徳川斉昭の略年譜 |
年号 (西暦) |
歳 | 斉昭のできごと | 幕末のできごと |
寛政12 (1800) |
1 | 7代水戸藩主徳川治紀の三男として江戸藩邸で誕生。部屋住みとして成長。(会沢正志斎に教育を受ける) | |
文政7 (1824) |
25 | 5-英国捕鯨船、水戸領大津浜に上陸して薪水要求。⇒水戸藩士出動。 | |
文政8 (1825) |
26 | *会沢正志斎「新論」(尊攘派のバイブル)を著す | 2-異国船打払い令(無二念打払い令) |
文政12 (1829) |
30 | 9−8代当主斉脩(哀公)重篤。世継問題。 10−斉脩没。斉脩の遺言で斉昭、9代当主に就任。 |
|
天保1 (1830) |
31 | 天保の藩政改革本格的に着手。 1-言路洞開奨励。 3-藤田東湖・戸田銀次郎・会沢ら郡奉行などに登用・ 10-老中大久保忠真に綱紀刷新を建議。 *節約令発布 |
伊勢おかげまいり流行 |
天保2 (1831) |
32 | 有栖川宮登美子と結婚。 | |
天保3 (1832) |
33 | 3-斉昭、蘭書の翻訳を命じる。 | |
天保4 (1833) |
34 | 3-斉昭、初めて水戸に入国。藩内巡村。 | |
天保5 (1834) |
35 | 幕府に山陵修復を建議 *この頃、蝦夷地開拓を建議。 |
*前年から全国で天保の大飢饉 |
天保8 (1837) |
38 | 斉昭に七郎麿誕生(後の将軍慶喜) | 2-大塩平八郎の乱、米商船モリソン号事件 8-徳川家慶(45歳)、12代将軍就任。(しかし、前将軍家斉は「大御所政治」) |
天保10 (1839) |
40 | 4−検地開始 6-将軍家慶に海防意見(戊戌封事)提出。大船建造解禁を建議。 10−三ヵ年半知借り上げ令 弘道館、偕楽園、好文亭に着工。(弘道館記) |
<アヘン戦争勃発> |
天保11 (1840) |
41 | 1−斉昭、幕府の許可をへて1年間水戸へ。 5−大砲鋳造のため溶鉱炉建設開始。 |
|
天保12 (1841) |
42 | 7−幕府、斉昭に水戸滞在(5〜6年)を命令。 8−弘道館完成。(仮開館)斉昭、老中水野に幕政改革案を建議。 11-斉昭、山陵復旧を建議。 |
閏1‐前将軍家斉(大御所)死去。 5-首席老中水野忠邦、天保の改革に着手 |
天保13 (1842) |
43 | 1-老中水野に山陵復旧を促す 3-追鳥狩(軍事演習)を行う 12-斉昭、大砲鋳造のための梵鐘・仏像鋳潰し布告。吉田薬王院、本山の上野寛永寺に訴え。 |
7-天保薪水給与令 8-幕府、忍・川越藩に相模・房総の江戸湾警備を命じる。 <清、英国と南京条約締結> |
天保14 (1843) |
44 | 1-斉昭、山陵復旧建議の顛末を関白鷹司政通に知らせる。 5-斉昭、将軍家慶に藩政改革を称される。 7-斉昭、社寺改革に着手 9-斉昭、再び大船解禁を老中に建議。 |
3-将軍家慶の日光社参。 閏9-水野忠那、上知令が反発を呼び、失脚。阿部正弘(25歳)、入閣。 |
弘化1 (1844) |
45 | 4−老中阿部、水戸藩家老を訊問。斉昭、追鳥狩を行う。 5−斉昭、幕府より江戸にて隠居謹慎の命。10代当主は慶篤に(13歳)。斉昭派失脚。結城寅寿、実権握る。 10−斉昭雪怨運動。斉昭派の無願出府。 11−結城寅寿家老罷免。斉昭の謹慎解除。 |
7-幕府へ開国を勧告するオランダ国王の親書が届く。 |
弘化2 (1845) |
46 | 2〜3-水戸士民、斉昭の藩政復帰を幕府諸藩に直訴。 9-関白鷹司政通を通して朝廷に「八州文藻」を献上。 |
6-幕府、オランダに対して開国勧告を謝絶。海防掛再置。 |
弘化3 (1846) |
47 | 6-斉昭、大船解禁等の海防意見を首席老中阿部に提出。 10-幕府、水戸藩に大砲鋳造許可。 *斉昭、阿部や将軍家慶に、異国船打払、大砲・大船(軍艦)建造、蝦夷・琉球処置等に関する海防意見を数度に渡って建言。薩摩藩世子島津斉彬、宇和島藩主伊達宗城とも海防に関する書簡を交わし始める。 |
5-フランス司令官セシーユ琉球来航し、通商要求。 閏5‐米国東インド艦隊司令官ビットル、巨艦2隻(コロンバス号等)で浦賀来航。通商を求めるが幕府は拒否。 6-島津斉彬に琉球問題を委任。 8-孝明天皇、海防勅諭を所司代酒井忠義に。 |
弘化4 (1847) |
48 | 9-徳川斉昭の子慶喜(11歳)、一橋家相続 | |
嘉永2 (1849) |
