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和暦 | 天 皇 |
将 軍 |
長州藩の主なできごと (主要事件概略はこちら) |
幕末の主なできごと |
安政1 1854 |
孝 明 |
家 慶 |
3-松陰、弟子の金子重助と下田で米艦に乗り込もうとするが断られ、自訴(下田密航事件)。 4-松陰、江戸の小伝馬町牢に投獄。 9-幕府、松陰・重助・佐久間象山を自藩蟄居処分に。 10-松陰、萩の野山獄に投獄。重助は岩倉獄 11-松陰、「二十一回猛士の説」を書く |
3-日米和親条約。下田・箱館開港(★) 7-幕府、長崎に海軍伝習所設立。 10-堀田正睦、首席老中に。伝習所開所。 12-日蘭和親条約・日露和親条約 |
安政2 1855 |
2-周布、辞職。 5-村田清風没 7-桂、中島三郎助に造船術を学ぶ 8-藩政に坪井九右衛門派復帰。 12-松陰、杉家に幽囚となる |
10-安政の大地震。水戸藩藤田東湖、戸田銀次郎没。日仏和親条約 | ||
安政3 1856 |
12-梅田雲浜、来萩。翌年1月まで滞在。雲浜、坪井九右衛門を訪ね、長州産物御用掛に。滞在中、松陰とも会う。 | 7-米国総領事ハリス着任(★) 12-薩摩藩主養女篤姫、将軍家定と結婚。 |
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安政4 1857 |
11-杉家敷地内に(松陰主宰の)松下村塾発足。 12-松陰妹・文と久坂の結婚 |
12-日米通商条約協議始まる (★将軍後継・条約勅許問題) |
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安政5 1858 |
家 茂 |
2-久坂、江戸遊学へ。 5-長州藩「藩是三大綱」決定。 6-周布、政務役に復帰。藩政を掌握。 7-高杉、江戸遊学へ。 8-密勅降下。周布、答勅使として上京。 9-松陰、公卿大原重徳に長州西下を勧める書簡と時勢論を送る 10-松陰、赤根武人に伏見破獄策を指示。 11-松陰、門人17名と老中間部暗殺を計画し、周布・前田孫右衛門に武器供給を依頼。/高杉、江戸で昌平黌入学。 12-江戸の高杉・久坂ら、松陰に決起のときではないとの書簡を送る。長州藩、松陰を野山獄に投獄。 |
1-老中堀田、条約勅許獲得に京都へ(★) 3-朝廷、勅許不可。 4-井伊直弼、大老就任(★) 5-将軍後継に家茂決定(一橋派敗北) 6-日米修好通商条約(無断調印★)。斉昭・慶喜・慶篤ら不時登城して井伊を叱責。島津斉彬没 7-将軍家定没。家茂、14代将軍就任。幕府、斉昭らに隠居・謹慎を命ず。(★) 英・蘭・露と通商条約。外国奉行設置。 8-孝明天皇、戊午の密勅を水戸藩に。(開国開城) 9-日仏通商条約。老中間部入京。幕府、梅田雲浜らを捕縛。 12-家茂将軍宣下。 |
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安政6 1859 |
1-大高又次郎・平島武次郎、長州藩主伏見要駕策を提案。 2-久坂、萩に戻る。松陰、伏見要駕策周旋のため門人野村和作を脱藩・上京させる。入江九一、岩倉獄に。 3-野村、周旋に挫折して京都藩邸に自訴。岩倉獄。 4-松陰江戸召還の幕命。 5-松陰、萩から江戸に檻送される。 6-松陰、江戸着。長州藩邸に軟禁。 7-松陰、幕府の訊問を受け、小伝馬牢に。 10-桂、江戸藩邸有備館掛を命じられる 10/17-高杉、藩命により帰国のため江戸出立 10/27 幕府、松陰を処刑。(前日「留魂録」を書く) |
2-長崎奉行、海軍伝習所閉鎖を通告。 5−英国公使オルコック着任。 6-神奈川(横浜)・長崎・箱館開港 8-幕府、徳川斉昭に永蟄居・慶喜に隠居慎。 9‐薩摩藩大久保一蔵ら「突出」を計画 10−幕府、容堂に謹慎を命ず。 12−水戸藩に勅書返納の朝旨。返納反対派(水戸尊攘激派)の長岡屯集(〜万延元年2月) 。 |
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万延1 1860 |
3-高杉、明倫館舎長。 閏3-高杉、海軍蒸気科修業のため丙辰丸(長州藩軍艦)で江戸に。 4-周布、京都手入れ。 8-水長両藩士による成破盟約(水長盟約・丙辰丸盟約)。8/28 高杉、東北遊学へ(試撃行) |
1-安藤信正老中に。日米通商条約批准のため、遣米使節出港(咸臨丸も出航)。 3-桜田門外の変(開国開城)。外国人居留地を横浜に定める。 閏3−五品江戸廻送令を布告。 4-幕府、皇女和宮降嫁奏請。 5-遣米使節帰国。 9-幕府、慶喜・慶勝・容堂の謹慎解除。神奈川奉行所設置。 10-和宮降嫁勅許。(開国開城) 12-ヒュースケン暗殺事件 |
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