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幕末薩摩藩の基本データ

領地 薩摩・大隈・日向(諸県郡)、道之島を含む琉球国
石高 77万石
人口 総人口:薩・隈・日約63万人。琉球国約22万人。
藩士の人口:総人口の約4分の1
藩祖
(藩の起り)

島津忠久。島津氏は鎌倉時代初期に薩摩・大隅・日向3国の守護に任ぜられて以来、この地方に根を張ってきた守護大名・戦国大名で、1587年の豊臣秀吉の九州征伐によって豊臣氏に服属した後もそのまま3国にまたがる所領60万石の支配を認められた。関ヶ原の戦いも西軍につくが、本領を安堵。1609年、琉球に出兵して琉球王朝を服属させ、琉球の石高12万石を加えられた(もっとも薩摩藩の琉球支配は年貢よりもむしろ貿易が利益をもたらした)。その他加増を受けて77万石の大藩となる。旧支配者から転封を経ずに近世大名にスライドした薩摩藩は、旧来の支配体制を残し、外城(とじょう:武士を鹿児島城下に集住させず領内に分散した外城と呼ばれる拠点に居住させる。郷士制度ともいう)や門割(かどわり:農民を数戸ごとに門というグループに分け、門ごとに土地を所有させる)などの独特の制度をもった。

連技支藩 佐土原藩
幕府における格 ◆分類外様藩
◆江戸城出仕時の部屋大広間(おおひろま)-薩摩藩と仙台藩(どちらかが)在国。関連:「江戸城の大名控間席格」
藩主の官位 従四位下が最高。
幕末期の
藩主
8代重豪
9代斉宣
10代斉彬
10代忠義
藩校 弘道館(その他、各地に郷校がつくられた)
*9代斉昭の天保の藩政改革で創設
参考:『鹿児島県の歴史』・『島津斉彬』・『島津久光と明治維新』


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