幕末京都日誌(過去ログ整理) 事件開国開城(マクロな歴史 HP内検索  HPトップ

★文久2年春の島津久光率兵上京(こちら)〜慶応4年春江戸開城までの幕末政治(と衛士)の々の動きを1日ずつ?追っかけ中。(和暦は月の満ち欠けに呼応し、たとえば15日は満月となります)
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「8月の幕末京都&志士詩歌」

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 『志士詩歌集』(昭和17)等

8月の幕末京都の過去ログリスト (全体の過去ログは幕末京都日誌に整理)

↓文久2(1862) 文久3(1863) 元治1(1864) 元治2(1865) (◆幕末関連 ◇御陵衛士(浪士組・新選組)関連)
文久2年(1862)
◆7/6(1862.8.1)【江】慶喜、一橋家再相続。将軍より、将軍後見職就任の直命/長州藩、藩論を攘夷に転換/横井小楠、江戸到着
◆7/7(8.2)【江】慶喜、松平春嶽に政事総裁職就任を勧告/小楠、春嶽に登城を進言/島津久光、老中に幕政改革の建白書を提出
◆7/8(8.3)【江】小楠・中根雪江、大久保一翁(忠寛)訪問。一翁、小楠の三策に感服
◆7/9(8.4)【江】春嶽、政事総裁職就任/勅使との会見(1)勅使大原重徳、慶喜・春嶽を会見に招請
◆7/10(8.5)【江】大赦(1)春嶽、大赦を主張。慶喜は同意せず/春嶽、新所司代本庄宗秀の意見をきく
◆7/11(8.6)【江】大赦(2)大赦問題を再び議す/幕府、本庄と京都警衛について協議
◆7/12(8.7)【江】大赦(3)慶喜・老中、大赦に同意/勅使大原、春嶽に新所司代本庄の更迭を示唆/【京】土佐藩主山内豊範大坂着
◆7/13(8.8)【京】毛利敬親、長井雅楽の建白書却下&国事周旋の勅許を請う
◆7/14(8.9)高杉晋作、上海から長崎到着
◆7/16(8.11)【江】勅使との会見(2)久光陪席をめぐって会見中止/【京】長州藩に謗詞事件氷解&国事周旋の沙汰
◆7/18(8.13)【江】勅使との会見(3)大原、老中抜きの会見を要求/長州藩小幡彦七、新所司代本庄就任に関する京都の不穏を伝える/本間精一郎、岩倉具視ら「四奸ニ嬪」排斥を主張/本間精一郎・藤井良節、朝廷の「奸物」暗殺を示唆
◆7/19(8.14)【江】勅使との会見(4)大原、登城の上の伝宣を承諾。
◆7/20(8.15)【江】勅使との会見(5)大原、帰京の申し出/大赦(4)将軍家茂、大赦を裁可/【京】敬親、三事策に関する疑義を陳述/薩摩藩田中新兵衛、島田左近暗殺
◆7/21(8.16)【江】勅使との会見(6)慶喜、23日の勅使との会見(久光陪席)を了承/守護職就任(1)本庄に代え、容保に上京をとの幕議/
◆7/23(8.18)【江】勅使との会見(7)久光陪席。勅使11か条の要求を伝達。/【京】長州藩に二事の朝旨/島田左近の首が晒される
◆7/24(8.19)【京】長州藩主毛利敬親、藩内に諭達/公武合体派岩倉具視・千種有文・富小路敬直、近習辞表を提出。
◆7/26(8.21)【江】守護職就任(2)会津藩と越前藩の会盟
◆7/27(8.22)【江】守護職就任(3)幕府、京都守護職設置を決定/【京】長州藩主父子に滞京・東下周旋の朝命。世子定広の東下に決まる。
◆7/28(8.23)【江】守護職就任(4)松平春嶽、会津藩家老横山主税を呼び出し、京都守護職内命を伝える/【京】孝明天皇、岩倉・千種・富小路(公武合体派)の近習を免ず。
◆7/29(8.24)【江】守護職就任(5)会津藩、内命を固辞
◆8/2(8.26)【江】守護職就任(6)会津藩(留守居役?)野村左兵衛、越前藩士中根雪江らを招いて懇談/【京】奉勅東下(1)長州藩世子毛利定広に東下周旋&幕府に大赦の沙汰/長州藩、6か条の質疑書/ 久坂玄瑞の「廻瀾條議」
◆8/3(8.27)【京】奉勅東下(2)世子定広、奉勅東下の途に
◆8/6(8.30)【江】守護職就任(7)中根雪江、春嶽の使者として会藩家老横山主税宅訪問。守護職就任を説く。
◆8/7(8.31)【江】幕府、朝廷に対して従来の失政を謝し、新政を行うことを奏する。/守護職就任(8)幕府、永井尚志を京都町奉行に任命

