年表&日誌トップ | 長州トップ&事件簿 | HPトップ |
和暦 | 天 皇 |
将 軍 |
長州藩の主なできごと (主要事件概略はこちら) |
幕末の主なできごと |
弘化1 1844 |
仁 孝 |
家 慶 |
村田清風、37ヵ年法で失脚・退陣。政敵坪井派が藩政を掌握。 |
5-水戸藩主徳川斉昭、幕命により隠居・蟄居 7-幕府へ開国を勧告するオランダ国王の親書が届く。 |
弘化2 1845 |
2-藩校明倫館を新築 | 2-阿部正弘(27歳)、首席老中に。米国捕鯨船マンハッタン号、浦賀来航。 6-幕府、開国勧告を謝絶。海防掛再置。 9-水野忠邦、隠居・蟄居。 |
||
弘化3 1846 |
孝 明 |
3-松陰、長沼流兵学の免許 8-坪井派退陣。改革路線が進む。 |
閏5‐米国司令官ビットル、浦賀来航。通商を求めるが幕府は拒否。 8-孝明天皇、海防勅諭を幕府に下す。 |
|
弘化4 1847 |
9-孝明天皇、異国船撃退を祈願 | |||
嘉永1 1848 |
5-周布政之助、明倫官都講 |
12-山内容堂(22歳)、15代土佐藩主就任。 <仏の2月革命> |
||
嘉永2 1849 |
6〜7-松陰、藩命で海岸防備を視察 10-桂、松陰に師事 |
12-薩摩藩でお由羅騒動起る | ||
嘉永3 1850 |
8〜12-松陰、平戸・長崎塔など九州遊学 | 6-オランダ船、幕府に米英の通商の意思を知らせる。 11-孝明天皇、再び海防勅諭を下す。 |
||
嘉永4 1851 |
4-藩主敬親参府。松陰随行して江戸に。佐久間象山等に学ぶ 6-松陰、宮部鼎蔵と相模・安房を視察 12-松陰、脱藩して翌年4月まで東北遊学。(水戸藩会沢正志斎らと会う) |
2-老中阿部正弘の勧告で島津斉興隠居。斉彬(43歳)、11代薩摩藩主就任。 <中国で太平天国の乱始まる・ナポレオン3世即位> |
||
嘉永5 1852 |
4-松陰、江戸着。帰国を命ぜられる 11-桂、斎藤弥九郎道場入門 12-松陰、脱藩の罪で士籍剥奪・家禄没収。実家杉家預りとなる。 この年、周布、政務役に抜擢される。 |
閏2‐松平容保(18歳)、9代会津藩主就任。 6-オランダ商館長クルチウス、翌年の米国船来航を予告。 |
||
嘉永6 1853 |
1-松陰、藩より10年の遊学許可を得て、萩を出立 6-松陰、ペリー浦賀来航をきいて浦賀へ。 9-長崎来航中の露艦に乗り込もうと江戸出立。肥後熊本で横井小楠・宮部鼎蔵と会う。露艦は出航後。周布、政務役筆頭に。村田清風の財政改革路線を進める。 12-松陰、入京。梁川星厳・梅田雲浜・鵜飼吉左衛門らと会う。その後、江戸へ。 この年、桂、斎藤道場塾頭・江川太郎左衛門に西洋砲術を学ぶ |
6‐ペリー浦賀来航(★)。将軍家慶没。 9-幕府、大船建造を解禁 11-土佐藩、吉田東洋を参政に登用。 |
年表&日誌トップ | 長州トップ&事件簿 | HPトップ |