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幕末対比略年表(4)文久2年(1862)

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幕府の主要なできごと 諸藩・浪士の主要なできごと


1 1/15−老中安藤信正襲撃される(坂下門外の変(★) 1/3-長州藩高杉晋作、幕府随行員として中国行きを命ぜられ、江戸出立。
1/15-水戸脱藩平山平介ら老中安藤を坂下門外で襲撃(坂下門外の変)
1/21-久坂玄瑞武市半平太に「尊藩も幣藩も滅亡しても大義なれば苦しからず」と認める
2 2/11−将軍家茂、皇女和宮と結婚(★) 2/7−真木和泉、島津久光随従を願って薩摩に入る。
2/15-西郷隆盛、帰国。久光東上に反対
3 3/15−幕府、出羽山形藩主水野和泉守(忠精)と備中松山藩主板倉周防守(勝静)を老中登用

3/4-土佐勤王党吉村寅太郎、脱藩
3/10−島津久光、藩内に諭告
3/11-吉村寅太郎、萩着久坂玄瑞が迎える
3/16−島津久光、千余名を率兵し鹿児島出発。
3/18−長州藩長井雅楽、京都に着いて開国遠略を入説★)
3/24−坂本龍馬・沢村惣之丞、土佐脱藩
3/27−吉田東洋、諸士階級制度改革発令
3/28−西郷隆盛、大坂に到着
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4/11−安藤信正の老中罷免
4/15−将軍、御三家・田安大納言・溜間詰大名・布衣以上役人を召しだし、制度の簡素化を面諭。
4/25幕府、一橋慶喜・徳川慶勝・松平春嶽・松平容堂らの赦免を決定
4/8-土佐勤王党、吉田東洋暗殺
4/11-土佐藩庁の東洋派退けられる(守旧派が掌握)
4/16【京】久光に滞京・浪士鎮撫の勅命
4/19【京】長州藩浦靱負、率兵入京。
4/23【京】寺田屋事件(★)
4/28【京】長州藩世子毛利定広入京
4/30【京】朝廷、青蓮院宮赦免を決定/長州藩に公武周旋の勅旨
5 5/2−長州、幕府に将軍上洛の建白
5/3−会津藩主松平容保、幕政参与に。
5/7松平春嶽、幕政参与に。
5/8−伝奏、勅使東下を所司代に伝える
5/9−ロンドン覚書調印
5/2【京】長州、幕府に将軍上洛の建白
5/5【京】長井雅楽の謗詞事件
5/11【京】朝廷、勅諭案(三事策)を議定
5/12【京】久光に勅使随従の勅旨
5/20【京】勅使大原重徳に、一橋慶喜・松平春嶽登用の沙汰書
5/22【京】勅使大原と護衛の薩摩兵京都出立
5/29-第2次東禅寺事件(松本藩士による仮英国公使館襲撃)
6 6/1−幕府、将軍家茂の近日上洛による公武一和を布告
6/10勅使大原重徳、慶喜・春嶽登用の沙汰を伝える
6.30-幕府、所司代酒井忠義を罷免
6/6【江】長州藩主毛利敬親、江戸出立。⇒薩長不和の原因
6/.7【江】勅使大原重徳、島津久光と薩摩兵江戸着。
6.8−土佐藩主豊範、江戸参勤のため高知発。
6.10-西郷隆盛、遠島先の徳之島到着
7 7.6−慶喜、一橋家再相続。将軍より、将軍後見職就任の直命
7.7−久光、老中に幕政改革の建白書を提出。
7.9春嶽、政事総裁職就任
7.20−将軍家茂、大赦を裁可
7.27−幕府、京都守護職設置を決定

関連:「開国開城」「勅使大原重徳東下と文久2年の幕政改革
7.2【京】長州藩主毛利敬親、入京
7.6【京】長州藩、藩論を攘夷に転換。 関連:「開国開城」「長州藩論一転・破約攘夷へ
7/7久光、老中に幕政改革の建白書を提出
7/20【京】九条家島田左近暗殺
8 8/7幕府、朝廷に対して従来の失政を謝し、新政を行うことを奏する
8.19−久光、幕政改革意見24か条を示す。
8/21生麦事件(★)
8/24−将軍家茂、長州藩世子定広から大赦の勅諚拝受/慶喜、上洛供奉の内命拝受
8/15【江】容堂、江戸城登城し、将軍に謁見
8/19【江】久光、幕政改革意見24か条を示す毛利定広江戸着。
8/20【江】長州藩、改竄の勅諚受領。【京】岩倉・千種・富小路(公武合体派公卿「四奸」)の蟄居、辞官落飾
8/21久光一行、勅使に先立ち江戸を出立生麦事件を起こす(★)
8/24【江】長州藩世子毛利定広、登城して勅諚を伝える。
8.25【京】土佐藩主豊範、入京(武市も)。京都守護・国事周旋の勅旨を受ける

