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幕末日誌<慶応4(1868)年>

◆=・幕末のできごと ◇=御陵衛士関連のできごと
(「今の幕末」過去ログの再整理なので西暦が先にきています)


1月のできごと
◆1/3(1.27):【京】鳥羽伏見の戦い勃発
◆◇1/4(1.28):【京】鳥羽伏見の戦い-旧幕軍さらに敗退/相楽総三ら薩摩藩江戸浪士、京都に到着。
◆◇1/5(1.29):【京】鳥羽伏見の戦い3-淀藩、旧幕軍の入城を断る/東海道鎮撫総督に橋本実梁(和宮の外戚)を任命/ 赤報隊(1)三樹三郎、綾小路前侍従・山科兵部と江州挙兵の実行について相談。
◆◇1/6(1.30):【坂】徳川慶喜、松平容保・定敬を連れて大坂城脱出/朝議、慶喜追討令を決定するが、容堂が猛反対。岩倉具視、容堂を難詰し、追討令を認めさせる。/赤報隊(2)三樹、西郷に相談して金・兵器の支援を受ける。綾小路派約20名、京を脱出。
◇1/7(1.31):【坂】新選組、大坂城に入る/【京】慶喜追討令/岩倉具視、諸藩に明の請書提出を迫る/赤報隊(3)綾小路派に相楽総三ら薩摩藩江戸浪士達(相楽派)、侍従滋野井公寿ら(滋野井派)が合流。総勢100名
◇1/8(2.1):赤報隊(4)赤報隊、松尾山の金剛輪寺明寿院を本陣とし、挙兵。

覚書:鳥羽伏見戦前、旧幕側に迷惑視されていた新選組−「この人々(新選組)、事に益なくして後に害あり」

◆◇1/9(2.2):【坂】旧幕軍・新選組江戸へ退却
/【京】東海道総督府に桑名藩討伐令/岩倉具定を東山道鎮撫総督に任命
◆1/10(2.3):【京】慶喜・容保・容敬らの官位を剥奪/朝廷、慶喜の追討令及び農商布告を掲示
◆1/12(2.5):【江】徳川慶喜、江戸城到着。天璋院に面会して事情を説明。静寛院宮(和宮)に謁見を請うが拒絶される。
◆1/14(2.7):【江】朝廷、静寛宮に使者を派遣し、勝海舟・大久保一翁(忠寛)に頼るよう言上させる。
◇1/15(2.8):富士山丸、品川到着/慶喜、天璋院の仲立ちで静寛院宮(和宮)に謁し、事情を説明
◆1/16(2.9):【江】慶喜、天璋院を通して、静寛院宮(和宮)に救解を依頼
◆1/17(2.10):【江】慶喜、議定の春嶽・容堂らに弁明依頼の書簡を発す/静寛院宮、慶喜・天璋院と会見し、使者の京都派遣を決定。
◆1/18(4.28):【江】淀藩主稲葉正邦、老中辞職/仏公使ロッシュ、江戸到着
◆◇1/19(2.12)【江】新選組山口次郎(斎藤一)、医学所で手当てを受ける/ロッシュ、慶喜に面会して援助を申し出る
◆1/21(2.15):【江】慶喜、春嶽らに退隠の意図を書簡で報せる/静寛院宮、慶喜救解歎願の使者土御門藤子を発す/【京】東山道鎮撫総督軍、京都を出立
◆1/23(2.17):【京】岩倉具視、春嶽に慶喜寛典の内意を示す【江】勝海舟、陸軍奉行並から陸軍総裁に転任/大久保一翁(忠寛)、会計総裁に任命/【桑】藩主定敬の弟定教、四市の総督府に恭順を申し入れる
◆1/25(2.19):【江】慶喜、春嶽に嗣子を紀州藩主徳川茂承にしたいとの書簡
◆1/26(2.20):【京】岩倉、春嶽に慶喜の恭順謝罪周旋を依頼。春嶽、松平直克に書簡を送り、慶喜に恭順謝罪の勧告を要請

