蒼き騎士の伝説 第二巻                  
 
  第十一章 義と約と(3)  
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      三  

 シオの声がミクの鼓膜を震わせる。途中まではその意を把握しながら聞いていたが、今は自分の頭上をさらさらと、ただ流れるに任せていた。膝の上に組んだ手の人差し指が、無意識に時を刻む。事態は最悪だった。正直、ここまで追い込まれることを、全く想定していなかった。どこで計算が狂ったのか。まずその一つに、シオに対する認識があげられるであろう。
 いかに偽王がたくみに化けていたとしても、必ずやレンツァ公は看破するであろうと自分は信じていた。少なくともその部分は大丈夫であろうと考えていた。思えば、随分と楽観的な思考をしたものだ。条件は限りなく不利であったのに。ガーダにしろ、真の王にしろ、実際レンツァ公は彼らをその目で見ていない。全て、ロンバードの話の中に出てきた存在だ。それに比べると、偽王は強い。目の前に、実体として存在するのだから。いかにレンツァ公とはいえ、これを否定することは難しいであろう。
 いや、それより何より、この実体について、自分は少し甘く見過ぎていたのではないか。城には王に近しい者も多いだろうに、未だに誰もそのことに気付いていない。王が生まれ落ちた時から側に仕えていたロンバードでさえ、実際にアルフリートと相対するまで、偽者を本物と信じていたくらいだ。案外、取り巻きの兵士を連れてハンプシャープの離宮に下がった王妃ウルリクも、その実、はっきりと確信は持っていないのかもしれない。ただ単に人が変わったと、嫌悪しただけなのかも。誰も、そう、誰一人、真の王の存在を知らずしてブルクウェルの王を否定できぬほど、偽王はアルフリートそのものなのであろう。
 ミクは組んでいた両手を、細い顎の下に置いた。人差し指の動きは止まったが、代わりに左足のつま先が、不規則に動く。
 レンツァ公の洞察力に頼る作戦は失敗した。この状態では、説得も難しい。この部屋に入る前、二人の兵士の姿を確認している。あれは見張りだ。今もこの部屋の扉の向こうで、聞き耳を立てているかもしれない。となると、多少荒っぽいやり方で、無理にでもここから連れ出すしかないだろう。何としても、脱出せねばならない。だが――。
 ミクは顎の下の手を膝に戻すと、横を向いた。そこにある小さな窓を見る。
 ここに、もう一つの狂いが自分の行く手を遮っている。
 ミクは恨めし気に窓を見つめ、深く吐息を吐いた。
 一番の問題は、この部屋にあった。シュベルツ城の東端にある塔の最上階。西の塔に比べると幾分低いが、かなりの高さとなっている。レイナル・ガンのグリップ部分にはワイヤーロープが収納されているが、とても地面まで運んでくれそうにない。窓からの脱出は無理。となると、後は本城の中央にある城門しかなくなる。遠い。かなりの距離だ。その間に、一体何人の兵士を相手にせねばならないのか。レンツァ公は、何を思ってこの部屋に変えさせたのか。せっかく、本城の部屋を用意していてくれたというのに。
 ミクは険しい表情のまま、正面に向き直った。シオの唇がスティラの約と模ったようだが、ミクは無視して思考に没頭した。
 仮に、ここから逃れることを全く考えずに選んだのだとしても、理解に苦しむ。客人二人、しかも特別な客を泊めるには小さ過ぎる部屋。中に収められた調度品が、どれもこれも窮屈そうに見える。その物自体は、一目で一級品であることが分かるが、かえってそれがこの部屋をより貧相に見せていた。おそらく、もともとは他の部屋に置かれていたのを、急遽ここに置いたのであろう。
 要するに、そもそもこの部屋は、客を迎えるための場所ではないのだ。それは、あの一つしかない小さな窓を見れば分かる。目の高さより少しばかり上に位置する空間からは、わずかな光しか入ってこない。東向き、加えてすぐ間近に裏山が迫っているため、その光すら時間的制約を受ける。ここに通された時、まだ日は高かったはずだが、キャンドルの明りがなければどこに何があるのか分からぬほど、薄暗かった。
 確か、ここからの景色がどうとか言っていたけど。
 部屋に入るなり大きな失望をしたミクは、縋る想いで小窓を覗いた。しかしそんなミクの目に映ったのは、木々に覆われた山肌だけであった。街を見下ろす西の塔の方が、遥かに良い眺めが期待できる。うやうやしく礼をし、案内の騎士が下がった後、ミクはこう一人ごちた。
 これではまるで、牢獄ではないか――。
 いかにしてこの牢獄から脱するか。しかもレンツァ公に協力は頼めない。難しい。いや、到底不可能だ。ではどうする? どうしたらいい?
 つと、思考を中断する。鼓膜への刺激がなくなっていることに気付く。ミクは冷ややかな視線をシオに向けた。
「つまり――」
 意識的に感情を押さえながら話す。
「軍師として戦地に赴くと。そのため、明日の朝早くここを発つと。そういうことですね」
「なんだ」 妙に子供じみた口調でシオが言った。
「ちゃんと聞いていたんだ」
 それには構わず、ミクが続ける。
「その際、この城にある軍隊も、出陣するのですか?」
「いや、それはない。私と数名の騎士が出るのみだ」
 ならば――。
 ミクは思った。それならいっそ、レンツァ公を戦地に向かわせてみるか。そして、一人になったところでここを脱し、その後、一行を追い救出を計る。まだその方が、活路を見出せるかもしれない。よし、決めた。そうしよう。
「そうですか」 ミクは大きく息を吸い込んだ。
「分かりました」
 それでは、困る――。

 
 
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