設置問題」「生麦事件賠償問題と第1次将軍東帰問題」「第2次将軍東帰問題と小笠原の率兵上京」■幕末誌文久3守護職日誌文久3 ■越前藩日誌文久3 ■長州藩日誌文久3薩摩藩日誌文久3  ■徳川慶喜日誌文久3

元治元年
◆元治元年3/26(1864.5.1)【京】総督・指揮:薩摩藩士、宗城に対し、中川宮が慶喜に事前に情報を漏らした結果、慶喜が京都・大阪両地を懇願した伝える/春嶽の守護職辞任:越前藩、中川宮・近衛前関白らに辞職許容を入説。中川宮、慶喜への懸念を理由に春嶽の留任を求める/朝議、会・越両藩に守護職の結論
◆3/27(5.2)【京】総督・指揮:幕吏、慶喜の禁裏守衛総督・摂海防御指揮の沙汰に大不平/春嶽の守護職辞任:慶喜、春嶽に辞職再考を促すが、春嶽は「覆水盆に復らず」と返答/【天狗党】筑波挙兵/
◆3/28(5.3)【京】春嶽の守護職辞任:中川宮、春嶽の留任を断念。代わりに滞京を強く求める。【京】容保の守護職再任:会津藩、幕府に対し、容保の病を理由に守護職再任辞退の願書提出(実は慶喜の総督就任にに対する不安)/諸侯帰国:長岡良之助、宗城訪問。帰国(緊急時上京)を相談。宗城、同意。/将軍家茂、近侍を派遣して宗城・久光に物を賜う/宗城・久光、中川宮邸集会【長州藩】藩主毛利敬親、家老・末家の入京を朝幕に請う。また、三条実美らの復職・藩主父子いずれかの上京を朝廷に請う。【外国】横浜鎖港交渉使節、ナポレオン三世に謁する。
◆3/29(5.4)【京】春嶽の守護職辞任:藩士中根雪江、酒井十之丞を議奏正親町三条実愛に遣わし、辞職許容を入説【長州】高杉晋作、脱藩の罪により家禄没収・投獄される
◆3/30(5.5)【京】 総督・指揮:慶喜、旧参与諸侯(春嶽・宗城・久光)に呼びかけ、越前藩邸で摂海砲台築造の諸侯負担について議す【京】春嶽の守護職辞任:宗城、慶喜に対し、春嶽の辞職後は非常時上京が適切と主張。慶喜、同意
◆4/1(4.5.6)【京】春嶽の守護職辞任:慶喜に書面を以て速やかな辞職の周旋を求める
◆4/2(5.7)【京】諸侯帰国:春嶽、中川宮に諸侯帰国の際は勅諭遵奉を諭すよう上言/【京】諸侯帰国:宗城・久光・長良、5日に二条関白邸に同道・帰国願いを決定
◆4/3(5.8)【京】 総督・指揮:慶喜、水戸藩執政武田耕雲斎に上京助力を依頼/佐久間象山を海陸御備向掛手付御雇に登用【京】春嶽の守護職辞任:中根雪江、朝廷有力者をめぐり、速やかな解任を請う/慶喜、書を以て春嶽に辞職後の日々登城を要請/【京】諸侯帰国:阿波藩主蜂須賀斉裕、筑前藩世子黒田慶賛(長知)、津藩世子藤堂高潔、帰国の挨拶に参内。【京】長州処分:朝廷、慶賛に長州藩の恭順説得の沙汰を下す。【天狗党】筑波勢、日光を目指して出立
◆4/4(5.9)【京】春嶽の守護職辞任&容保の再任:久光、春嶽の辞任許容+容保の任命(軍事総裁職罷免)の情報得る/横浜鎖港問題:筑前藩世子黒田、退京。幕府に攘夷期限の決定を建言【天狗党】水戸藩主徳川慶篤、藩士を老中板倉勝静に遣わし、鎖港の幕議決定を入説/
◆4/5(5.10)【京】春嶽の守護職辞任:慶喜、春嶽に辞任許容の朝議を報せる/諸侯帰国:宗城・久光・長岡良之助、朝廷に帰国許可を内請 【長州藩】敬親、朝幕に外国艦来襲時の先制攻撃を請う。幕府、却下。
◆4/6(5.11) 【京】春嶽の辞職:慶喜、春嶽に守護職解免&非常時上京の沙汰書案提示&辞職後の日々登城要請【京】諸侯帰国:春嶽、慶喜に宗城の官位昇進を提案【京】正三位大原重徳、攘夷決行の督促による人心帰一を建白【天狗党】天狗党、宇都宮藩家老と面談、日光東照宮廟前の誓願斡旋を乞う。
◆4/7(5.12)【京】春嶽、守護職解任&容保に京都守護職復職の幕命/容保、守護職辞表提出(1)/【京】会津藩士広沢安任、宗城に謁し、庶政委任の要を説き、建議を請う/水戸藩士勝野大助、越前藩中根雪江に攘夷を説く/所司代稲葉正邦、山陵奉行は幕府の指揮を受けさせたいと武家伝奏に伝える【天狗党】幕府、関東諸藩に天狗党警戒を命ず。