関連■「開国開城」「勅使大原重徳東下と文久2年の幕政改革「長州藩論一転・破約攘夷へ」■テーマ別文久2「一橋慶喜・松平春嶽の登用問題と勅使大原重徳東下」「安政大獄関係者の大赦と処罰」「京都所司代人事」「松平容保の守護職就任」「長州藩世子毛利定広奉勅東下「公武合体派排斥・「天誅」 「横井小楠」「幕政改革」■守護職事件簿「文久の幕政改革と京都守護職拝命 」■守護職日誌文久2 ■薩摩藩日誌文久2 ■越前藩日誌文久2 ■長州藩日誌文久2 

文久3年(1863)
◆文久3,6/17(1863.8.1)【京】松平容保・徳川慶勝、相談し攘夷布告を促す建議
◆6/18(8.2)【小倉】小倉藩侵攻(2)長州藩、攘夷戦争に加勢しなかった小倉藩を侵攻/【京】朝廷、列藩に対し、無二念打払の沙汰
◆6/19(8.3)【京】長州藩主召命の見合わせの沙汰
◆6/21(8.5)【京】徳川慶勝帰国。京都における守護職の孤立/朝廷、慶喜の後見職辞表を却下【京】挙藩上京(9)村田巳三郎(氏寿)、薩摩藩士吉井幸輔・越前藩牧野主殿介・肥後藩士沼田勘解由を訪問。*【京】久坂、村田次郎三郎・中村九郎と協議。三条実美に諸藩を攘夷に参加させるよう請う。
◆6/22(8.6)【京】会津藩、幕府に非常時の全権等を要請。/薩英戦争(1)英国代理公使ニール、艦隊を率いて横浜を出港
◆6/23(8.7)【京】木像鳩首犯の罪科が定まる/挙藩上京(10)真木和泉、桂に越前藩挙藩上京阻止を相談
◆6/24(8.8)【江】慶喜辞任(4)一橋慶喜、薩長処分の意見が容れられず3度目度の後見職辞表提出
◆6/25(8.9)【京】将軍譴責&尊攘激派による容保東下運動(1)容保に「東下&攘夷の叡慮伝達」の勅命(偽勅)
◆6/26(8.10)【京】攘夷期限委任奏請(1)将軍家茂、攘夷期限御委任の奏請書を送る容保東下運動(2)容保、家臣を公卿に遣わし、自身の東下不可を説かせる
◆6/27(8.11)【京】容保東下運動(3)容保に東下を望まないとの宸翰(密勅)/長州、幕府の詰問に抗弁/水戸藩大場一真斎入京。
◆6/28(8.12)【京】将軍譴責&東下運動(4)禁裏附武士小野正寧、勅諚を携えて出京/十津川郷士、武家伝奏の附属となる/紀州藩士岩橋徹輔、越前藩士村田と面会/【薩】薩英戦争(2)英国艦隊、鹿児島湾に来航。
◆6/29(8.13)【京】挙藩上京(11)坂本龍馬、越藩村田を訪ねて国事(幕吏処分)を論ず
◆7/1(8.14)【坂】小笠原率兵上京(11)幕府、大坂城代に小笠原長行らの江戸送還を命じる
◆◇7/2(8.15)【江】慶喜辞表(4)老中、容保に慶喜の意見書・辞表を朝廷が許可せぬよう周旋依頼/挙藩上京(12)&久光召命(3)薩藩吉井幸輔・奈良原繁、越藩村田に激派退治への協力申し出/【鹿】薩英戦争(2)薩英戦争勃発/【坂】壬生浪士、石塚岩雄鳩首
◆7/4(8.17)【京】挙藩上京(13)&大和行幸(1)近衛前関白、村田に攘夷親征は叡慮でないと語る/村田、上京見合わせを具申に福井へ出立/慶喜辞表(5)朝廷、後見職辞任をi慰留
◆7/5(8.18)【京】大和行幸(2)&久光召命(4)近衛前関白ら攘夷親征の評議にt外様藩を含めた諸藩を召すことを建白/薩英戦争(3)薩摩藩、交戦状況を朝廷に報告/【越】挙藩上京(14)岡部豊後・酒井十之丞・三岡八郎(由利公正)、久光・慶順に上京を促しに熊本・鹿児島に向けて出立
◆7/6(8.19)【京】大和行幸(3)激派公卿、攘夷親征の布告を建言
◆7/7(8.20)【京】大和行幸:因幡藩主池田慶徳、参内。攘夷親征布告について諮問
◆7/8(8.21)【京】攘夷委任奏請(2)将軍の奏請書、容保に届く。容保奏請書を留む。/町奉行瀧川播磨守役宅放火/【江】薩英戦争(4)英国公使、戦況を幕府に報知
◆7/9(8.22)【京】挙藩上京(15)&大和行幸(4)薩摩藩吉井幸輔・奈良原繁、近衛忠房に面会し、大和行幸の延期を主張するが暫く鎮静せよと言われる/久光召命(5)近衛前関白父子、久光に上京を促す書簡【江】攘夷戦争(20)幕府、長州藩に外国船打払い禁止を厳命
◆7/10(8.23)【越】挙藩上京(16)村田、福井を出立/【京】近衛前関白・二条・徳大寺、吉井に暫く鎮静するよう指示/
◆7/11(8.24)【京】大和行幸(5)長州藩家老益田右衛門介・根来上総、入京。攘夷親征建白を議定/因幡藩主池田慶徳、攘夷親征について慎重論を上書/久光召命(6)朝廷、久光を召命の沙汰
◆7/12(8.25)【京】挙藩上京(17)&久光召命(7)薩摩藩奈良原繁ら、鹿児島へ出発/再入京の村田、吉井幸輔に久光入京前の朝廷改革決行を説く
◆7/13(8.26)【京】挙藩上京(18)&久光召命(8)近衛前関白、村田に、天皇は越前藩の国論に同意だとの沙汰を告げる。島津久光上京前の朝廷改革(激派処分)断行について考えようと回答。
◆7/15(8.28)【江】攘夷戦争(21)&中根暗殺(1)幕府、使番中根一之丞を長州詰問に派遣
◆7/16(8.29)【京】攘夷委任奏請(3)守護職容保、慶喜上洛による攘夷委任の奏請を老中に建議
◆7/17(8.30)【京】久光召命(9)朝廷、薩摩藩国父島津久光の召命を取りやめ・孝明天皇激怒
◆7/18(8.31)【京】大和行幸(6)長州藩、鷹司関白に攘夷親征を建白/【江】慶喜上京(1)後見職一橋慶喜の上京決定

