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元治元年7月27日(1864年8月28日) 

【京】朝議。長州荷担公卿の処分決定
【長州】三田尻会議/四国艦隊:艦隊の横浜出発


☆京都のお天気:晴 (『嵯峨実愛日記』)

>禁門の変後
■親長州公卿の処分

【京】元治1年7月27日夜、朝廷は親長州公卿の処分を決定しました。

有栖川宮幟仁・熾仁、前関白鷹司輔煕、大納言大炊御門家信、同正親町実徳、同日野資宗、同鷹司輔政、前大納言中山忠能・中納言橋本実麗、右少弁勧修寺経理等は参朝停止・謹慎を命じられました。また、有栖川宮父子及び鷹司輔政は国事掛を、日野資宗は議奏加勢を罷免されました。さらに、翌28日、勧修寺家の毛利氏執奏が止められました。(綱要))

薩摩藩家老小松帯刀が7月30日に国許の大久保一蔵(利通)に書き送ったところによれば、越前藩・会津藩・薩摩藩に対し、参朝停止になった公卿邸の警備が命じられたので、その夜から藩兵を出しました。小松は、これらの公卿は「余程恐レ入候由、もふハ御曳取(=引退)ニ相成候可然」と思うと述べています。

参考:『玉里島津家史料』三p479、『綱要』(2018/4/22)
関連:テーマ別元治1 ■池田屋事件、長州入京問題、禁門の変

■長州藩の動き
【長州】元治1年7月27日、長州藩主毛利慶親、沿岸警備を名目に山口を出発し、三田尻において、世子定広・五卿等と合流し、禁門の変の善後策を協議しました。会議には、支藩徳山藩・長府藩主も参加しました。岩国藩主吉川経幹は、使者を派遣して、三家老の処分を進言しましたが、結論は出ませんでした。(『維新史』四p157)

>四国艦隊下関攻撃
【横浜】元治1年7月27日、四国艦隊のうち、まず、フランス艦・オランダ艦6隻が、下関に向けて横浜を出航しました。(綱要)

関連:■「開国開城」28 横浜鎖港問題と江戸の政変、四国連合艦隊の下関砲撃事件 ■テーマ別元治1四国艦隊下関砲撃

【天狗諸生】筑波山屯集の元水戸藩士藤田小四郎・田丸稲之衛門等、攘夷に先んじて、水戸藩執政市川三左衛門等を討つことにする。処士権堂真卿西岡邦之助等60余人、水戸藩士の党争に関与するを喜ばずに去る。

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