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閏8/1−容保、京都守護職拝命(★)
閏8/11-幕府、横井小楠の意見を容れ、来年2月の将軍上洛を内定(&将軍上洛問題背景)
閏8.14−前京都所司代酒井忠義に隠居の幕命
閏8/22−幕府、改革令を布告(参勤交替の緩和等)→文久の幕政改革の本格化
閏8/5長州藩主毛利敬親、幕府の奉答書を非難する意見書を議奏に提出
閏8/7【京】久光帰京
閏8/144【京】天皇の「公武一和の思召」が公卿・堂上に触れられる。
閏8.16−西郷隆盛、沖永良部の牢獄に入る。
閏8/27【京】朝廷、長州藩主毛利敬親に破約攘夷の勅諚下賜。
閏8/29【京】京都で目明し文吉暗殺
9 9/7幕府、明年2月の将軍上洛布告
9.17-・容保、幕府に公武一和と三港外閉鎖の建白
9/19−攘夷奉勅問題。総裁職春嶽、必戦・破約攘夷を主張。
9/24−容堂、春嶽に攘夷奉勅の覚悟を促す。
9/30−慶喜、幕府をすでになきものとする開国論主張。
9/4【京】朝廷、敬親の国事周旋を称す。豊範に江戸での周旋・容堂に京都警衛を命ず。
9/16【京】武市、攘夷督促の勅使派遣を建言
9/18【京】薩摩長州・土佐藩主、朝廷に対して、幕府へ攘夷勅諚下賜の建白。
9/20【京】朝廷、攘夷勅諚伝達のための勅使(三条実美・姉小路公知)任命
9.24-京都町奉行与力暗殺事件
10 10/1−幕議、慶喜の上洛&開国上奏を決定
10/8-春嶽、慶喜に政権返上覚悟の開国上奏を迫る
10/18-容堂、攘夷を請けねば「攘将軍」になりかねないと攘夷を入説
10/20幕議、開国上奏から攘夷奉勅に一転。大久保一翁、大政奉還&大開国論を述べる。
10/22-慶喜、「攘夷に定見無し」と後見職辞表
10/26-幕府、勅使優待を決定
10/28−攘夷別勅使三条実美・姉小路公知江戸着

関連:「開国開城」「第2の勅使三条実美東下と攘夷奉勅&親兵問題」
10/5【京】薩長土有志で、親兵設置を建議
10/11【京】豊範、別勅使(三条実美・姉小路公知)に先立ち京都を出立
10/12【京】別勅使、京都を出立。武市半平太も随従。/容保に滞府周旋の朝命
10.17【江】水戸藩、薩摩藩邸上書提出事件関係者(林忠左衛門・吉成恒次郎ら)の藩地送還決定。極刑を恐れた慶喜、中止を勧告。
10.25−「五十人組」(中岡ら)入京
10.27【江】容堂、御用部屋出仕を命じられる(幕政参与)豊範江戸着。
10.28【江】勅使江戸着(武市半平太)も。
11 11/2幕府、攘夷奉勅を決議。(開国説が実施されるときもあるだろうと)
11/25−フランス軍艦が大坂入港して条約勅許を迫るという風聞を根拠に、老中、容保と旗本精鋭の急西上と慶喜・将軍の率兵上京を上書。
11/27勅使、攘夷と親兵設置の勅諚を授ける
11/28−慶喜、春嶽に2万の大兵を率いての上京を示唆/安政大獄関係者の建碑を赦す
11/29春嶽幕薩連合による公武合体推進を建議。老中・慶喜、同意。

関連:「開国開城」京都武力制圧策から公武合体派連合(幕薩連合)策へ
11/12【京】朝廷、久光を守護職にと幕府に。【江】薩摩高崎猪太郎容堂長州藩激派の神奈川/横浜襲撃計画を密告。容堂、長藩世子定広に連絡。
11/13【江】定広、使者を送って激派説得。蒲田梅屋敷事件(土佐藩士の前で周布政之助容堂を批判の放言。憤激した土佐藩士が翌日長州藩に周布引渡しを要求する騒ぎに)
11.16【江】「五十人組」(中岡ら)江戸到着
11.22【江】水戸藩主徳川慶篤、激派の武田耕雲斎、大場一真斎らを家老に復職させる。
11.28【江】水戸藩、薩摩藩邸上書提出事件関係者(林忠左衛門・吉成恒次郎ら)釈放。
12 12/4-慶喜に大坂湾巡視&上京の幕命
12/5幕府、破約攘夷奉勅を返答。親兵設置は奉承せず。幕府、水戸藩に勅諚(戊午の密勅)奉承を許す。
12/13幕府、攘夷を布告
12/15−慶喜、江戸出立



12/24−京都守護職松平容保、入京
関連>>「守護職事件簿」「容保入京」
12.1【江】土佐藩主豊範長州藩主養女と婚姻
12.5【江】大赦の令で安政の大獄関係者許される。間崎哲馬・坂本龍馬、春嶽と面談。
12.6【江豊範江戸を退去。
12/7【江】勅使、親兵設置要求貫徹せぬまま江戸を退去。
12/9【京】朝廷に国事掛設置、【江】坂本、勝海舟に入門。定広、江戸を退去。
12.11【江】中岡江戸を出立
12/12【江】高杉・久坂ら、品川御殿山の英国公使館焼討ち久坂江戸を出立。中岡に合流。
12/15【江】水戸藩、勅諚(戊午の密勅)奉承を許される。
12.18-久坂中岡、水戸で住谷寅之助と面談。その後、佐久間象山を訪問?
12.23−勅使帰京。
12.25−佐久間象山放免。

寛政4(1792)〜
嘉永5(1852)
嘉永6(1853)〜
万延1(1860)
文久1
(1861)
文久2
(1862)
文久3
(1863)
元治1
(1864)
慶応1
(1865)

主な参考文献:
『開国と幕末変革』、『人物叢書山内容堂』、『茨城県幕末史年表』
『茨城県の歴史』、『人物叢書松平春嶽』、『会津歴史年表』、『幕末の天皇』、
『徳川慶喜公伝』・『再夢紀事・丁卯日記』・『続再夢紀事』


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