和暦 (西暦) |
天 皇 |
将 軍 |
幕府・諸藩の主要なできごと | 海防・外交関係のできごと |
寛政4 (1792) |
光 格 |
家 斉 |
11-尊号事件 | 9‐ロシア使節ラクスマン、漂流民大黒屋光太夫を同行して根室に来航 |
寛政10 (1798) |
幕府、蝦夷地に180余名の調査団派遣 | |||
文化1 (1804) |
9‐ロシア使節レザノフ、漂流民津太夫らを同行して長崎来航。通商要求。翌年、幕府は「鎖国の祖法」を理由に通商拒否。 | |||
文化4 (1807) |
4‐フヴォストフ事件(ロシア海軍大尉フヴォストフによるエトロフ島攻撃・日本側敗走) 5‐幕府、南部・津軽藩に増兵、秋田・庄内藩に出兵を命じる。 |
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文化5 (1808) |
*薩摩前藩主島津重豪(将軍家斉夫人の父)、現藩主島津斉宣と家老横山主税・秩父太郎らの藩政改革路線に激怒し、家老の切腹をはじめ、大量処罰。(近思禄崩れ・秩父崩れ) | 1‐幕府、会津・仙台藩に蝦夷警備を命じる。 8-フェートン号事件(英国軍艦フェートン号、オランダ国旗を掲げて長崎侵入。長崎奉行は切腹)。 |
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文化6 (1809) |
9-島津斉宣隠居。斉興、10代藩主就任。 | |||
文政1 (1821) |
仁 孝 |
*仁孝天皇践祚 | ||
文政5 (1822) |
松平容敬、8代会津藩主就任。 | 4-英国捕鯨船、江戸湾進入し、薪水要求。 | ||
文政7 (1824) |
5-英国捕鯨船、水戸領大津浜に上陸して薪水要求。⇒水戸藩士出動。 6-英国捕鯨船、琉球近くの宝島に上陸。住民と衝突。 |
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文政8 (1825) |
*水戸藩会沢正志斎「新論」を著す | 2-異国船打払い令(無二念打払い令) | ||
文政11 (1828) |
*薩摩藩調所広郷、藩政改革に着手 | *シーボルト事件 | ||
文政12 (1829) |
*徳川斉昭(30歳)、9代水戸藩主に。翌年から天保の藩政改革に本格的着手。 | |||
天保2 (1831) |
*長州藩天保の大一揆 | |||
天保3 (1832) |
徳川斉昭、幕府に海防を説く | |||
天保4 (18339 |
*全国で天保の大飢饉始まる。 | |||
天保8 (1837) |
家 慶 |
2-大塩平八郎の乱 8-徳川家慶(45歳)、12代将軍就任。(しかし、前将軍家斉は院政「大御所政治」をしいた) |
2-米商船モリソン号事件(漂流民音吉らを同行しており、漂流民返還と通商・布教を目的として浦賀に来航したが、浦賀奉行は打ち払い令によって砲撃) | |
天保9 (1838) |
10-松平春嶽(11歳)、16代越前藩主就任。 *長州藩主毛利敬親・初入国。村田清風、天保の藩政改革に着手 |
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天保10 (1839) |
5-幕府、蘭学者渡辺崋山・高野長英らを逮捕(蛮社の獄) 12-水野忠那首席老中に |
6-徳川斉昭、海防意見書を将軍に提出 <アヘン戦争勃発> |
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天保11 (1840) |
11-庄内藩の三方領地替反対一揆 | 7-オランダ船、アヘン戦争勃発の報を幕府に伝える。 9-高島秋帆、西洋砲術採用を幕府に進言 |
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天保12 (1841) |
閏1‐前将軍家斉(大御所)死去。 5-首席老中水野忠邦、天保の改革に着手 (ぜいたく禁止令、株仲間禁止令) |
12-幕府、鳥居耀蔵(幕府儒家林家の実子)・江川太郎左衛門に江戸湾巡視を命じる。 | ||
天保13 (1842) |
