[AM9:50 若駒寮・食堂]
そのときだった。
「長瀬くんじゃない! お久しぶり!」
俺はハッとした。
食堂の入口の方を見ると、セミロングの髪をなびかせながらこっちに走ってくる、元気一杯の女の子がいる。
……真理子ちゃんだ……。
「よう、しばらくぶり」
長瀬が笑って隣の椅子を引く。……普段は無愛想なくせに、今日は妙にサービスがいいじゃないか。
「ありがとう!」
真理子ちゃんも笑い返し、ためらいのひとつも見せずにやつの隣に座って、そこをはっきり「自分の場所」と示すように、テーブルに両手を乗せた。俺は不意に、カップルが喫茶店の4人がけの席にわざわざ横に並んで座るときの光景を頭に浮かべてしまった。
彼女の笑顔……それは、魔法なのかもしれない。それを見たいがために、男はどんなことでもしてしまう。とりわけ彼女に特別な感情を持っていそうでもない長瀬でさえこうなんだし、この俺だって……。
「それにしても、あなたがここにいるなんて。ね、いつ帰ってきたの? なんでいきなり?」
「俺が昨日呼び戻したんだよ。今日、篠崎の誕生日パーティーをやろうと思ってさ」
俺は横から答えた。これを真理子ちゃんに教えるのは、どうしても俺でありたかった。……くだらないこだわりだ。でも、それでも俺にとってはとても大切なことだった。
「篠崎くんの!? そのためにわざわざ北海道から戻ってきてくれたの!?」
……やはりというか、真理子ちゃんは、俺の言葉を耳にした直後に、あの「魔法の笑顔」をはじけさせていた。
「ああ。あいつ、昔から俺たちのこと苦手そうにしていただろう。だから、このあたりで『俺たちはお前と仲よくしたいんだ』ってわからせようとして、片山が企画したんだ。……そうだよな?」
長瀬が説明し、最後を俺に振った。当然のように、彼女も俺を見る。
……魔法の笑顔が古傷に染みて、痛い……。
「そういうことさ。君ならわかるだろ? 俺のこういう気持ち」
「うん」
真理子ちゃんがうなずいたので、俺も首を縦に振った。……が、実際はわかってなんかいないだろう。彼女はおそらく、自分が篠崎に対して思っているのと同じように、俺もやつの心を開かせたくてたまらないんだと解釈しているに違いない。
確かに、俺にもその気持ちはある。でも、俺のそれは、彼女のような慈愛の心からではなく、後ろめたさから来ているのだ……。
……彼女は、ずっと昔からやつのことが好きだった。
だけど、俺は……俺の、本当の気持ちは……。
「……ところで、当然君も来てくれるよな? このパーティー」
気を取り直して、俺はそっとたずねた。
「もちろん!」
「よかった。じゃ、あいつに話がついたら改めて電話するから、それからトレセン近くの『Thrilling
Love』ってカフェレストランに来てくれ」
「『Thrilling Love』ね」
「ああ。……あ、そうだ」
大切なことを忘れかけていた。
「ちょっとお願いなんだけどさ、どうしても俺が篠崎を誘いに行きたいんだ。だから、もし今日どこかであいつに会っても、パーティーのことは言わないでくれよ」
長瀬に続いて、真理子ちゃんにもそう言って釘を刺す。
「うん、わかったわ。もし会っても内緒、ね」
本当に、篠崎のことになると何でもすぐ納得する。彼女は普段から素直な性格だけど、やつが絡むとその度合いが倍増するのだ。
「……桂木、お前、メシまだか?」
とそこで、長瀬が彼女にたずねた。
「まだよ。だって、すぐあなたたちを見つけてここに座っちゃったから」
「じゃあ、遅くならないうちに取ってこい」
「そうね。じゃ、ちょっと待ってて」
彼女は、またあの笑顔を残して、席を立ってキッチンへ向かった。