天 皇 |
将 軍 |
月 | 幕府の主要なできごと | 諸藩・浪士の主要なできごと |
孝 明 |
家 茂 |
1 | 1/15−老中安藤信正襲撃される(坂下門外の変)(★) | 1/3-長州藩高杉晋作、幕府随行員として中国行きを命ぜられ、江戸出立。 1/15-水戸脱藩平山平介ら老中安藤を坂下門外で襲撃(坂下門外の変) 1/21-久坂玄瑞、武市半平太に「尊藩も幣藩も滅亡しても大義なれば苦しからず」と認める |
2 | 2/11−将軍家茂、皇女和宮と結婚(★) | 2/7−真木和泉、島津久光随従を願って薩摩に入る。 2/15-西郷隆盛、帰国。久光東上に反対 |
||
3 | 3/15−幕府、出羽山形藩主水野和泉守(忠精)と備中松山藩主板倉周防守(勝静)を老中登用 |
3/4-土佐勤王党吉村寅太郎、脱藩。 3/10−島津久光、藩内に諭告。 3/11-吉村寅太郎、萩着。久坂玄瑞が迎える 3/16−島津久光、千余名を率兵し鹿児島出発。 3/18−長州藩長井雅楽、京都に着いて開国遠略を入説(★) 3/24−坂本龍馬・沢村惣之丞、土佐脱藩。 3/27−吉田東洋、諸士階級制度改革発令。 3/28−西郷隆盛、大坂に到着。 |
||
4 | 4/11−安藤信正の老中罷免 4/15−将軍、御三家・田安大納言・溜間詰大名・布衣以上役人を召しだし、制度の簡素化を面諭。 4/25−幕府、一橋慶喜・徳川慶勝・松平春嶽・松平容堂らの赦免を決定 |
4/8-土佐勤王党、吉田東洋暗殺 4/11-土佐藩庁の東洋派退けられる(守旧派が掌握) 4/16【京】久光に滞京・浪士鎮撫の勅命 4/19【京】長州藩浦靱負、率兵入京。 4/23【京】寺田屋事件(★) 4/28【京】長州藩世子毛利定広入京。 4/30【京】朝廷、青蓮院宮赦免を決定/長州藩に公武周旋の勅旨 |
||
5 | 5/2−長州、幕府に将軍上洛の建白 5/3−会津藩主松平容保、幕政参与に。 5/7−松平春嶽、幕政参与に。 5/8−伝奏、勅使東下を所司代に伝える 5/9−ロンドン覚書調印 |
5/2【京】長州、幕府に将軍上洛の建白 5/5【京】長井雅楽の謗詞事件。 5/11【京】朝廷、勅諭案(三事策)を議定 5/12【京】久光に勅使随従の勅旨 5/20【京】勅使大原重徳に、一橋慶喜・松平春嶽登用の沙汰書 5/22【京】勅使大原と護衛の薩摩兵京都出立 5/29-第2次東禅寺事件(松本藩士による仮英国公使館襲撃) |
||
6 | 6/1−幕府、将軍家茂の近日上洛による公武一和を布告 6/10−勅使大原重徳、慶喜・春嶽登用の沙汰を伝える 6.30-幕府、所司代酒井忠義を罷免 |
6/6【江】長州藩主毛利敬親、江戸出立。⇒薩長不和の原因 6/.7【江】勅使大原重徳、島津久光と薩摩兵江戸着。 6.8−土佐藩主豊範、江戸参勤のため高知発。 6.10-西郷隆盛、遠島先の徳之島到着 |
||
7 | 7.6−慶喜、一橋家再相続。将軍より、将軍後見職就任の直命 7.7−久光、老中に幕政改革の建白書を提出。 7.9−春嶽、政事総裁職就任。 7.20−将軍家茂、大赦を裁可 7.27−幕府、京都守護職設置を決定 関連:「開国開城」「勅使大原重徳東下と文久2年の幕政改革」 |
7.2【京】長州藩主毛利敬親、入京 7.6【京】長州藩、藩論を攘夷に転換。 関連:「開国開城」「長州藩論一転・破約攘夷へ」 7/7−久光、老中に幕政改革の建白書を提出。 7/20【京】九条家島田左近暗殺 |
||
8 | 8/7−幕府、朝廷に対して従来の失政を謝し、新政を行うことを奏する。 8.19−久光、幕政改革意見24か条を示す。 8/21−生麦事件。(★) 8/24−将軍家茂、長州藩世子定広から大赦の勅諚拝受/慶喜、上洛供奉の内命拝受 |
8/15【江】容堂、江戸城登城し、将軍に謁見 8/19【江】久光、幕政改革意見24か条を示す。毛利定広江戸着。 8/20【江】長州藩、改竄の勅諚受領。【京】岩倉・千種・富小路(公武合体派公卿「四奸」)の蟄居、辞官落飾 8/21−久光一行、勅使に先立ち江戸を出立。生麦事件を起こす。(★) 8/24【江】長州藩世子毛利定広、登城して勅諚を伝える。 8.25【京】土佐藩主豊範、入京(武市も)。京都守護・国事周旋の勅旨を受ける |
||
閏 8 |
閏8/1−容保、京都守護職拝命(★) 閏8/11-幕府、横井小楠の意見を容れ、来年2月の将軍上洛を内定(&将軍上洛問題背景) 閏8.14−前京都所司代酒井忠義に隠居の幕命 閏8/22−幕府、改革令を布告(参勤交替の緩和等)→文久の幕政改革の本格化 |
閏8/5−長州藩主毛利敬親、幕府の奉答書を非難する意見書を議奏に提出。 閏8/7【京】久光帰京 閏8/144【京】天皇の「公武一和の思召」が公卿・堂上に触れられる。 閏8.16−西郷隆盛、沖永良部の牢獄に入る。 閏8/27【京】朝廷、長州藩主毛利敬親に破約攘夷の勅諚下賜。 閏8/29【京】京都で目明し文吉暗殺 |