天保の改革(出版統制令など) | 7-天保薪水給与令 8-幕府、忍・川越藩に相模・房総の江戸湾警備を命じる。 <清、英国と南京条約締結> |
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天保14 (1843) |
天保の改革(人返しの法、上知令) 4-長州藩村田、借財の37ヵ年賦皆済仕法発表。 閏9-水野忠那、上知令が反発を呼び、失脚。阿部正弘(25歳)、入閣。 |
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弘化1 (1844) |
5-水戸藩主徳川斉昭、幕命により隠居・蟄居。長男慶篤(13歳)、10代藩主就任。 6-長州藩村田、37ヵ年法で失脚・退陣。政敵坪井派が藩政を掌握。 11-家臣・領民の雪怨運動で斉昭の蟄居解除。 |
3-仏軍艦、琉球に来航して通商要求。 7-幕府へ開国を勧告するオランダ国王の親書が届く。 |
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弘化2 (1845) |
2-阿部正弘(27歳)、首席老中に。 9-水野忠邦、隠居・蟄居。 |
2-米国捕鯨船マンハッタン号、浦賀来航。 6-幕府、オランダに対して開国勧告を謝絶。海防掛再置。 |
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弘化3 (1846) |
孝 明 |
2-孝明天皇(16歳)践祚。 4-会津藩主松平容敬、容保を養子とする。 8-長州藩、坪井派退陣。改革路線が進む。 |
5-フランス司令官セシーユ琉球来航し、通商要求。 閏5‐米国東インド艦隊司令官ビットル、巨艦2隻(コロンバス号等)で浦賀来航。通商を求めるが幕府は拒否。 6-徳川斉昭、大船解禁等の海防意見を老中阿部に提出。幕府、島津斉彬に琉球問題を委任。 8-孝明天皇、海防勅諭を幕府に下す。 10-幕府、水戸藩に大砲鋳造許可。 |
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弘化4 (1847) |
9-徳川斉昭の子慶喜(11歳)、一橋家相続。 10-薩摩藩調所の軍制改革(長沼流廃止)。島津久光(藩主斉興愛妾お由羅の子:31歳)軍役名代に。 |
2-幕府、会津・忍藩に安房・上総警備を命じる。 9-孝明天皇、異国船撃退を祈願 |
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嘉永1 (1848) |
4-島津久光、家老座・海防名代に。 12-山内容堂(22歳)、15代土佐藩主就任。薩摩藩調所急死(密貿易発覚による服毒自殺といわれる)。 |
<仏の2月革命> |
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嘉永2 (1849) |
12-藩主斉興、斉彬擁立派高崎五郎右衛門らをお由羅・斉興側近の家老島津久徳暗殺計画のかどで切腹等処分。(お由羅騒動・高崎崩れ・嘉永朋党事件) | |||
嘉永3 (1850) |
(お由羅騒動・高崎崩れ・嘉永朋党事件) | 6-オランダ船、幕府に米英の通商の意思を知らせる。 11-孝明天皇、再び海防勅諭を下す。 |
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嘉永4 (1851) |
2-老中阿部正弘の勧告で島津斉興隠居。斉彬(43歳)、11代薩摩藩主就任。 12-吉田松陰、脱藩して東北遊学。 |
<中国で太平天国の乱始まる・ナポレオン3世即位> | ||
嘉永5 (1852) |
閏2‐松平容保(18歳)、9代会津藩主就任。 | 6-オランダ商館長クルチウス、翌年の米国船来航を予告。 |
嘉永6(1853)〜 万延1(1860) |
文久1 (1861) |
文久2 (1862) |
文久3 (1863) |
文久4/元治1 (1864) |
元治2/慶応1 (1865) |
主な参考文献:
『開国と幕末変革』、『人物叢書島津斉彬』、『人物叢書山内容堂』、
『人物叢書藤田東湖』、『人物叢書松平春嶽』、『会津歴史年表』、『幕末の天皇』、
『開国への布石 評伝・老中首座阿部正弘』、『維新の先覚 吉田松陰』