天 皇 |
将 軍 |
幕府の主要なできごと | 諸藩の主要なできごと |
孝 明 |
家 茂 |
2-露軍艦ポサドニック号、対馬上陸・占領。 | |
3−幕府(老中安藤)、江戸・大坂の開市と兵庫・新潟の開港7年延期を求める親書を各国元首に送付。 | 3-長州藩士長井雅楽、藩主に公武合体的開国通商論の「航海遠略策」を建言。周布の斡旋で藩論に。 | ||
4−露軍艦乗組員、占領阻止の対馬住民と衝突(大船越の事変)。幕府、外国奉行小栗忠順を対馬へ派遣。 | |||
5-シーボルト、幕府顧問に。 | 5−長井、上洛して朝廷に建白。朝廷、嘉納。 5/28-水戸浪士らによる英国公使館襲撃事件(第1次東禅寺事件) |
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6/19−大船建造解禁 | 6/7-水戸藩、幕命により鎮派の興津所左衛門を家老に。 6/14-長井、江戸着。 |
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7-英国公使オルコック、開港・開市延期に譲歩。英国東インド艦隊ホープ司令官を対馬へ派遣し、ポ号退去を要請。 | 7/2−長井、老中久世広周に入説。 7/5−薩摩藩、意見書を提出した37士(+1)を水戸藩江戸屋敷に引き渡す。 7/26〜28−幕府、桜田門外の変犯人の水戸浪士の死罪・追放等の処分を行う。 |
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8−ポ号対馬を退去し、箱館へ。 | 8/3−長井雅楽・周布政之助、水戸藩美濃部又五郎と会う。 8/9−水戸藩、東禅寺事件の犯人を逮捕を命令。 8/16−久坂玄瑞、水薩両藩の頼むに足らないと入江九一に書く。 8月-武市半平太・間崎哲馬・平井収二郎・中岡慎太郎・坂本龍馬ら、土佐勤王党結成。 |
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種痘所を幕府西洋医学所に、 | 10/20−和宮、江戸へ出立。 10/27-孝明天皇、千種有文・岩倉具視に勅 |
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11−米国通訳ヒュースケン暗殺事件の賠償問題決着。ハリス、英仏への開国・開市延期斡旋を約束。 11/15-和宮江戸到着。 |
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12−官製バタビヤ新聞発行。外国奉行水野忠徳ら咸臨丸で小笠原諸島へ。 12/11-和宮大奥へ 12/23-江戸・大坂の開市、兵庫・新潟の開港延期のための幕府遣欧使節出発。 物価引上・暴利の禁止令を出す。 |
12/8−長州藩、「航海遠略策」を正式に建白 |
寛政4(1792)〜 嘉永5(1852) |
嘉永6(1853)〜 万延1(1860) |
文久1 (1861) |
文久2 (1862) |
文久3 (1863) |
元治1 (1864) |
慶応1 (1865) |
主な参考文献:
『開国と幕末変革』、『人物叢書山内容堂』、
『人物叢書松平春嶽』、『会津歴史年表』、『幕末の天皇』、
『徳川慶喜公伝』