誠斎伊東甲子太郎と御陵衛士
書簡・詩歌・建白トップ 伊東トップ HPトップ |
伊東甲子太郎は元治元年10月15日(1864年11月14日)、京都に上るために江戸を発ちました(こちら)。伊東の弟である三樹三郎のご子孫のお宅には、伊東の妻うめが姑のこよに伊東の出立を報せた書簡の断片が残っています。書簡からは、動乱に身を投じる伊東を案じる気持ち、伊東を恋しく思う気持ち、江戸に残されることを不安に思う気持ち、それらをおさえて気丈にふるまう、武士の妻としてのうめの健気な心情が、せつせつと伝わってくる気がします・・・。 |
|
伊東は旅立った翌日の10月16日、「忘れめや恋しきものをかり枕旅寝の夢に袖ぬらしつつ 」という歌を詠んでいます。彼も残してきた妻を思い、眠れぬ夜を過したのかもしれません・・・。 |
注:原本から管理人が判読しました。一部、紙がよれて文章が読みにくい箇所がありましたので、市居浩一氏『高台寺の人びと』所収の写真を参考にしました。また【】内は現在では、失われてしまった部分です。『高台寺党の人びと』の写真でも読みにくかったため、小野圭二郎著「伯父伊東甲子太郎武明」の翻刻文で補いました。 書簡は、傷みがひどく、撮影させていただくために紙を開くだけでも破れてしまいそうで、手が震えました。一部、よれてしまったのも、その部分を無理に開くのがこわかったからでした。ほかにも断片があり、解読中ですが、前後のつながりがわからないので、意味のある文章になりません(涙) |
書簡・詩歌・建白トップ 伊東トップ HPトップ |
誠斎伊東甲子太郎と御陵衛士