蒼き騎士の伝説 第五巻                  
 
  第十四章 不実なる真実(4)  
       
 
 

 肩に担いだ剣が返される。ギノウの剣が、鞘から放たれる。どう動くべきか、成り行きをただ見守っていたウル国王も、ついに剣を構える。たとえ事実が捻じ曲げられ、シャン国の王を自国に招き、罠にかけたと罵られようと。この先シャン国との間に起こる戦争の、全ての責はユズムラ王にありと謗られようと。今ここで彼を帰してはならない、ミオウに、エルフィンの娘を渡してはならない。そう、ウル国の王は思った。息子と同じ判断を下した。
 王とギノウの意思に、他の者も従う。長子サザトムも、立ち並ぶ家臣も、皆がいっせいに一つの方向に剣を向ける。
 絶対絶命だ。
 誰の目にも、ミオウはそう映った。どれほどの剣豪であろうとも、わずか数名の家臣と共に、この囲みを突破することなど不可能だ。だが、それにしては、ミオウの顔に追いつめられた様子がない。覚悟を決めたのか、いや、この落ち着きはむしろ自信だ。この期に及んでなお、まだ自分達の方が優勢であるという、絶対的な自信。
「返してもらうぞ」
 大きく左から右に、ミオウの剣が弧を描いた。それをギノウが下からすくいあげる。ギンと高い音が響き、刃の先が跳ね上がる。ギノウが動く。だが。
「ぐっ」
 わずかな隙をつき、ミオウの懐に飛び込んだギノウの体が、がくりと揺れた。そのまま固まる。右足を半歩踏み込み、寝かせた剣を払わんとする姿勢のまま、止まる。そこに、ミオウの剣が振り下ろされる。ギノウの両腕を狙う。
 血が飛んだ。しかしギノウの腕は、微かな傷を付けたのみで、主の下に残った。不可思議な戒めから既の所で逃れ、体を引くことのできたギノウが大きく息を吸う。そして吐く。
「これは……」
 絶句し、目に映るものを凝視する。
 ギノウの視線の先には、ユーリがいた。まるで空間を裂くように、彼は目の前を横切った。腰ほどまでの低い姿勢で駆け抜け、ギノウの手から剣を奪う。そして突き上げる。ミオウ、ではなく、その影に向かって。
「ユーリ……殿?」
 ギノウの息が、かろうじて声をかたどる。嵐を思わせる風に押され、よろめくように一歩下がる。がしりと影と四つに組むユーリが、横顔を向ける。
「下がるんだ」
「……ユ」
「早く、みんな下がれ!」
「死に損ないめが」
 影が、そう呟いた。黒衣がはためき、顔を隠す頭巾が外れる。途端、ひらひらと長いものが、視界を過ぎる。ウリアノの体にきっちりと巻かれた黒い布帯。そのちょうど右頬の辺りが、ユーリの剣によって切り裂かれ、端がたなびいている。ばらばらとそこから、解けていく。
 まず、地肌が覗く。人のものとは到底思えない。かさかさのひび割れた姿。見ようによっては蛇の鱗のようだ。それが口元に、鼻先にと広がっている。形は、正しい。布帯に包まれていた時は押さえつけられ、潰れているように見えたが、皮膚が異常なだけで、その機能は有しているようにみえる。そして、目。形ということに純粋にこだわれば、これも確かに正常だ。大きさが普通の二倍ほどあること、その瞳が血のような赤い色であることを除けば、人と何ら変わりない。だが、その違いが、人と彼とを決定的に隔てていた。
「――ガーダ」
 掠れた声で、誰かが呟く。それが波のように、周囲の者達の唇を伝わる。
「ガーダ……」
「……ガーダ?」
 驚きと戸惑いと。目の前にある現実と、遥か昔の、ウル国にとっては遠い国の伝説と。一つの認識に対する二つの感覚が、螺旋を描きながら体を駆け巡る。そしてある感情に行きつく。
 ――恐怖。
「ユーリ!」
 ミクの声が、風の中で引き千切れた。波動が全身を打ち、煽られる。地に叩きつけられ、一瞬息が止まる。しかしミクはその状態が、極めて恵まれた結果であることを理解していた。放たれた力のほとんどが、目的を達することなく散り去った理由に気付いていた。
 清らかな光の風が、渦を巻く。優しく皆を、その外に追い出す。内にガーダの波動を閉じ込め、壁となる。その身と心を削って、盾となる。
「……ユーリ」
 ふらつく足で、ミクは立ち上がった。光の渦の中心に駆け寄らんとする。
「だめだ、ミク。早く、みんなを連れて――」
 背を向けたまま、ユーリが叫ぶ。その肩越しで、赤い目がぎらつく。
「ミク!」
 分かっています。
 そう答えるべきであり、そう行動するべきである。このガーダの凄まじい力は、身に沁みて知っている。ユーリが全力を振り絞っても敵わないことを、そしてそれは現在も変わらぬ事実であることを。ユーリの放つ気の力が次第に弱まり、今にも崩れんとしていることを、ミクの理性は捉えていた。

 
 
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  第十四章(4)・6