関連■開国開城「長州藩の攘夷戦争「将軍東帰と京都守護職会津藩の孤立」「薩英戦争」「大和行幸計画と「会薩−中川宮連合」による禁門(8.18)の政変」■幕末日誌文久3■テーマ別文久3年「長州藩の攘夷戦争」 「大和行幸と禁門の政変」「越前藩の挙藩上京計画(越・薩の政変計画)」「島津久光召命」■守護職日誌文久3 ■越前藩日誌文久3 ■長州藩日誌文久3薩摩藩日誌文久3  ■水戸藩 

元治元年(1864)
◆6/29(1864.8.1)【京】長州入京:禁裏守衛総督慶喜に長州処置委任の朝命(慶喜一度目の長州退京説諭)
◆7/1(8.2)【京】長州入京:家老福原越後、朝幕に藩主父子・三条実美らの入京嘆願/幕府、米国仮公使館・善福寺焼失に係る損害を賠償し。商船ペンブローク号砲撃に関する賠償金の支払を承諾。
◆7/2(8.3)【京】長州入京:嘆願への対応に関する朝議。
◆◇7/3(8.4)【京】長州入京:加賀藩世子、藩士を老中稲葉正邦に遣し、長州処分寛大を説かせる【江】会津藩士大野英馬、老中水野忠精らに謁し、関白二条斉敬の横浜鎖港断行の内命・前政事総裁職松平直克・前老中板倉勝静の復職を説く【天狗・諸生】筑波天狗党本隊、田中源蔵を除名
◆7/4(8.5)【京】長州入京:伏見の福原越後に撤兵の朝命(慶喜2度目の長州退京勧告)
/薩摩藩家老小松帯刀・同藩西郷吉之助、各自書を在藩大久保一蔵(利通)に送り、京師の情勢・公武の事情を再報【江】、会津藩江戸家老上田一学等、書を在京家老神保内蔵助等に送り、藩主松平容保(京都守護職)による直克等復職の建議を求める。
◆7/5(8.6)【京】長州入京:長州派五卿、長州の要求を受け入れるようにとの建白書/新選組、西瓜売り変装の不審人物逮捕/【天狗・諸生】水戸藩小石川藩邸、激派復活。
◆7/6(8.7)【京】長州入京:朝廷、禁裏守衛総督徳川慶喜に対し、諸藩と協力して長州藩士らの京都近辺からの退去させるよう命じる/
◆7/7(8.7)【京】長州入京:慶喜、諸藩に命じて長州に退京勧告させる(3度目)/京都守護職松平容保、京地形勢の切迫を幕府に陳述し、金五万両の給与及金三万両の貸与を請う。幕府、金三万両を給与し、金二万両を貸与。/因幡藩家老、率兵着京。朝廷に鎖港断行の建白提出。/【天狗・諸生】藤田小四郎ら筑波勢、高道祖原で幕府及水戸藩追討軍と戦い、敗走
◆7/8(8.9)【京】長州入京:新選組、四条周辺で長州藩密偵を捕縛
◆7/9(8.10)【京】長州入京:長州中老400名の兵と到着。/西郷吉之助、書を在藩の大久保一蔵に送り、京師情勢の急迫を報じ、長州追討の朝命が下れば進んで追討すべきと説く。
◆7/10(8.11)【京】高辻・錦小路等堂上諸邸に、京都守護職松平容保の鳳輦遷幸を意図する等の罪を鳴らし、廷臣中一人も之を糺弾する者なきを慨する文を投ずる者あり。/【天狗・諸生】幕府、宍戸藩等関東諸藩に、常野追討軍に応援を命じる。