50 | 3−三連枝の水戸藩後見解除。斉昭、藩政参与に復帰。 | 12-(お由羅騒動・高崎崩れ・嘉永朋党事件) |
嘉永3 (1850) |
51 | *水戸藩財政危機。幕府、金3万両貸与。 | 6-オランダ船、幕府に米英の通商の意思を知らせる。 11-孝明天皇、再び海防勅諭を下す。 |
嘉永4 (1851) |
52 | 1-斉昭、島津斉彬藩主就任に周旋 4-斉昭、種痘を実施させる。 |
2-老中阿部の勧告で島津斉興隠居。斉彬(43歳)、11代薩摩藩主就任。 <中国で太平天国の乱始まる・ナポレオン3世即位> |
嘉永5 (1852) |
53 | 2-水戸藩、幕府・朝廷に大日本史紀伝を献上 10-越前藩主松平春嶽、斉昭に海防意見を求める。 11-10代水戸藩主慶篤(斉昭長男)、将軍家慶養女・線宮と婚礼。 |
閏2‐松平容保(18歳)、9代会津藩主. 6-オランダ、米国船来航予告。 |
嘉永6 (1853) |
54 | 6-春嶽、斉昭に米国処置を議する(以後、書簡の交換が続く)。老中阿部、斉昭に米国処置意見をきく。将軍家慶、老中阿部に、斉昭に処置を任せるよう命じる。 7−斉昭、幕府海防参与に。「海防愚存」を提出。戸田銀次郎・藤田東湖、斉昭の補佐に定府。 |
7-越前藩主松平春嶽、薩摩藩主島津斉彬と初会見。慶喜擁立の意見交換。 8-松平春嶽、老中阿部に慶喜後継を入説。 11-土佐藩主山内容堂、吉田東洋を参政に登用。 *長州藩、周布政之助登用 |
安政1 (1854) |
55 | 3−神勢館(大小銃修練場)開設。 4−海防参与辞任。*その後も海防建議は続く。 |
1-薩摩藩、蒸気船建造着手。 |
安政2 (1855) |
56 | 2−弘道館正式開校。 8-斉昭、幕府の政務参与に復帰。 10−安政の大地震。藤田東湖・戸田銀次郎没。 |
10-安政の大地震。首席老中阿部辞任。後任に堀田。 *長州藩、坪井派に復帰 |
安政3 (1856) |
57 | 4-結城寅寿処刑ほか結城派、断罪される。 8-幕府、ハリス駐在許可を斉昭に説明。 9-勘定奉行川路聖謨・水野忠徳、目付・岩瀬忠震、斉昭を訪問。斉昭、前関白鷹司政通に幕府の外交措置をひそかに知らせる。 |
1-薩摩藩、海軍創設。 7-アメリカ総領事ハリス来日 10-松平春嶽、徳川慶勝・島津斉彬・伊達宗城に慶喜後継を入説。 12-薩摩藩主養女(近衛関白養女)篤姫、将軍家定と結婚。 |
安政4 (1857) |
58 | 7−海防軍制改革参与辞任。斉昭・慶篤父子、ハリスの上府に反対。 | 10-西郷隆盛、藩主斉彬の命で慶喜擁立運動のため出府。松平春嶽、開国論を幕府に建白。 11-松下村塾発足。 12-薩摩藩、通商・慶喜後継の建白を幕府に提出。 |
安政5 (1858) |
59 | 5−将軍家定の後継に紀州藩主徳川慶福(=家茂)が指名され、一橋慶喜擁立派敗北。 6−無断調印に抗議して一橋派諸侯とともに不時登城。 7−謹慎処分を受ける。 8−戊午の密勅降下。安政の大獄が始まる。 (安政3〜5:将軍後継問題と条約勅許問題)(安政5〜6:戊午の密勅と安政の大獄) |
1-越前藩士橋本左内、藩主春嶽の命で入京(4月初まで)首席老中堀田、条約勅許獲得のため京都へ。 2-久坂、江戸遊学へ。 3-西郷、入京。公卿88名、列参して条約の関東委任に反対。朝廷、勅許不可。 4-井伊直弼、大老就任 5-長州藩「藩是三大綱」決定。 6-日米修好通商条約。 7-高杉、江戸遊学へ。島津斉彬没。橋本左内、捕縛。 9-梅田雲浜らを捕縛。 11-吉田松陰、老中間部暗殺計画。。 12-家茂将軍宣下。吉田松陰投獄。西郷隆盛、大島流罪。 |
安政6 (1859) |
60 | 6- 第2の密勅(井伊暗殺指令) 8−幕府、斉昭に水戸永蟄居を命令。安島帯刀ら死罪。 10−慶篤、勅書を祖廟に収めさせる。 12−勅書返納の朝旨。長岡屯集(〜蔓延1年2月) 。 |
2-久坂、萩に戻る。土佐藩主容堂、依願隠居。 5-吉田松陰、江戸檻送。 6-神奈川・長崎・箱館開港 10-橋本左内・吉田松陰ら処刑。幕府、容堂に謹慎を命ず。 |
万延1 (1860) |
61 | 2−長岡勢の解散。 3−3.3桜田門外の変(長岡勢が中心になって大老暗殺)(安政6〜7:勅書返納問題と桜田門外の変) 6−勅書返納の勅書下る。 8−斉昭没(8.15)。 |
1-安藤信正老中に。咸臨丸、アメリカに向けて出航。 4-幕府、皇女和宮降嫁奏請。 |