2月のできごと
◆2/3(2.25):【京】親征の詔
◆2/4(2.26):【江】容保、隠居。
◆2/5(2.27):【江】慶喜、恭順謝罪の嘆願書を春嶽に送る/大久保一翁、若年寄に転任
◆2/6(2.28):【京】静寛院宮の使者土御門藤子、入京して徳川処分寛大を歎願
◆2/8(3.2):【江】大久保一翁、若年寄に転任
◆2/9(3.3):【京】有栖川宮、東征大総督に任命/【江】慶喜、朝廷より処分された老中・若年寄・大目付らを罷免
◆2/10(3.4):【江】慶喜、容保・定敬ら24人の登城を禁ず。容保・定敬に江戸退去・謹慎を求める。
◆2/11(3.5):【江】慶喜、総登城を命じ、恭順・自らの退城を告げる
◆2/12(3.6):【江】慶喜、江戸城退城。寛永寺に謹慎。後事は田安慶頼に。/彰義隊(1)一橋家臣ら慶喜を慕う同志17人の会合(尊王恭順有志会)
◆2/15(3.9):【京】東征大総督軍、京都を出立
◆2/16(3.10):【京】徳川家存続の内旨/【江】容保、江戸を出立。会津へ。
◆2/19(3.13):【京】春嶽、慶喜の奏聞状を提出し、進撃中止、慶喜・会桑の処分の公議による決定を請うが、却下される。
◆2/21(3.15):【江】淀藩主稲葉正邦、老中辞職/輪王寺宮、歎願に江戸を出立
◆2/23(3.17):【江】彰義隊(4)彰義隊結成(渋沢成一郎総裁、天野八郎副総裁)
◆2/26(3.20):【江】前老中稲葉、慶喜の嘆願書をもって京都に出立/静寛院宮、橋本実梁に再び書簡を発す
◆2/29(3.23):【江】土御門藤子、徳川存続の内旨を携えて帰府

3月のできごと
◆3/1(3.24)−【京】東山道先鋒軍、下諏訪到着
◆3/2(3.25)−【京】東国諸侯43名、連署して嘆願書を朝廷に
◆3/4(3.27)−【江】一橋茂栄、静寛宮(和宮)の書簡をもって駿府の大総督府へ出立/東山道先鋒軍板垣退助隊、甲府城入城
◆3/5(3.28)−【江】無血開城(1)山岡鉄舟、勝海舟訪問/東征大総督、駿府城に到着
◆3/6(3.29)−【江】無血開城(2)山岡鉄舟、薩摩藩士益満休之助とともに大総督府に向って出立/【駿】東征大総督、江戸城進撃期を15に定める/輪王寺宮、東征大総督有栖川宮に歎願
◆◇3/9(4.1)−【駿】無血開城(3)山岡鉄舟、益満休之助を伴い、大総督府の西郷隆盛を訪問.。西郷、七ヶ条の謝罪条件を示す/【江】敗走の甲陽鎮撫隊、江戸へ
◆3/10(4.5)−【江】静寛院宮、土御門藤子を橋本実梁に再度派遣し、徳川寛大を訴える/【水】結城派、会津に脱走
◇3/11(4.3)−【江】新選組、最終的な瓦解/静寛院宮、東山道先鋒総督に進軍中止を要請/【駿】無血開城(4)西郷隆盛、江戸に向けて出立
◆3/12(4.4)−【駿】有栖川宮、輪王寺宮の歎願を拒否。
◆3/13(4.5)−【江】無血開城(5)西郷隆盛、江戸高輪の薩摩藩邸に入る。勝海舟、静寛院宮(和宮)について会談。
◆3/14(4.6)−【江】無血開城(6)勝海舟・大久保一翁、西郷隆盛と会談。明の江戸城総攻撃中止が決定/輪王寺宮、駿府を発して江戸へ
◆3/15(4.7)−【江】無血開城(7)勝海舟、松濤権之丞に流山の「脱走」兵取締りを指示/江戸城中の事務を田安邸に移す
◆◇3/16(4.8)−【駿】無血開城(8)大総督、江戸城攻撃を延期/勝海舟の使者松濤権之丞、五兵衛新田の近藤に
◆3/18(4.10)−【江】東山道先鋒総督、尾張藩邸に。
◆3/20(4.12)−【京】無血開城(9)隆盛着京/江戸処分の朝議、寛大に決まる
◆3/21(4.13)−【京】天皇、御所を出立/無血開城(10)隆盛、東下の途に/【水】藩主慶篤帰国
◆3/23(4.15)−【京】天皇、大坂本願寺に到着
◆3/25(4.17)−【駿】無血開城(11)隆盛、大総督府に復命

4月のできごと
◇4/1(4.23)−近藤勇ら227名、流山へ移転
◇4/3(4.25)−【江】近藤、新政府軍へ投降

◆◇4/4(4.26)−【江】無血開城(12)勅使入城・11日の引渡しの朝命を伝達/近藤、板橋の新政府軍に護送される/土方歳三、勝海舟に流山顛末を告げる 
◆4/5(4.27)−【江】無血開城(13)慶喜、旗本に恭順を諭す/【水】徳川慶篤死去
◆4/7(4.28)−【江】無血開城(14)慶喜、田安慶頼を通して朝命の請書を提出
◆4/9(4.30)−【江】無血開城(15)静寛院宮(和宮)、清水邸に移る
◆4/11(5.2)−【江】無血開城(16)江戸開城

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