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元治1年6月9日(1864年7月12日)
【京】長州藩、池田屋事件について一橋慶喜に抗議
【京】一慶喜、前越前藩主松平春嶽に池田屋事件を報知。
【天狗・諸生】幕府、川越以下11藩に天狗党追討の出兵を命ず

☆京都のお天気:双天(『幕末維新京都町人日記』)
■池田屋事件後
【京】元治元年6月9日(7月12日)、長州藩留守居役の乃美織絵は禁裏守衛総督一橋慶喜に抗議をしました。

<尊王攘夷の志をいだいていた浪士を奸賊同様に無残に捕縛したのは、彦根、会津、そのほか一橋卿からお指図されたようすでが、みだりに旅館などに乱入し、さらに一言も糾問することなく斬殺したといいます。我が藩においても兼ねてから姓名を申し立てておいた者が捕縛され、また不意に斬殺され、いまだ行方不明もおります。いったいどういう御不審があってのことなのか、逐一訳をお聞かせくださるようお願いいたします>

参考:『甲子雑録』(2000.7.12)
関連:■テーマ別元治1「池田屋事件〜禁門の変

***
【京】元治元年6月9日、慶喜は前越前藩主松平春嶽に池田屋事件を報せました。(「剛」より「鋭鼻公」へ)

要点はこんな感じ
ご帰国後、当地に変わりない。しかし、「諸々入説」があるためか、堂上に「暴論」があり、「兎角御委任不宣との議論」が起こって、「殿下」(二条関白、中川宮)等は申すまでもなく、自分らも「深く心配」し、密かにあれこれ協議していた。
去る5日、升屋某(=古高俊太郎)と申す者に「不容易企」がある様子なので、新選組が捕縛して取り調べたところ、「木砲・火薬・玉等所持、諸々往復之書簡も有之、風便を待、御所を焼払可申、同類之者、五六十人有之趣」を白状したので、速やかに捕縛したいと、会・桑両藩が申し出たため、即日捕縛を指図し、「検見」(検分?)のために家来を派遣した。二十人ほど捕縛したが、5,6名は手に余ったので斬り捨てた。委細は取り調べの上、後便にて。
(6月9日付鋭鼻公宛剛書簡)

参考:『続再夢紀事』三p155-156(2012.4.6)

■御所警備
【京】薩摩藩京都留守居役の内田仲之助(政風)は、藩兵の非常警守部署として「乾門内近衛邸門附近」を建言しました。 (『維新史料綱要』五)

■天狗・諸生の乱
【江】元治元年6月9日、幕府は、川越以下11藩に天狗党追討の出兵を命じました。(『維新史料綱要』五)

関連:■テーマ別元治1 「水戸藩/天狗・諸生争乱
【京】同日、薩摩藩京都留守居役の内田仲之助(政風)、藩兵の非常警守部署として「乾門内近衛邸門附近」を建言(綱要五)
※一説によると富山弥兵衛は内田政風の家来だったとか・・・

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