◆4/8(5.13)【京】朝廷、春嶽・久光・宗城、池田茂政、長岡良之助の帰国を許可/水戸藩梅沢孫太郎・原市之進、慶喜の用人見習に【江】横浜鎖港:留守老中、天狗党筑波挙兵を京都に報告。水戸藩主徳川慶篤、武田耕雲斎と登城。横浜鎖港断行を建言。【薩摩藩】長崎にて汽船翔鳳丸(英国船)購入
◆4/9(5.14)【京】長使入京問題:慶喜、長州藩主父子に書を送り、朝命に従い使者を東上させるよう勧告【京】朝廷、令して、非常時の参内の仕方、及び御所九門・六門の警備担当を定める/【天狗党】田丸稲之右衛門・藤田小四郎ら、檄文を飛ばし、同志を募る。また、老中に上書。
◆4/10(5.15) 【京】旧参豫帰国:春嶽・宗城ら、将軍に暇を告げる/宗城、従四位。【京】近衛邸に春嶽・宗城・久光ら参集。近衛邸に春嶽・宗城・久光ら参集。議奏の急速鎖港主張、長州藩の藩主父子の上京願・七卿帰京復職要請を議す【江】横浜鎖港:留守老中、在京老中に書を送り、水戸藩の上奏を採用せぬよう要請/水戸藩、天狗党説得のため、側用人美濃部、目付山国国兵部らを派遣
◆4/11(5.16)【京】所司代稲葉正邦の老中任命&桑名藩主松平定敬の所司代任命/会津藩家老横山・神保、老中水野に守護職辞表提出(2) /旧参豫帰国:伊達宗城退京。/春嶽ら参内。官位昇進/中川宮・久光弾劾の投書【江】英国公使オルコック、老中らに横浜鎖港は承諾しがたいと回答。/慶篤、幕府に対し、攘夷の幕議決定を迫る。藩士野村を京に派遣。【天狗争乱】田中愿蔵一派、宇都宮の商家を脅して尊攘軍の資金と称して金銭を強奪
◆4/12(5.17)【京】備前藩主池田茂政退京。/総督・指揮:佐久間象山、慶喜に謁し、建策/【江】横浜鎖港:留守老中、京への書にて、水戸藩の鎖港断行の建議を採用せぬよう重ねて要請。/
◆4/13(5.18)【京】旧参豫の帰国:春嶽、慶喜に対し、自分及び久光の退京には別に仔細なしと説明/庶政委任:天皇、二条関白らに将軍への庶政委任を諮問。異議なし /【天狗争乱】水戸藩側用人美濃部又五郎・目付山国兵部等、宇都宮藩家老縣勇紀と面会。【長州藩】毛利敬親、家老らを因幡・津和野・備前に派遣し、攘夷応援を依頼し、1月27日の勅諚に関する藩論を質させる。/敬親、藩士宍戸左馬之介を大坂に派遣。浪士渕上郁太郎、上京。
◆4/14(5.19)【京】容保再任:幕府、容保の守護職辞表却下。病が快癒すれば出勤するよう命じる/将軍、水戸藩主徳川慶篤弟(余八麿)を会津藩主松平容保の継嗣とする仲介を前尾張藩主徳川慶勝に求める/【天狗争乱】水戸支藩宍戸藩主松平頼徳、書を慶喜に送り、鎖港攘夷断行を求める。
◆4/15(5.20)【京】容保再任:将軍、容保に病気見舞いの使者を派遣して親書を与える。/所司代松平定敬、朝廷に対し、今後、議奏の人員を増加せぬよう建議/肥後藩主・弟、長岡良之助退京【長州藩】藩士野村靖、吉田稔麿京から帰国。
◆4/16(5.21)【京】庶政委任:慶喜ら連署して、庶政委任を含む尊奉18か条及び供御15万俵増貢を奏聞(&朝廷の回答)【江】横浜鎖港:老中牧野忠恭・板倉勝静ら、新任仏国公使ロッシュを引見。横浜鎖港のやむを得ぬ事情を説明。
◆4/17(5.22)【京】庶政委任:二条関白・中川宮、春嶽に対し、庶政委任の見込みだと語る/一橋家臣平岡円四郎、越前藩士中根雪江に対し、鎖港交渉不首尾の場合、朝廷がなお攘夷を迫れば軍職を返上すべきだと語る【江】横浜鎖港:水戸藩主徳川慶篤、慶喜・二条関白に横浜鎖港(休港)の意見書を認め、家老岡部忠蔵に上京・周旋を命じる。幕府、京都に通報して水戸藩の「策」に備えさせる 【京】長州藩京都留守居乃美織江、桂小五郎を伴い、議奏正親町三条実愛に謁し、攘夷親征の朝議回復を議す/幕府、薩摩藩士小松帯刀・高崎猪太郎・高崎左太郎を賞す
