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☆京都のお天気:双天。夜同断(『幕末維新京都町人日記』) 【越前】元治元年4月24日、帰国した前越前藩主松平春嶽は、中川宮に書簡を送り、朝廷が禁裏守衛総督の一橋慶喜を依頼して万事相談すること、中川宮自身も慶喜と「熟和」することを頼みました。 春嶽は前23日に福井に到着したばかりです。どの書簡も、その報告と在京中のお礼等の儀礼的内容が含まれています。その他の内容は以下に要約するとおり。
<ヒロ> 中川宮へは慶喜のことについてあれこれお願いしている(根回ししている)のに、慶喜にはほとんど何も書いていないところが面白いです。そんなに気になるんなら、覆水盆に返らずなんていわずに、京都に留まって支えればいいのに・・・って感じですが、それができないから、盆に返らずなんでしょうけど・・・。 参考:『続再夢紀事』ニp119-124(2010/12/11) 【京】同日、越前藩士中根雪江が山階宮を訪ねたところ、<国事の相談を辞退したので何事も耳に入らず、今後の形勢はどうなるかと空しく案じているが、中根はどうか?>と尋ねられたそうです。中根が<今後、「外国の御処置方より事の破れを惹き起す」でしょう>と答えたところ、常陸宮は<如何にもその通りになるだろう。外国の事情は、最近、佐久間修理(象山)からも詳しく承ったところである>と言ったそうです。 参考:『続再夢紀事』ニp119(2010/12/11) 【京】同日、幕府は、市中警備徹底の町触れを出しました <ヒロ> 前23日に、中根雪江が平岡円四郎に市中における「暴人」の「突起」について注意を促しており、驚いた平岡は早速老中に言上するといっていました(こちら)。もしかすると、このことが、この日の町ぶれにつながってるんでしょうか? 参考:『近世野史』第ニ篇巻ニ(2010/12/11) |
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