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元治1年4月24日(1864年5月29日)
【越前】春嶽、中川宮・近衛前関白・慶喜らに書を送る
【京】越前藩中根雪江、常陸宮に対し、外国対策が「事の破れ」を惹起するだろうと述べる
【京】幕府、市中警備徹底の町触れを出す

☆京都のお天気:双天。夜同断(『幕末維新京都町人日記』)

【越前】元治元年4月24日、帰国した前越前藩主松平春嶽は、中川宮に書簡を送り、朝廷が禁裏守衛総督の一橋慶喜を依頼して万事相談すること、中川宮自身も慶喜と「熟和」することを頼みました。

春嶽は前23日に福井に到着したばかりです。どの書簡も、その報告と在京中のお礼等の儀礼的内容が含まれています。その他の内容は以下に要約するとおり。

中川宮への書簡 ○京都の最近の事情はどうなっているのか、幕府は十分に「尊奉之筋」を立てているか、長州の件はどうなっているか、案ぜられるので、面倒でも、時間のあるときに報せてほしい。
○朝廷が、一橋中納言を依頼し、万事相談するよう、願いたい。「万一、外様ニは御異論有之候とも、宮に於てハ決而御粗略之筋被遊為在候得共、毎度、御御招等被為在、御熟和之程、伏而奉願上候」。
○「中納言儀、是非長く滞京不仕候而は難相成候故」、江戸から女共を呼び寄せるようにしたい。この件は老中も同意しているが、宮ならびに前殿下等からが中納言に沙汰を下してはどうか。
○将軍東帰後は、老中一人ずつ京都へ残す件を、陽明家へ申し上げるのを忘れてしまったので、今便で申し上げることにした。
山階宮への書簡 ○当節の事情を閑暇のあるときにでも報せてほしい。
近衛前関白 (追伸にて)
○将軍東帰後は、老中一人を当分でも京都に残すよう、将軍に命じられてはどうか。ご検討願いたい。
慶喜(「剛情公」)への書簡 ○今後も懇意にしていただき、時々、京都の事情で差し支えないことは報せてほしい。委細は今後の便にて。
(管理人は素人なので絶対に資料として使わないでね。適宜、原文にあたってください)

<ヒロ>
中川宮へは慶喜のことについてあれこれお願いしている(根回ししている)のに、慶喜にはほとんど何も書いていないところが面白いです。そんなに気になるんなら、覆水盆に返らずなんていわずに、京都に留まって支えればいいのに・・・って感じですが、それができないから、盆に返らずなんでしょうけど・・・。

参考:『続再夢紀事』ニp119-124(2010/12/11)

【京】同日、越前藩士中根雪江が山階宮を訪ねたところ、<国事の相談を辞退したので何事も耳に入らず、今後の形勢はどうなるかと空しく案じているが、中根はどうか?>と尋ねられたそうです。中根が<今後、「外国の御処置方より事の破れを惹き起す」でしょう>と答えたところ、常陸宮は<如何にもその通りになるだろう。外国の事情は、最近、佐久間修理(象山)からも詳しく承ったところである>と言ったそうです。

参考:『続再夢紀事』ニp119(2010/12/11)

【京】同日、幕府は、市中警備徹底の町触れを出しました

<ヒロ>
前23日に、中根雪江が平岡円四郎に市中における「暴人」の「突起」について注意を促しており、驚いた平岡は早速老中に言上するといっていました(こちら)。もしかすると、このことが、この日の町ぶれにつながってるんでしょうか?

参考:『近世野史』第ニ篇巻ニ(2010/12/11)

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