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■勅使大原との会見(勅使11か条の要求) 【江】文久2年7月23日、勅使大原重徳は、招きに応じて訪問した一橋慶喜と松平春嶽に対して、11か条の要求を示しました。このとき、島津久光も陪席しました。勅使の伝えた11か条、及び慶喜の回答は以下に要約するとおり。
このあと、慶喜は、幕政改革の方針として、弊政を改め、万民を安んじ、武備を強化し、海軍を振興すること等を述べ、さらに「今後とも至当の儀は速やかに遵奉すべければ、思召次第仰出されたし、されど時勢に於て行はれ難き不条理なる儀はたとひ叡慮を以て仰下されたる事なりとも、御請けに及び難き故に、予め御断り申上げ置く」と釘をさしました。 幕府では、会見で勅使の出した要求は薩摩藩の意見であるとし、大原を薩摩藩の傀儡視して、薩摩藩への嫌悪がいやましたといいます。 参考:『徳川慶喜公伝』・『維新史』(2001.8.18、2003.10.24) 関連■テーマ別文久2「勅使11ヶ条の要求」 ■公武合体派排斥・「天誅」 【京】文久2年7月23日、3日前に暗殺された島田左近の首が四条河原に晒されました。 島田左近は安政の大獄時の関白九条尚忠(辞任)の家臣です。捨札には、「大逆賊長野主膳え同服(同腹)いたし、不謂奸曲を相巧、天地ニ不可容大賊也」とされていました。暗殺犯は、薩摩藩激派の藤井良節らに示唆された田中新兵衛・鵜木孫兵衛・志々目献吉だといわれています。 参考>『徳川慶喜公伝』・『維新史』(2001.8.18) 関連■テーマ別文久2「公武合体派排斥・「天誅」」 |
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