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7月2日の動き(『綱要』五) 【京】横浜鎖港問題:長州嘆願への対応に関する朝議。 【長】長州入京:藩主毛利敬親、世子定広東上期日を藩内に布告。 ☆京都のお天気:晴天、極暑 (『幕末維新京都町人日記』) ■長州入京問題 >朝廷の動き 【京】 元治1年7月3日、参内した禁裏守衛総督一橋慶喜に対し、京都周辺に布陣する長州藩兵の帰国ならびに手順を踏んだ出願を説得せよとの勅諚が下りました。 (勅諚のてきとう訳)
<ヒロ> 慶喜は、去る6月29日、伏見に使者を派遣して、長州藩に朝旨を伝えて撤兵を説得させましたが、これらを矯勅(幕府が天皇の真意を矯げて出させた命令)とする長州藩に対して効果はありませんでした(一度目の撤兵説得)(こちら)。『維新史料綱要』によると、前2日に朝議が開かれたとうので、その結果、今度は勅諚という確かな形で撤兵を命じたのかもしれません。(慶喜が要請した可能性もあり?) ※日付は『孝明天皇と一会桑』より。(『維新史』ではこの勅諚6月29日に出たとされているものの、同じ日に、一方で慶喜に万事委任し、他方で具体的な指示を出しているのがちょっと謎でした。さらに、同書では7月3日にも朝命が出たように記されており、『防長回天史』でも勅諚を受領したのは同月4日とされているので、3日の出来事として移動しました) >在京幕府の動き 【京】元治元年7月3日、禁裏守衛総督一橋慶喜は、朝命に基づく長州撤兵勧告のために大小監察(永井尚志・戸川鉾三郎)を伏見に派遣し、長州藩家老福原越後を奉行所に呼びださせました。 しかし、福原は、病と称して出頭を翌4日に延期しました。 参考:『防長回天史』六一八(2018/2/9) 関連:「テーマ別元治1」■池田屋事件、長州入京問題、禁門の変 同日の動き(『綱要』五) 【京】長州入京:加賀藩世子、藩士を老中稲葉正邦に遣し、長州処分寛大を説かせる 【京】横浜鎖港:朝廷、水戸藩主徳川慶篤に松平直克の総裁職罷免(6/22)を詰問・鎖港断行を促す書を下す 【江】横浜鎖港:会津藩士大野英馬、老中水野忠精らに謁し、関白二条斉敬の横浜鎖港断行の内命・前政事総裁職松平直克・前老中板倉勝静の復職を説く 【天狗・諸生】筑波天狗党本隊、田中源蔵を除名 |