||
9 | 9/7−幕府、明年2月の将軍上洛布告。 9.17-・容保、幕府に公武一和と三港外閉鎖の建白 9/19−攘夷奉勅問題。総裁職春嶽、必戦・破約攘夷を主張。 9/24−容堂、春嶽に攘夷奉勅の覚悟を促す。 9/30−慶喜、幕府をすでになきものとする開国論主張。 |
9/4【京】朝廷、敬親の国事周旋を称す。豊範に江戸での周旋・容堂に京都警衛を命ず。 9/16【京】武市、攘夷督促の勅使派遣を建言 9/18【京】薩摩・長州・土佐藩主、朝廷に対して、幕府へ攘夷勅諚下賜の建白。 9/20【京】朝廷、攘夷勅諚伝達のための勅使(三条実美・姉小路公知)任命 9.24-京都町奉行与力暗殺事件 |
||
10 | 10/1−幕議、慶喜の上洛&開国上奏を決定 10/8-春嶽、慶喜に政権返上覚悟の開国上奏を迫る 10/18-容堂、攘夷を請けねば「攘将軍」になりかねないと攘夷を入説 10/20−幕議、開国上奏から攘夷奉勅に一転。大久保一翁、大政奉還&大開国論を述べる。 10/22-慶喜、「攘夷に定見無し」と後見職辞表 10/26-幕府、勅使優待を決定 10/28−攘夷別勅使三条実美・姉小路公知江戸着 関連:「開国開城」「第2の勅使三条実美東下と攘夷奉勅&親兵問題」 |
10/5【京】薩長土有志で、親兵設置を建議 10/11【京】豊範、別勅使(三条実美・姉小路公知)に先立ち京都を出立 10/12【京】別勅使、京都を出立。武市半平太も随従。/容保に滞府周旋の朝命 10.17【江】水戸藩、薩摩藩邸上書提出事件関係者(林忠左衛門・吉成恒次郎ら)の藩地送還決定。極刑を恐れた慶喜、中止を勧告。 10.25−「五十人組」(中岡ら)入京 10.27【江】容堂、御用部屋出仕を命じられる(幕政参与)、豊範江戸着。 10.28【江】勅使江戸着(武市半平太)も。 |
||
11 | 11/2−幕府、攘夷奉勅を決議。(開国説が実施されるときもあるだろうと) 11/25−フランス軍艦が大坂入港して条約勅許を迫るという風聞を根拠に、老中、容保と旗本精鋭の急西上と慶喜・将軍の率兵上京を上書。 11/27−勅使、攘夷と親兵設置の勅諚を授ける。 11/28−慶喜、春嶽に2万の大兵を率いての上京を示唆/安政大獄関係者の建碑を赦す 11/29−春嶽、幕薩連合による公武合体推進を建議。老中・慶喜、同意。 関連:「開国開城」京都武力制圧策から公武合体派連合(幕薩連合)策へ |
11/12【京】朝廷、久光を守護職にと幕府に。【江】薩摩高崎猪太郎、容堂に長州藩激派の神奈川/横浜襲撃計画を密告。容堂、長藩世子定広に連絡。 11/13【江】定広、使者を送って激派説得。蒲田梅屋敷事件(土佐藩士の前で周布政之助、容堂を批判の放言。憤激した土佐藩士が翌日長州藩に周布引渡しを要求する騒ぎに) 11.16【江】「五十人組」(中岡ら)江戸到着 11.22【江】水戸藩主徳川慶篤、激派の武田耕雲斎、大場一真斎らを家老に復職させる。 11.28【江】水戸藩、薩摩藩邸上書提出事件関係者(林忠左衛門・吉成恒次郎ら)釈放。 |
||
12 | 12/4-慶喜に大坂湾巡視&上京の幕命 12/5−幕府、破約攘夷奉勅を返答。親兵設置は奉承せず。幕府、水戸藩に勅諚(戊午の密勅)奉承を許す。 12/13−幕府、攘夷を布告 12/15−慶喜、江戸出立 12/24−京都守護職松平容保、入京 関連>>「守護職事件簿」「容保入京」 |
12.1【江】土佐藩主豊範、長州藩主養女と婚姻 12.5【江】大赦の令で安政の大獄関係者許される。間崎哲馬・坂本龍馬、春嶽と面談。 12.6【江豊範江戸を退去。 12/7【江】勅使、親兵設置要求貫徹せぬまま江戸を退去。 12/9【京】朝廷に国事掛設置、【江】坂本、勝海舟に入門。定広、江戸を退去。 12.11【江】中岡江戸を出立 12/12【江】高杉・久坂ら、品川御殿山の英国公使館焼討ち。久坂江戸を出立。中岡に合流。 12/15【江】水戸藩、勅諚(戊午の密勅)奉承を許される。 12.18-久坂・中岡、水戸で住谷寅之助と面談。その後、佐久間象山を訪問? 12.23−勅使帰京。 12.25−佐久間象山放免。 |
寛政4(1792)〜 嘉永5(1852) |
嘉永6(1853)〜 万延1(1860) |
文久1 (1861) |
文久2 (1862) |
文久3 (1863) |
元治1 (1864) |
慶応1 (1865) |
主な参考文献:
『開国と幕末変革』、『人物叢書山内容堂』、『茨城県幕末史年表』
『茨城県の歴史』、『人物叢書松平春嶽』、『会津歴史年表』、『幕末の天皇』、
『徳川慶喜公伝』・『再夢紀事・丁卯日記』・『続再夢紀事』