◆7/11(8.12)【京】長州入京:慶喜、監察(目付け)永井・戸川に長州退京を説かせる。佐久間象山の暗殺
◆7/12(8.13)【京】長州入京:一条家門56名、長州藩主父子入京を再度建白/鹿児島藩兵「四百余人」京都守衛之為、著京、二本松の同藩邸に入る。
◆7/13(8.14)【京】長州入京:慶喜、長州藩留守居乃美織江を召し、家老福原越後等の大坂退去を諭す。【長州】世子毛利定広、兵を率いて山口を進発【天狗・諸生】水戸藩元執政佐藤図書・同朝比奈弥太郎(市川派)諸生を率いて、江戸を発し、帰藩の途に就く。
◆7/15(8.16)【京】長州入京:長州藩福原・国司の嘆願書提出/中務卿幟仁親王・弾正尹朝彦親王・太宰帥熾仁親王・常陸太守晃親王・関白二条斉敬・右大臣徳大寺公純・内大臣近衛忠房等、参内、萩藩士等処置の事を議す。禁裏守衛総督徳川慶喜も亦参朝し、議に與る。明日に至り、略討伐に決す。
◆7/16(8.17)【京】長州入京:慶喜、17日限りの長州退京を勧告(5回目)/京都神泉苑町の町屋に、一橋家用人黒川嘉兵衛・同梅沢孫太郎・同原市之進を弾劾する張り紙。
◆◇7/17(8.18)【京】長州入京:新選組・会津藩士、慶喜の宿舎に乱入/朝議(慶喜参加)。議奏・伝奏に、長州藩士等の退去を諭させ、拒否すれば追討、に決る。前大納言中山忠能ら、これをを非として、関白二条斉敬に。/容保、前尾張藩主徳川慶勝(実兄)に上京を促す/薩藩ら、諸藩に征伐主張
◆7/18(8.19) 【京】長州入京:長州に撤兵の朝命/慶喜、撤兵を最終勧告/長州、容保の告発書を提出/親長州公卿、急遽参内。
7/19(8.20)【京】禁門(蛤御門)の変勃発
◆7/20(8.21) 【京】六角獄の虐殺
◆7/21(8.22)【京】天王山の戦い/幕府、罹災者に米金を配給。
◆7/23(8.24)【京】長州追討の朝議/【天狗・諸生】市川派、水戸城評定所に入る
◆7/24(8.25)【京】慶喜に長州追討の勅命。/【天狗・諸生】筑波勢、水戸城下に迫る/横浜鎖港:パリの廃約/四国艦隊下関砲撃:艦隊の横浜出発
◆7/25(8.26)【京】慶喜、容保に朝命を心得に伝達
◆7/26(8.27)【京】慶喜・容保、各前越前藩主松平春嶽に書を認め、上京を促す/【天狗・諸生】常野追討軍総括田沼意尊、進発
◆7/27(8.28)【京】朝議。長州荷担公卿の処分決定/【長州】三田尻会議
◆7/28(8.29)【京】容保、慶喜とともに慶勝に再度上洛要請【長州】三田尻会議。外国との講和に決する
◆7/29(8.30)長州藩、恭順謝罪を決定/【京】十津川郷士の皇居警備追放(賀茂社の警備担当へ)
◆7/30(8.31)水戸藩主徳川慶篤、藩内鎮撫の為、幕府に対し、支族宍戸藩主松平頼徳の水戸に派遣を請う。幕府、頼徳に慶篤名代として水戸に赴くよう命じる。

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