◆4/18(5.23)【京】容保再任:容保、守護職辞表提出(2)【京】旧参豫帰国:島津久光退京/幕府、越前藩士・会津藩士を賞す/軍艦奉行並勝海舟帰京。将軍家茂に謁す。/浪士、中川宮の諸大夫武田相模守宅を襲撃。母・従士を殺害。
◆4/19(5.24)【京】幕府、禁裏守衛総督・守護職・所司代に市中巡邏・警衛を命じる。/旧参豫帰国:松平春嶽退京【坂】長州東上:長州藩士木島又兵衛・桂小五郎・寺島忠三郎・久坂玄瑞ら大坂藩邸に参集。世子毛利定広の率兵上京を議す/【江】横浜鎖港:水戸藩家老岡部忠蔵、朝幕への横浜鎖港断行の入説のために出立
◆4/20(5.25) 【京】庶政委任:幕府への庶政委任(政令帰一)の勅書及び重要事項四条(横浜鎖港・海岸防御・長州処分・物価安定)に関する勅書(別紙)(「無謀之攘夷は不可)。同時に、朝廷尊奉18か条の奏聞への沙汰も【京】容保再任:幕府、容保の守護職辞表を再度却下
◆4/21(5.26)【京】中川宮、国事扶助を辞退
◆4/22(5.27【京】容保再任:容保、守護職の請書提出/将軍家茂、直書を諸有司に見せて、物価低落の方策を立てさせる)
◆4/23(5.28)【京】一橋家臣平岡円四郎、越前藩中根雪江に将軍東帰の見込みを話す。 中根から市中潜伏の「暴人」決起に対する警備体制を問われると茫然として老中に言上すると述べる
◆4/24(5.29)【京】春嶽、中川宮・近衛前関白・慶喜らに書を送る/越前藩中根雪江、常陸宮に対し、外国対策から「事の破れ」を惹起するだろうと述べる。常陸宮、中根に佐久間象山から外国事情をきいたと話す/幕府、市中警備徹底の町触れを出す
◆4/25(5.30)【京】横浜鎖港:朝廷内の三港閉鎖論について、一橋家臣黒川嘉兵衛、中川宮を訪ね、庶政委任による幕府の職権断行か軍職返上のいずれしかないと迫る/前関白近衛忠煕及内大臣近衛忠房、国事用掛を辞退。/【江】英国特派全権公使オールコック・仏国全権公使ロッシュ・米国弁理公使プリュイン・蘭国総領事ファン・ポルスブルック、協議して、下関通航及横浜鎖港に関する覚書を作成し、幕府に同文通牒を発す。 
◆4/26(5.31)【京】佐久間象山、中根雪絵に、開国説等の時勢を談じる【江】幕府、京都見廻役新設を通達。 

関連:■開国開城「参豫の幕政参加・横浜鎖港・長州処分問題と参豫会議の崩壊」慶喜の禁裏守衛総督就任と庶政(大政)委任の再確認」■幕末日誌元治1 ■テーマ別元治1 「横浜鎖港問題(元治1)」 「長州・七卿処分問題(元治1)」 「慶喜vs幕閣」 、「会津藩の守護職更迭問題・春嶽の守護職就任問題「慶喜の後見職辞職/総督・指揮職就任」旧参豫・諸侯の帰国」■庶政委任 「御所九門・六門警備」 長州藩の東上(進発vs慎重論) 水戸藩/天狗諸生争乱守護職日誌元治1 ■越前藩日誌元治1薩摩藩日誌元治1  ■徳川慶喜日誌元治1  ■長州藩日誌元治1


慶応元年(1865年)
◆慶応元年4月7日(1865.5.1):慶応元年に改元
◆4月8日(5.2):容保病状回復・参内。井深を東下させ、将軍上洛を促す。
◆4月18日5.12):征長宣戦の令
◆4月22日(5.16):公用人外島帰京。老中の返答。
◇4月27(5.21) 大阪市中、新選組に大めいわく 土方ら江戸出立。
◆4月28日(5.22):朝議で警衛のため諸藩召集説起こるが一会桑の反対でやむ。容保召されて参内。病状回復を祝われる
◆4月30日(5.24):越前春嶽征長反対の建白
◆5月6日(5.30):幕府目付由比図書・会津藩公用人外島、江戸老中と将軍上洛について面談。入朝問題に容保の尽力を乞われる。

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