蒼き騎士の伝説 第六巻                  
 
  第十八章 水の民(3)  
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「アイ……ツ…ハ……」
 声を潜めるフパックプフにあわせ、ミクとテッドが身を乗り出す。全ての感覚を耳と、表情を見取る目に集中し、次の言葉を待つ。
「アイツは、高い木のウエに住み、イッキに舞い降りてクル。深いミズの中にいようが、お構いなしにマルノミだ。俺達だけではなく、ヒトだって食ってしまう。何人も、何十人も。アイツの腹に収まっちまう」
「おい」
 テッドがミクに小声で囁く。
「ひょっとしてこいつ、何だか得体の知れない、恐ろしい化け物がいるって話をしてるんじゃねえか?」
「そのようですね」
 言葉の七割方を何とか聞き取り、ミクがそう結論付ける。まだ恐怖に顔半分を水につけるフパックプフに向かって、穏やかに声を出す。
「お話は分かりました。ウクット島には、そんな恐ろしい怪物がいるのですね。でも、世界にはもっと凄い化け物がいる。二つの頭を持つ狼とか、傷ついても寸断されても直ぐに再生する大蛇とか。砂の中に身を隠し、無数ともいえる分身と共に襲ってくる巨大虫とか」
「そ、そんな恐ろしいバケモノが……」
 怪談話を聞く小さな子供のように、フパックプフが身を竦める。ますます萎縮しちまったじゃねえかと悪態をつくテッドを尻目に、すかさずミクが切り返す。
「でも、私達は全てそれを退けてきました」
「シリゾケタ……やっつけたのか?」
「はい、ある武器を使って」
「おい、ミク!」
 声のトーンを強めてテッドが言う。
「まさか、こいつに渡すつもりか?」
「他に方法はありません」
 冷静な声を、ミクが返す。
「レイナル・ガンを彼に渡すしか」
「でも、それを渡してしまったら、自力でここから脱出することはできなくなるぞ。崖を降りることが」
「降りても先が無いのなら、持っていても同じでしょう。それにウクット島のどこにいるか分からないユーリ、もしくはサナとコンタクトを取るためにも必要――」
「ある武器って、さっきのか?」
 いつの間に這い上がったのか、ひたりと音を響かせフパックプフが近付く。
「硬い岩を粉々にした。小さくて、変わった形の」
「信じるのか、こいつを」
 フパックプフの問いかけには答えず、テッドがミクを見据える。その鋭い視線をミクが厳然と見返す。
「つい今しがた、助けてもらったことを忘れたのですか?」
「それとこれとは話が別だ。本質的に善良であるのと、いかなる力の前でも正しくあるのとは、違う性質のものだ」
「私達にだけ、その両方があるとでも?」
「はぐらかすな」
「では、他に方法は?」
 テッドが言葉に詰まる。何度か深い溜息をつき、その都度小さく首を振る。考え込むように目を伏せる。
 見てくれだけでヌンタルを差別するつもりはない。種族としても個人としても、フパックプフの中に良質なものがあることは、十分に理解している。何より、この理解力があったからこそ、自分は幾度も危険を回避してきた。カルタスに住む多くの者達の助けがなければ、今ここにこうしていることすら叶わなかっただろう。
 だが、その過程において一度も、今回のような結論は出さなかった。アルフリートにもオラムにも、ガジャにもギノウにも。信頼を超え、尊敬すら覚える彼ら人格者に対してさえも、これだけは渡さなかった。
 ギノウにも――か。そういえば。
 伏せていた目を上げ、ミクを見る。強い意志の漲る表情に、少しだけ気持ちをほぐす。
 ギノウにアリエスの存在を知られた時、ミクがやたらと警戒することに対し、自分は不満を持った。『疑いだしたらきりがない』と。その認識のギャップは、ギノウという人物の人となりを、あの時点ではミクの方が知らなかったために起きたものだ。同じことが、今の自分にも言えるかもしれない。フパックプフについては、自分よりミクの方がよく知っている。わずかな差ではあるが、彼女の方が彼と親しい。それに、何と言ってもあのミクが、そう決断をしたのだ。それが最良、最善であることに、疑いの余地はない。
 テッドは、どこか清々しい印象すら覚える顔で、ヌンタルの方を向いた。
「お前に渡したいものがある」
 手の中のレイナル・ガンを差し出す。
「使い方は簡単だ。この部分を外し、後はこう持って引き金を、ここを軽く指で引けば、さっきのように岩をも砕くことができる。コークラ何とかいう化け物だって、怖くない。必ずこれが、お前を守ってくれる。陸にさえ上がって、木の茂みの中に隠れちまえば、もう化け物は襲ってこないんだろう? だからその後は、海辺を目指してくれ。おい、ミク、アリエスの上陸地点は?」
「北緯20.38.50、西経97.22.25。島の南西部の浜です。こう大きく丸みを帯びて、出っ張った所にある浜」
「だとよ。あっ、そうそう、用が済んだ銃は、この部分を元の場所に戻して、ちゃんとロックするんだ。外したままぷらぷら持ち歩いて、うっかりなんてことになったら――」
「大丈夫だ。もう覚えた。これを外して、こうだな」
「って、おい、こっちに銃口を向けるな」
「で、これをまたはめて、うん、今からウクット島に行けばいいんだな」
「そこまでは合ってるが。その先の目的はちゃんと分かってるんだろうな」
 とてつもない力を持つ武器を手にしたことで、先ほどまでのおどおどした性質が一切隠れてしまったフパックプフを、心配そうに見る。
「俺達が頼んでいるのは、コークラ何とかを倒すことでも、そこら中の木をなぎ倒すことでもない。銃は、単なる手段だ。ユーリに、仲間に、俺達がここにいることを伝える、それが」
「分かっている」
 子供がおもちゃを持つような、危うい手つきでフパックプフが銃を抱える。
「お前達がここにいることを、ちゃんと伝える。周りには奴らがいることも教える。あいつらに襲われないように、これをちゃんと渡してやる。使い方も、きちんと説明する」
「いや、別に。使い方の説明までは必要な――」
 ぽんと肩を叩かれ、テッドはそこで言葉を切った。案ずるより産むが安しと言わんばかりの、ミクの表情に苦笑を返す。
 今、彼が示した善良さが、数分後には変わることだってあるだろう。だが、こちらが何も言わないうちから、当然のようにレイナル・ガンを返す意思を示した事実は、評価に値する。
 信じて待つ。
 人というものをよく知る者にとって、最も難しい課題に挑むことを、テッドは改めて決意した。
「頼んだぞ」
「十分に気をつけて下さい」
 テッドとミクの言葉を受け、フパックプフが水の中に消える。浮かぶ波紋を見据える二人の表情は柔らかかった。

 

 
 
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